大河ドラマの解説コーナー㉓ #どうする家康 | わんわん物語

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~異界から目薬~

今回は長篠の戦いの翌週、瀬名覚醒の回の分です。

 

長篠の戦いで武田軍は壊滅して武田家は滅亡へと向かうのですが、桶狭間の後の今川と同様にすぐ滅ぶわけではありません。

滅亡まで6~7年がんばるし、それまでも頑強に抵抗を続けます。

 

こういう大きな合戦て、それで雌雄が決するイメージが強いけど実際は負けてもそのまますぐに滅亡するわけではないのですね。

 

この理由を考察していくのも面白いんだけど、戦場で重臣がたくさん討ち取られても領地に残った後継者がすぐに討ち死にした者のポジションに収まって政治や防備を滞らせないシステムがあったり、野戦で勝敗が決しても領地を守る城は簡単に落とせなかったり、勝った側がいきなり広大な領土を得ても支配できなかったりと、いろいろ思い浮かびます。

 

じゃあなんで合戦するのかというと、やっぱり相手に大打撃を与えるのは効果があるし、大打撃を与える手段としては合戦が一番わかりやすいからだと思います。

 

誰にわかりやすいかというと、相手に従属している勢力と相手が支配している領地の民衆です。

 

わかりやすくどっちが勝ったかアピールできれば相手の従属勢力はこちらに寝返り、守ってくれる兵がしばらくこないと思った相手領地の民衆は反抗を企てず、ある程度は相手の領地を侵食でき、なおかつ相手からはしばらく攻めて来られない状態になります。

 

そうして徐々に優位に立って、時には巻き返してきた相手の反撃を再び合戦で破り、また相手の領地を侵食し、を繰り返して最終的に降伏させて従属勢力として取り込むか、完全に滅ぼすか。

 

完全に滅ぼすと言っても一族は多少残すんだけども。

 

そんなわけで冒頭に戻って、長篠で勝った後も巻き返しと抵抗を続ける武田軍に対して家康は戦い続けているわけです。

と同時に、ドラマでは触れられてませんが信長も東美濃の武田領に侵攻しました。

 

信長が東美濃に侵攻を開始したのは長篠の戦いの直後で、岩村城を5ヶ月くらいかけて落としました。

この岩村城の城主が秋山虎繁です。

 

秋山虎繁、出世の経緯はよくわからないけど抜擢されて伊那郡を任され、西の美濃、南の三河に対する前線の司令官として、武田本体とは別に動ける部隊を率いて活躍しました。

 

武田本体が動いてない時に徳川を苦しめていたのは秋山さんです。

虎繁なのに渾名は甲斐の猛牛です。

 

それが、美濃方面を侵攻した時に遠山氏が治める岩村城を包囲しました。

 

岩村城は信長の叔母おつやの方を妻としている遠山景任という人が城主でしたが秋山虎繁の侵攻直前に病死し、妻のおつやの方が指揮をとっていました。

 

援軍が期待できないところで包囲している秋山虎繁から「自分と結婚すれば城兵は助命する」と降伏勧告プロポーズがあり、おつやの方は秋山虎繁と結婚。

 

叔母の裏切りに信長は当然激怒、長篠の戦いで勝った信長はまっさきに岩村城を奪還し、捕らえた秋山虎繁と叔母おつやの方は岐阜に連行されて逆さ磔となりました。

 

なぜこの話をしたかというと、今回の水野信元謀殺の理由の一つに秋山虎繁に兵糧を送っていたという疑惑があったからです。

 

嘘かほんとかわからないけど、岩村城が陥落して秋山虎繁が捕らえられたことで明るみに出たということなのでしょう。

 

水野信元、ドラマでは癖が強くて家康に対して信長の無茶振りを伝える嫌なキャラですが、まあ、史実的にも癖は強いのですが優秀な武将でした。

 

水野氏自体のポジションも三河と尾張をまたぐ領地で、古くから織田と今川の戦いの境界にいて信元の父の代は今川方でしたが信元が家督を継いだ時に織田方になりました。

 

