6月25日の分です。
築山に集う話ですね。
1ヶ月分くらい遅れてもうた。
早く見ねば。
この部分、「どうする家康」っていうタイトルの、家康の生涯において最も「どうする」の部分なのですごく力を入れて描いてますね。
物語全体の設定的にも、ここの「どうする」感を出すために何度も信長との関係を「どうする」って悩むシーンが出てきていました。
一般的なイメージだと家康は常に信長の協力者であり、対等な同盟者というポジションでありながらも積極的に従い、恐れは抱いていても友であり弟であるような関係でした。
また武将としての力量も、信長が生きている段階では織田ほど華々しい戦や領土拡大ではなく徐々にゆっくりと今川を倒し、武田に抵抗し、長篠の後もじわじわと武田を追い詰めていく地味な戦い方をするイメージです。
なので、他の物語では対今川や、三方原や長篠といった大戦以外での対武田との戦はほとんど描かれず、史料は多くあるもののドラマや小説にならないとイメージしにくいので大河で多く描かれるのを期待していましたが、ここの「どうする」を一番のスポットにするために焦点をずらして物語が進められていっていた感じがします。
つまるところ、せっかく家康を主人公にしたのにあまり知られていない戦での逸話や家臣たちの活躍を省いて(さりげない一言のセリフには入ってたりするけど)、瀬名との関係や信長との関係を描いて悩むシーンにしていたわけです。
瀬名、築山殿の人物像も、一般的にはあまり良いものではありません。
史実の人物像を探るとまたいろんな解釈ができるのですが、多くのイメージだと今川の親族として家康より立場が上のように振る舞う感じで、それは五徳姫が信長の娘として信康に対して振る舞うのと同様のイメージです。
五徳姫はもうただの信長のスパイで築山殿と信康を陥れるだけの人な感じなのですが、信康と不仲説があったり、信康の人間性にも問題がある説があったり、だけど幼い頃から許嫁で結婚して10年ほど経っていたり、人物像に関する史料はほぼ無かったりするので物語を作る際にはキャラ設定は幅広くできそうです。
先週の水野さん謀殺もそうなのですが、築山殿と信康の死も多くの謎があり、ドラマでの描かれ方はかなり興味深いと思っています。
武田との内通が真実である可能性はかなり低いと思うのですが、冤罪で信長への忠義を試されるかのように家康が二人を殺す決断をする、というよりは面白い解釈ですね。
突っ込みどころはあるので突っ込んでおくと、滅敬が穴山信君である可能性はほぼゼロです。
その設定も面白いのですが、穴山信君は武田一門衆で、武田家の中ではかなり高位の貴族なので単身で敵領に忍び込めないでしょう。
が、その設定で後の家康との関係を深めていく筋書きにするのは面白いな、と思いました。
今川氏真が築山を訪ねるのは、別に驚くことではありません。
親戚だし。
長篠の戦いでは徳川軍の武将として参戦してるし、その後徳川の城をもらってるので。
だけど徳川に便乗して今川を攻めた武田をとても恨んでいるので武田と結ぶ案に協力するとは思えません。
それなら最後まで今川の忠臣だった高天神城の岡部さんのとこにも行ってもっと上手く話をまとめなさいよ。
武田と戦った振りをする件は、有り得ると思います。
桶狭間の後の水野と戦った部分も、ドラマではがっつり戦ってたけど戦ってる振りだと思ってるので。
史料であからさまに戦ってる振りと書いてあるのはあまり無いのですが、たぶん戦ってる振りじゃね?って思うようなのはぼちぼちあるのです。
ドラマでも桶狭間前の大高城は今川本体と決戦するために攻め落とさないようにしてたってことになってるし、三河一向一揆でも家康がいる軍が来ると一揆軍は戦わなかったってあるし、おそらく三方原でも徳川からの寝返り組は手を抜いてた雰囲気も出てるし。
ただ、ドラマでの戦ってる振りは内緒の停戦協定がある前提なので違うのですが、何かお互いに利があって睨み合い程度で引き上げる取引があった可能性はあります。
信長に急かされて武田を攻めねばならなかったけど国力が疲弊してたとか、武田の方でも時間を稼いで上杉を同盟を結ぼうとしてるとか。
そして、メインの瀬名の謀についてですが、そういった商圏という考え方は織田の方が遥か上のレベルでやっているので東国商圏を作ったところで勝てないでしょう。
ゲームの信長の野望にも5年くらい前のやつから商圏というシステムができて、敵大名を倒すだけじゃなくて商圏も上手く支配領域を繋げていかないと金銭収入や鉄砲が手に入りにくくなっていたりします。
ゲームの話はゲームなんだけど、そういった概念のようなものはあって、今川と武田が敵対した時に今川が塩止めして上杉が敵に塩を送る諺ができたりするのですが、そういうのは外国と貿易してた西国の方がずっとレベルが上で、織田はそもそも津島と熱田の港からの収益で強大な力を得たので商売レベルで徳川や今川が勝てるわけもありません。
なにより、武田はともかく北条は上杉謙信に関東を荒らされまくってるし、北関東の豪族は上手くまとめられないし、常陸の佐竹とも争ってるし、北条領は盤石でも周辺がさっぱり安定してません。
つまり、瀬名の謀は机上の空論で情報が全く足りていないのです。
奥州とも言ってましたが、奥州についてはほぼ無知ですね。
長くなるのでこの時期の奥州については省くけども。
でもまあ、確かにそういった東日本まるまるの規模を結ぶ謀ならば、既に織田に勝ち目の無くなった武田と内通よりは説得力があります。
けどこれは豊臣に小田原征伐軍を向けられた北条がしようとしていたことに似ていて、もっと後年に東日本の各勢力がまとまっていた頃ならまだ実現の可能性があったかもしれないけど、この時点では厳しすぎます。
それでも実際の歴史では理屈を超えた奇跡が起こるので歴史は面白いのですが。
本能寺の変とか明治維新とか。
次回はいよいよ、とても悲しい話ですね。
どうする?ほんとにどうする?の部分です。
次回もお楽しみに!