5月は良いペースで見ることができています。
この次見れば追いつくぞー
三方原の戦い前編です。
冒頭は妻と最後の別れかのようなやりとりをして出陣する徳川家臣たち。
武田軍がいかに強いか、怖いかという演出が今回も続きます。
実際強いのよ。
信玄が家督継いでから信濃攻略するまで10年以上かかり、信濃の豪族は別にビビらずに激しく抵抗してましが、それ以降は上杉謙信と互角に戦い、関東の覇者となった北条とも互角に戦い、名将と言われた上野箕輪城の長野氏も破り、駿河侵攻では今川氏を瞬殺。
三方原の際の進軍でも抵抗する奥三河の豪族は瞬く間に蹴散らされました。
例外は二俣城と高天神城。
ドラマでは高天神城も落としていましたが、最近の研究ではそうなってるのかな?
手持ちの史料とわんさんの記憶では信玄の西上作戦では高天神城はちょっと攻めてみて固そうだからスルーした感じになってるんだけども。
だから、長篠の戦いの時の武田勝頼の進軍では信玄が落とせなかった高天神城をなんとしてでも攻略しようとした、ってことになってるんだと思っているんだけど、どうなんでしょうね。
二俣城も堅牢な城で、こちらは奮戦しましたが数ヶ月の籠城の末に水の手を切られて降伏しました。
手持ちの史料で籠城期間に差があるのですが、wikiだと2ヶ月くらいです。
武田軍は城攻めには鉄板の技があって、金堀衆(金山衆)という鉱山技師たちを使ってトンネルを作って城に攻め込む技と、水の手を切る(城内への水脈を断って水を枯れさせる)技です。
どちらも山国であるがゆえの得意技ですね。
三方原の戦いの後になりますが、野田城でもかなり激しい籠城戦となるも水の手を絶たれて降伏。
城の横に穴を開けて水の手を断ったのだそうな。
野田城の戦の様子は城主菅沼定盈が主人公の小説、宮城谷昌光「風は山河より」にて詳しく描写されている、っていうかこの小説のクライマックスの部分なので、激戦の様子がわかりやすいです。
「風は山河より」は奥三河の大国の国境に領地を持つ野田菅沼氏3代を主人公にした小説で、最初は混沌の極みの三河から松平清康(家康の祖父)が三河統一に乗り出して惹かれていくところから、ついで今川の過酷な支配とそれを切り崩そうとする織田の謀略、桶狭間後の徳川と今川の戦いでどちらにつくかという迷い、そして武田軍の侵攻の最前線としての苦境という、多くの三河の豪族が経験した時代の流れを、その豪族目線で描く興味深い作品です。
さて、今回のでも武田軍出陣のシーンで信玄は「徳川家康を討つ!」と言っていますが、織田も敵にしようとして、やっぱり目的が徳川家康を討つところまでなのか、遠江までなのか三河までなのか、そのまま織田領に攻め込むのか、最終目的地はどこなのかイマイチわからんのです。
戦争は相手をぶっ殺すことが目的ではなく、領地を広げる、支配領域を広げることが目的なわけで、かと言っていきなり領地が増えすぎても管理できないからある程度で止めるか、降伏した相手の領地はそのままに人質だけとって従属させるか。
信長のように相手を滅亡させるまで攻撃して自分の直轄領にしてしまうやり方は稀だし、その方法だとやはり信長のように新たに支配した場所に拠点を移して家臣団と兵を連れていかなければうまく統治できません。
実現可能な方法としては、家康を討ち取る、もしくは降伏させた後、亀姫と武田の親族を結婚させ、徳川の当主にその武田の親族を据える、という方法でしょうか。
信長が伊勢攻略にやった方法ですね。
別に信長が特別ではなく、すごくスタンダードな方法だけども。
ま、この辺の考察は尽きることがないので話を戻しましょう。
まず、三箇野川で徳川軍と武田軍が衝突します。
偵察隊が武田軍に蹴散らされて逃げてきたところで本軍同士の戦いになってしまった形で、ちゃんと準備できてなかった徳川軍は撤退、殿(しんがり)は本多平八郎という退却戦となり、本多平八郎が奮戦した部分は一言坂の戦いと呼ばれます。