なので信元の妹である家康の母は、家康が幼い頃に離縁されて離れ離れになってしまったのです。

 

そこからは織田の対今川の最前線でがんばるのですが、桶狭間の時は今川に寝返っているような文書があったり、桶狭間の主戦場が領地なのに信元がどこにいたのかわからなかったり謎多き人物です。

 

桶狭間の後は清洲同盟の仲介をし、信長の伊勢侵攻に参加したり、三河の一向一揆で家康を助けたりして活躍していますが、地位は曖昧です。

 

ウィキペディアによると大名と書かれていて、織田家臣ではないんだけど最新研究的にはどうなのでしょう。

 

ドラマや小説やゲームでは織田家臣になっちゃってるんだけど、実は家康と同じようなほぼ支配下にある同盟勢力だったのではないかと思います。

 

なので清須同盟は織徳同盟とも言われますが、織水徳同盟だったのではないかと思うわけです。

 

そんな曖昧で、なんか桶狭間の戦いや桶狭間以前の織田と今川の戦いの闇を知っていて、もはや織水徳で勢力がもっとも小さいのに家臣化しない水野信元が邪魔になったんじゃないか、これから徳川ももっと従属化させていくにあたって水野と徳川に手を組まれたりしたら面倒なことになるんじゃないか、っていうのが水野信元謀殺の理由だと考察してるんだけど、謎の多い武将なのでもっと史料が欲しいところです。

 

ウィキによると水野信元の所領は24万石。

長浜城を与えられた秀吉が12万石で坂本城を与えられた明智光秀が5万石だったことを考えるとやはり家臣と言いにくい石高ですが、織田方の武将というくくりで考えるとトップクラスの領地を持っています。

 

それが謀殺という殺され方をするんだから、その謎を解明するのは研究テーマとしてかなり面白いと思うのだけども。

 

ドラマではその後に続く、同じように武田と内通容疑で殺される瀬名と信康の怪しい動きに対する見せしめ、とされていました。

 

瀬名と信康の武田内通は冤罪っていう見方が強いので斬新だと思います。

 

瀬名は冤罪ではなく実際に内通しようとしていて、それを察知した信長からの警告で水野信元を殺した、ということならば辻褄も合うわけですね。

 

ドラマの中では水野信元も秋山虎繁に兵糧を送ったことに対して「そんなことは誰でもやってる」と言っていましたが、考証がちゃんと入ったのかな。

 

割りとやってます。

 

兵糧攻めという包囲でなければ外交チャンネルを維持するためにある程度はやります。

 

が、公に内通してたと言われるとピンチになっちゃうわけですね。

 

ただ、このドラマでいろんな人が言うセリフの「信長は裏切り者は絶対許さない」というのは間違いで、かなり許しています。

 

もちろん何でもかんでも許してるわけじゃないけど、多くの戦国大名に比べればかなり許してます。

兄信広は許してるし、弟信行も1回許して2回目で殺してるし、柴田勝家も許してるし、松永久秀も1回は許したし、荒木村重には何度も説得の使者を送ってる。

 

割りと古くからのイメージをそのまま演出する部分が多いので、そういうのと混ざると斬新な解釈が台無しになるから考察するのには気をつけねば。

 

水野信元の死後、その領地は佐久間信盛に与えられて大名的なポジションの水野家はなくなりますが、兄弟が以前から水野家から分散して織田や徳川に別個に仕えているので水野氏はずっと続きます。

 

弟の家系が江戸幕府老中になって天保の改革をします。

 

水野信元が謀殺されて、佐久間信盛も追放されて、荒木村重が謀反起こして、っていう流れが明智光秀に影響して本能寺の変に繋がっていると思ってるんだけども、ドラマでは関連は演出されないかな。

 

次回は瀬名が武田内通に向けて怪しげな動きをエスカレートさせていきます。

 

次回もお楽しみに!