大河ドラマの解説コーナー⑨ #どうする家康 | わんわん物語

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~異界から目薬~

一向一揆最終章でした。

 

終わり方が、三河一向一揆ってあんなにきちんと終わってたっけ?と思ったんだけど、ドラマ的には「あれ、どうなったの?」みたいな決着だと意味がわからないからああいう演出になったのか、しっかり考証した上でああなったのかはわかりません。

 

個人的なイメージでは和議って形はあったものの、もっとぬるっと曖昧な感じで、なおかつ急に終わったように思ってます。

 

通常の戦では相手の首を獲ったり城を落としたり、しっかり降伏の儀式をしたりして戦の終わりがわかるところなのですが、三河一向一揆の場合は松平が優勢になり、急に一揆の勢いが衰え、と言っても一揆の拠点は複数あったし一枚岩でもなかったので和議を結んだと言ってもなんか曖昧だったように考えてます。

 

というのも、本多正信が帰参しなかったように他にも帰参しなかった家臣も何人かいるし、帰参しなかった家臣も追放(家康に処罰された)のと出奔(勝手に出ていった)がいるし、一揆に加担した酒井忠尚、吉良義昭、荒川義広、桜井松平、大草松平といった反松平との戦は続いて一向宗との和議の時点では戦は終わって無かったのでどこが終わりかよくわからないのですね。

 

和議、和睦、講和とか休戦、停戦とか戦をやめる言葉がたくさんありますが、休戦、停戦は単に戦闘行為をストップするだけで、和議、和睦、講和は基本的には負けてる側の降伏と同じ感じです。

 

和議と和睦と講和の違いはググってもよくわかりませんでしたが、勝ってる側が負けてる側に何らかの条件をつける、もしくは逆に負けてる側が勝ってる側に何かを譲歩して戦を終わりにすることなので、対等な話し合いによる戦の終わり方ではありません。

 

何らかの条件とか譲歩するものは、責任者や幹部の命だったり、領地やお金だったりしますが、それと引き換えに戦を終わりにして兵や領民の命を守るわけです。

 

なのでウクライナの戦争も終わりにするにはどちらかが相手に何かを差し出さねばならないので、泥沼化するとなかなか終わらせることができないのです。

 

ただ、戦国時代の戦の終わりは幕府や朝廷による和平調停っていう終わらせ方もありまして、幕府はむしろそれが本業なので将軍の権威を高めるために積極的に戦の調停をしてたし、朝廷も献金を受け取って調停したりしてました。

 

これは戦をしている側から幕府や朝廷に頼むことも可能で、これにより降伏的な和議じゃなくて現状を維持したまま戦を終わらせることができたのです。

 

国連がんばれよ、と言いたいところですが、これをやるとロシアが占領した地域がロシアの領土になってしまう可能性が高いので渋ってるのでしょうね。

 

で、三河一向一揆は水野信元が仲介となって和議を結んだとされてまして、戦を終わらせるのに仲介っていう方法もあります。

三州一向宗乱記では織田からの使者は滝川一益って書いてあったけど仲介とは書いてなかった。

 

が、こちらは幕府や朝廷からのものより成功率は高くありません。

 

松平と今川の戦も北条氏が仲介を斡旋してますが家康は受け入れませんでした。

 

三河一向一揆は目的がそもそも領地や家康の首ではなく、家康がそれまで不入だった寺から徴税しようとしたことへの反発っていうのが表向きの挙兵理由(裏では反松平勢力が絡んだりいろいろ複雑だと思う)なので、元通りにするっていう条件があれば戦の目的達成なのと、優劣が決まってきたから和議という形ができたわけです。

 

で、「元通り、寺ができる前の元は野原」みたいなこと言って寺を破却した話の原典は三河物語だったような気もするけど三州一向宗乱記にも書いてありまして、ドラマのはこちらの記述を元にした脚本かな。

 

こちらでは和議の後は詳しいことはすっ飛ばして、あたかも一向宗との和議で吉良も荒川も酒井忠尚も桜井も大草も全部まとめて降伏して追放されたみたいになってて、一気に平和になったみたいになってました。

 

ドラマでは名前しか出てこない酒井忠尚と荒川義広についてちょい解説。

 

酒井忠尚は岡崎の北西にある三河上野城の城主で、家康の父広忠の代から反松平=親織田なんだけど、織田と松平が同盟結んだ後も反松平っていう、何を狙っているのかよくわからない人。

酒井忠次とは叔父甥の関係らしいけどどっちがどっちか史書により異なる。

元は松平家臣の立場だったけど、織田と通じて以来、別個の独立勢力っぽくなるけど、反松平勢力の吉良から攻撃されたりしていて、ほんとよくわからない。

反松平として松平に敵対行為してるけど、他の反松平からは松平だと思われて攻撃される人。

 

荒川義広は吉良氏で吉良がお家騒動してた時に分離して独立勢力となった人。

家康が吉良を攻めた時には一緒に攻めたのに一向一揆の時は吉良と一緒に反松平になったこちらもよくわからない人。

 

松平もなんだかんだでお家騒動してて、家康の祖父清康の時に上手くいってなくて、しかも清康は若くして死に、清康の祖父長親がすげえ長生きして孫、ひ孫をかわいがるから、かわいがられた分家の桜井とかが調子乗ってそれがここまで尾を引いてたのです。

 

酒井忠尚はそのゴタゴタを上手く調整したつもりになってた重臣なので、本家の松平からはやっかいなヤツだし、反松平から見れば松平なわけなのですよ。

 

と、こういった勢力が一勢力として動いていたのが三河一向一揆までの三河の状態で、北には山家三方衆という奥平、田峯菅沼、長篠菅沼の連合がいて、東には今川勢として牧野、戸田らが待ち構えているわけですね。

 

なので、三河一向一揆を平定して酒井、吉良、荒川領をゲットしても家康の版図はまだ三河の半分くらいです。

 

で、話は最初に戻って、ぬるっと終わったイメージの根拠になってるの何だろう、って考えたら、帰参した家臣の多さかな。

夏目広次はゲームでは夏目吉信って名前で、三方原で家康の影武者になって死ぬ人だけども、一向一揆の前の三河平定戦では大活躍してる武将です。

ドラマでは活躍シーン無いけど。

 

ドラマでは水野信元に方便の和議を結べと言われてるけど、三州一向宗乱記では一向宗側についた松平家臣の側から和議の申し出があったとされ、大量に赦免されてすぐ次の戦に向かっている感じなので、戦後処理をしっかりやったイメージよりざっくりした感じで終わったというより収束したという感じになったイメージだからぬるっとしたように感じてるのかも。

 

曖昧な感じを上手く使って、だからこそ「元通り、寺ができる前の野原に」っていう強引な理屈ができたりしたわけで。

 

なお、史書にはその方便が本多正信案とは書いてないので、ドラマのその部分は創作だけども、これから50年後の大阪の陣の時にもこれ以上の無茶苦茶な理屈で大阪城攻めるので、年末くらいにまた本多正信がそういうセリフ言うのかな、と。

 

来週は平和な話なるのでしょうか。

 

次回もお楽しみに!