大河ドラマの解説コーナー㉚ #どうする家康 | わんわん物語

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~異界から目薬~

清洲会議~賤ヶ岳の戦いと天正壬午の乱の回の分です。

 

テンポよく話が流れていきましたが説明不足なシーンが多かったので解説し甲斐があります。

 

秀吉やお市のキャラ設定は置いといて、本能寺の変の後に秀吉は山崎の戦いで明智光秀を討ち取ったものの、それですぐに信長の後継者となったわけではありませんでした。

 

織田の重臣の中でも軍団を持っていた武将たちで今後の織田家をどうするか、という会議が開かれました。

これが、三谷幸喜がパロディを含めて映画もした清洲会議っていうイベントです。

 

メインは、信長の嫡男信忠も死んでしまったので織田の後継者を誰にするか、というものですが、後継者を決めて家臣一同団結して継続して織田をもり立てていこうって話ではなく、後継者の後見人になった人が今後は織田を仕切っていくぞという話です。

 

信長の子供は男子もたくさんいるのですが、武将として独り立ちできているのは次男信雄と三男信孝で、この二人は異母兄弟で次男三男だけど1ヶ月違いの同じ年齢でした。

 

で、使われ方っていうアレだけど、二人とも伊勢を支配するために伊勢の有力豪族の養子になってその家を乗っ取る役割をしました。

 

信雄は北畠(きたばたけ)氏、信孝は神戸(かんべ)氏に入り、信雄は義父一族と重臣を大量に殺し、信孝も義父を幽閉して家老を殺し家臣大量追放っていう上手くいったのかわからないけど乗っ取りには成功して領地を持っていたのです。

 

で、二人とも伊勢に領地を持って、その軍勢と信長に与えられた与力衆たちに補佐されて各地を転戦するわけですが、信孝の方は結構活躍するものの、信雄の方は第一次伊賀の乱で大敗して映画化されました。

「忍びの国」ですね。

 

そんなわけで、信孝の方がまっとうな武将で信雄はバカ殿っていうイメージができるのですが、本能寺の変の前年の馬揃え(軍事パレード)では信雄の序列は信忠に継いで2位、信孝は信長の弟信包を挟んで4位だったので信長の評価では信雄の方が上でした。

 

なので、信雄、信孝比較は後世の物語のイメージと、宣教師ルイス・フロイスの主観でキリスト教に好意的だった信孝を持ち上げた評価の記録もあって公平に見るのは難しいのですが、ドラマ上では従来通りのイメージの方が見やすいですよね。

 

で、清州会議。

 

秀吉、柴田勝家、丹羽長秀、池田恒興の4人の重臣で行われました。

 

突然出てきた丹羽長秀と池田恒興って誰、って話ですが、丹羽長秀は柴田勝家とほぼ同格の武将で若狭一国の国主で、名目上の総大将は織田信孝だったものの編成中に四国方面軍の司令官でした。

 

池田恒興は信長の乳兄弟で信長の腹心中の腹心です。

漫画「信長協奏曲」とか読むとどんな関係かよくわかりますが、幼馴染で有力家臣の当主で最も信頼の置ける家臣です。

方面軍司令官ではありませんが、領地、兵力ともに方面軍司令官同等です。

息子輝政は後の姫路藩主で、大河ドラマでこの回に北条に嫁いだ督姫を北条滅亡後に娶ります。

 

ほんとはもう一人、関東方面軍の滝川一益っていう人がいるのですが、一益は本能寺の変の際の撤収に失敗して大打撃を受けて帰ってくるのが清州会議に間に合いませんでした。

 

清州会議の従来のイメージは、信雄より信孝の方が評判が良く、柴田勝家が信孝の後見人になることに成功して、秀吉はせっかく明智光秀を討ち取ったのにピンチ、と思いきやまだ3歳だった信忠の子の三法師を秀吉が手なづけて「信忠の子こそ嫡流」と言って会議の主導権をゲット、って話なんだけども、それも物語のアレで実際のとこは、っていうのはウィキで清州会議ググると出てくるので読んでください。

 

ともかくも、清州会議で秀吉が主導権を握り、参加者がそれぞれの領地に帰ったところで柴田勝家が越前北之庄(福井)で雪に閉ざされてる間に秀吉が対立してる他の織田家臣を攻略、雪が溶けた4月に賤ヶ岳(琵琶湖の北)で決戦して秀吉が勝ち、柴田勝家はお市と共に北ノ庄城で自害するのでした。

 

この辺は家康さっぱり関係無いので賤ヶ岳の戦いの様子とかはまるまるカットでしたが、清州会議後からの秀吉の戦略、戦術盛りだくさんなので、調べるとドラマで嫌なキャラじゃなくてかっこいい秀吉像、もしくは汚い策略を使う悪逆な秀吉像が見えてきます。

 

で、お市は自害したものの、浅井長政との娘3人、戦国のラスボス茶々と、いまいち影が薄いけど名家京極氏に嫁ぐ初と、家康の息子の嫁になる江の三姉妹は生き残りました。

 

ラスボスなので茶々が悪いキャラ設定になってますね。

 

この間家康が何をやっていたかというと、天正壬午の乱と呼ばれる甲斐と信濃の攻略です。

 

こちらはもっとやってくれても良かったと思うんだけど、本能寺の変で甲斐と信濃と上野(こうづけ、群馬)に領地をゲットした織田家臣たちは動揺してとりあえず京に向かおうとしたものの、その隙をついて北条が攻めてきたり武田の残党が蜂起したりして織田家臣たちが殺されたり領地を放棄してしまったりして旧武田領が空白地帯になってしまいました。

 

そこを、家康が北条と戦いつつ交渉して甲斐と信濃をゲットするんだけど、途中で真田にこてんぱんにやられたりします。

 

この時の上田城の戦いを第一次上田合戦、関ケ原の時の上田城の戦いを第二次上田合戦といい、2回とも徳川軍は上田城を落とすことができず、真田昌幸(幸村の父)の智謀と上田城の評価がめっちゃ上がるわけです。

 

この評価があったから大阪の陣で幸村がそれまでさっぱり個人的な名声は無かったのに一軍を率いる将になれたのですね。

 

で、真田は上田城の攻防だけじゃなく、政治的にもあっちについたりこっちについたりしながら滅ぼされずに存続するので真田昌幸は表裏比興の者と秀吉に評されるし、その後の北条との領地を巡って秀吉が動いて小田原征伐になったりします。

 

天正壬午の乱も秀吉がやった本能寺の変後の織田政権奪取に劣らず多くの戦と駆け引きがあるイベントなので、家康目線のやつをもっとやってほしかったのだけども、小牧長久手の戦いまでの間にやったりするんだろうか。

 

戦国時代もこのあたりになると当時の手紙等かなり史料が増えてくるのと同時に後世の盛った物語のイメージもかなり多くなってくるので描き方も幅が広がって見方もいろんな視点が持ててきます。

 

家康もだんだんと信長に怯えてたキャラから戦国有数の大大名になるので、どうキャラ変していくのかも楽しみですね。

 

次回は秀吉との対決に向かっていく話になるのでしょう。

 

次回もお楽しみに!