大河ドラマの解説コーナー㉕ #どうする家康 | わんわん物語

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~異界から目薬~

6月25日の分です。瀬名と信康が死んじゃう回です。

 

とても悲しく描かれていました。

 

従来の、家康が無実の内通容疑によって信長に妻子を殺すように命じられて、信長への忠義を試されるかのように悩んで泣く泣く殺す描かれ方ではなく、また歴史研究的な家康が妻子を切り捨てたかったとか信長が家康の力を削ぎたかったとか岡崎閥と家康閥の暗闘の結果とかでもなく、オリジナルストーリーでした。

 

信長からずっと戦の命令のされ続けて「いつまで戦い続けなければならないのか」という疑問を持つ徳川勢に対し、瀬名が戦を止めるために東国大商圏を作り上げてお互いに利益を供与し合う密約を武田と結び、上手くいくかに見えた時に武田勝頼が徳川の勢力を削ぐために密約を暴露し徳川は謀反の疑いをかけられることになってしまった、というのが前回までの話。

 

徳川全体の裏切りではなく瀬名と信康の独断とするために、瀬名は五徳姫に自分を避難する手紙を信長宛てに書かせて二人が命を断つことで徳川を救おうとしますが、家康は身代わりの首を差し出すことで二人の命を救おうとします。

 

どこかのブログで書いた気がしますが、処刑する者の身代わりの首を差し出すというのは史料には確定的に書かれているわけではありませんが、ちょいちょいあるような感じがします。

 

切腹や打首じゃなくて何故か鉄砲で射殺という処刑法をとられた人とか、そういう不自然なケースが怪しい。

 

もちろん有名な人の場合はその片鱗すらも無いのですが、遺体が本人かどうかの確認は本人の顔を知っている人の目視しかない時代なので、ほんとは生き延びていて人知れずひっそり暮らしていた可能性はゼロにはできないですね。

 

ただ、徳川とか江戸時代に大名になった家の場合、後世に実は誰々の子孫で・・・と推挙されたり発見されたり自分で名乗ったりして家を再興させてることが多いので、築山殿と信康が生きていた場合は当然家康の天下統一後に許されるはずだから、それが無いってことはやっぱり死んでいたんだと思います。

 

瀬名がちょいちょい言う「なぜ戦が無くならないのか」は大きなテーマですが、人類に当てはめるとまた意味合いが変わるので戦国時代に戦が無くならない件について考察してみます。

 

結論から言うと、現状維持するのにも戦をしなければならないからです。

 

教科書では戦国時代の始まりは応仁の乱(1467年)と、今の教科書もそうかわかんないけど応仁の乱から戦国時代が始まったイメージですが、突然応仁の乱が起こってそれをきっかけに全国で戦が起こるようになったわけではありません。

 

そもそも応仁の乱とは大規模な家督争いですが、武士の家単位の家督争いは日常茶飯事で、そもそも武士が力を持つようになったのも公家の家督争いからです。

 

武士の起こりから始めると長いし去年の大河のブログの最初の方にも長々書いたので省略しますが、室町幕府においては幕府そのものが家督争いの仲裁機関という役割が大きく、しかもそれが上手く機能してないどころか、上手く機能しないのが付き詰まって将軍家まで家督争いで戦を始めてしまったのが応仁の乱です。

 

応仁の乱は地方からも大名が参加しましたが畿内での戦です。

 

だけど同じような戦が全国で起こり、末端の武士の家の家督争いの仲裁をする地方領主の力も弱まってしまいました。

 

そうなると、家督相続のたびに争いが起こるわけです。

 

もちろん戦の理由はそれだけではないのですが、子供が親の領地を継ぐ、自分の子供に継がせるという自分の家の勢力を保つだけで家臣が割れ、縁組している近隣の領主が介入し、小規模に収まっても優位な勢力の者の力が強まって負けた方の勢力の者の力が弱まるわけです。

 

つまるところ、天下統一を目指したり隣国を攻めて領地を増やそうと野心を持っていたわけではなくても今まで通りの土地を維持しようと思ったら戦をしなければならないのです。

 

むしろ天下統一を目指してたのなんて信長くらいじゃないかと。

 

何で信長が天下統一を目指していたかは謎ですが、それこそドラマでの瀬名が提唱していた大商圏を日本全土でやろうとしていたんじゃないかと思います。

 

または、戦を無くすには、より大きな力で支配するという意味での「天下布武」か。

 

武士は現状維持するために戦をしなければならないのだから、生き残るために強い勢力に身を寄せるし、自分より弱い勢力が身を寄せてきたら取り込みます。

 

身を寄せた勢力が戦をすれば武力を提供しなければならないし、身を寄せてきた勢力が敵に狙われても守るために戦をしなければなりません。

 

この連鎖を終わらせるためには最も大きな勢力が敵対する勢力を全て打倒し、全ての勢力が最も大きな勢力に直接でも間接的にでも保護されなければなりません。

 

つまり天下統一です。

 

それを秀吉が惣無事令、全国の戦を禁止する法律を作って成し遂げました。

 

だけども、当時の人々が天下を統一する必要性を感じていたかは疑問です。

 

現在のところ世界は統一されてないし、世界を統一する必要はあまり感じませんが、めちゃめちゃ強い勢力が世界を統一して戦争を禁止するルールを作れば世界から戦争が無くなりますね。

 

ただし、世界を統一する前に大規模な世界戦争が起こるわけですが。

 

明治維新みたいにどっかの勢力が国連乗っ取って世界政府軍作ったらほとんどの国が無血開城するような奇跡は無いでしょう。

 

話を戦国時代に戻すと、小規模な勢力が延々と家督争いをしていては永遠に戦国時代が続くので、ある程度大きな勢力の出現は望まれていたでしょう。

 

で、ある程度大きな勢力の目標は、京都に行って足利将軍を支えて幕府の権力を強化して天下を治めようとしていたようですが、信長の時代の大きな勢力でそれを目指していたのは武田信玄くらいな気もします。

 

他の大きな勢力は身を寄せてくる小勢力を保護して戦っていたら大きくなって他の大きな勢力と戦わねばならなくなったってのを繰り返してる毛利や、それを勝ち抜いて安定したと思ったら上杉謙信が攻めてくる北条とか、大きくなった勢力を維持する家督争いからの残党勢力が永遠に湧き続ける大友だったり、もうドラマの時代の段階では誰かが天下統一しないと戦が終わらないというところまできていたと思います。

 

ヨーロッパは統一されないままたくさんの国がありますが現在の形に至るまでに1000年くらいかかってますよね。

 

中国は国力が弱いと北から攻めてくる異民族に負けちゃうので統一している必要があったのですが、日本の戦国時代は各国が独立したまま戦を無くすまでには戦国時代の150年では短かったのでしょうか。

 

信長包囲網は中国の春秋戦国時代の合従連衡をなぞったものだと思うので、信長の方が勝った以上は秦と同じく信長の天下が予想できそうなものですが、ドラマの瀬名は別の方法をとりたかったようですね。

 

悲しい演出でフィクションだとわかっていても泣きそうになりながら見てましたが、次回は打って変わって富士山観光です。

 

風前の灯火になる武田と、本能寺の変に向かっていく伏線とかも出てくるかな。

 

次回もお楽しみに!