描き方が三国志の趙雲の長坂橋なのですが、意図的にたぶらせて物語になっているんでしょうけどそんな感じです。
後に蜀の五虎将となる趙雲が敗戦で主君劉備を逃がすために、一人分の幅くらいの細い橋(長坂橋)の上で大軍を食い止めたエピソードです。
この頃、既に本多平八郎は蜻蛉切(とんぼぎり)っていう名の、トンボが穂先に止まったら真っ二つになったという槍を手に入れてまして、それを振り回して敵を食い止め、無事に徳川軍を撤退させた上に本人も無事帰還するっていう平八郎の神っぷりが伝わる話で、なおかつ平八郎は戦でキズを負ったことが無いっていう逸話があるのでドラマでは血みどろで帰ってきても「返り血じゃ!」と言い張るのですね。
話変わるけど、良いだろこの本。
体か1600円って書いてあるのに古本屋で3500円だったんだぜ。
今ググって探してみたらもっと高かった。。。
いろんな槍の写真や解説、そもそもの槍の解説や歴史、各武将に伝わる槍の図解、槍を語源とした言葉や慣用句の説明など、夢とロマンのあふれる本となっています。
話を戻しまして、そんな強大な武田軍に勝つための策として、浜松城で籠城して織田が浅井朝倉との戦にケリをつけて大軍を連れてくるのを待ち、織田の大軍が来たら岡崎の兵と籠城する浜松の家康本軍も呼応して一気に武田軍を討つ、と。
まあ、前提が織田と武田が既に敵対、もしくは交戦状態っていうのがあって、それがどうなのかっていうのがあるのでもちろんこの策はフィクションなんだけど、籠城戦をしようとしていたことは間違いなく、また籠城戦は援軍を待つか相手が諦めて帰るまで守り切るかなので、水の手を切る作戦を武田軍がしてくるからには援軍を待つ方向だったのだと思います。
籠城戦にあたって織田からの援軍は水野信元、佐久間信盛、平手汎秀らでした。
平手さんは信長のドラマでは初期に信長を諫めるために切腹する平手政秀の子で、信長が大事に育ててきた武将ですが三方原の戦いで戦死します。
後年に水野信元は信長に謀殺され、佐久間信盛は追放されますが、その原因の一つがここで平手さんを討ち死にさせてしまったことだそうな。
今回のドラマに出てこないけど。
そして、佐久間さんも今回のドラマでは影が薄いけど、織田軍では最上位の武将です。
この段階の序列でも1番上かな。
でも家康は桶狭間の際の丸根砦攻めで佐久間信盛の同族の佐久間信重(大学)を討ち取っています。
また、家康の父広忠暗殺が同族の佐久間全孝の指示だったという説もあります。
仲良くできたんでしょうか。
兵数は史料によって異なりますが3000と言われることが多いですね。
2~3万の武田軍に対して1万人くらいの徳川軍に3000の援軍、どう考えても足りないしまともに助ける気があるように思えませんが、将軍と対立して反信長の勢力が次々と蜂起していく状況ではよく出した方かもしれません。
というか、援軍にいった武将の手勢のみだったかも。
このあたりも、信長が武田と戦う気があったのか無かったのか、っていうところの論点になります。
ともあれ、籠城を決めて武田を待ち構えていたところ、武田軍は浜松城をスルー。
なめられた感じたのか、このままでは無傷の武田軍が岡崎を蹂躙してしまうと考えたのか、ドラマのように地の利を得て坂の上から武田軍を追撃すれば勝てると踏んだのか、家康は打って出ます。
それが信玄の罠で、武田軍は三方原で万全の布陣をして徳川軍を待ち構えていて、徳川軍は壊滅したのだった、、、
というところで前編は終わりですね。
次回のタイトルは「真・三方ヶ原合戦」。
何が真なのかとても気になります。
SNS上では逃げる家康の脱糞シーンがあるのかどうかで盛り上がってましたが、、、
次回もお楽しみに!