大河ドラマの解説コーナー⑦ #どうする家康 | わんわん物語

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~異界から目薬~

今日もリアルタイムで見られました。

本日は名前が元康から家康に変わる話からの、三河一向一揆に向かう話でした。

 

「徳川家康」ってほんと不思議な名前なのです。

 

元服した時は松平蔵人佐元信(まつだいら くらんどのすけ もとのぶ)という名前だったのが、元康となり、今川から独立して今川義元からもらった「元」の字を捨てて家康となり、三河守の官位を得るために三河守を名乗れる姓として徳川に改姓し、徳川家康となりました。

 

徳川改姓の件はウィキの説明に出典も書いてあるのでウィキ以上の解説はできないんだけど、途中で世良田(せらだ)という名字が出てきて、このあたりを上手く使って隆慶一郎が「影武者徳川家康」を書いてるので深く考え出すと闇が止まらないことになります。

 

影武者徳川家康の主人公(家康の影武者)の名前は世良田二郎三郎とし、家康の祖父清康も世良田と名乗った時期もあるし徳川改姓の話の中でも出てくるし、そういう人物を作り上げることによっていろんなニアミスから実は真実が隠されているのでは、という影武者説の信憑性が出てくるわけですよ。

 

で、松平氏って通字(代々の名前に共通する字)がよくわからんのですよ。

家康は安祥松平氏5代目だけど、多いのは親、忠、信で、家康の康は祖父清康くらい。

だから元服した時の元信はわかるんだけど、それを清康からとって元康に変えたのが謎。

 

そして長男竹千代は元服して信康と名乗るんだけど、「信」は信長からもらった「信」で、そうすると「信」の下は一般的には通字になるので家康は「康」を通字にしようとしたっぽい。

 

ま、そもそも松平氏の名前に法則性が無いので考えてもしょうがないんだけど、考えると歴史の謎っぽくなっていく。

 

次男秀忠は秀吉からもらった字と父広忠の組み合わせで、3代将軍家光から「康」ではなく「家」が徳川家の通字になっていくんだけど、それはたぶん家臣に「康」の字をあげまくっちゃったから。

 

そして「家」の字の起源が諸説あるんだけど、ウィキでは母の再婚相手の久松さんが一時期「長家」と名乗っていて、母の再婚相手なら父と同様ということで家の字をもらったところ、天下統一した人の名前が家臣からもらった字だったってなるとアレなので由来を隠したと説明されています。

 

ドラマでは「三河を一つの家のように思って」とか「源氏の始祖八幡太郎義家」とか言ってましたが、さっぱりピンと来ません。

当時は三河を統一してもいなければ松平氏すら統一できてなく、三河の中では大きな勢力であっても張り合える三河の豪族は他にもいたし、源氏の祖から取るってさっぱりさっぱり。

 

そもそもが偏諱を受けるほどの家臣が謀反を起こして成功し、元の主君の名前を捨てるなんて稀有な例なのです。

 

他に有名なのは陶晴賢くらいで主君大内義隆を討って元は隆房という名だったのを改めて晴賢にしたんだけど、晴は傀儡にした義隆の子の晴英からもらったんだけど、晴英は将軍足利義晴から晴の字をもらったので、それ家臣にあげて良いのか・・・

 

でも賢の由来を探してもわからないので、家康の家もわからないんだよなあ。。。

 

祖父の康を下にしてるから家の方には意味がありそうで、意味を探すならば、例えば強力に支援してくれた人や大きな力を持った味方だけど、信長や水野信元とは対等にいたい、となるとやっぱり母の再婚相手の久松さんと考えるのは妥当な線かもしれない。

 

が、、、パワー的には微妙なような。。。

 

ということで長々考察しておいて結局わからない、という結論なんだけど、こういう考察は楽しいよね、ってことで。

 

前置きが長くなりました。

一向一揆の話です。

 

参考書はこちら。

 

 


 

こちらは麒麟がくるで光秀が比叡山焼き討ちした時の解説でも引用していますが、一揆ってなんぞやっていう研究が書いてあります。

 

まず、一揆という言葉自体の意味は、目的を同じくする者たちが団結する、みたいなニュアンスです。

なので、民衆が領主に反乱するっていう意味に捕らえられがちだけど、それは一揆の一つの形式であって広義には何かの組織は一揆と呼んで差し支えありません。

 

サークル、同好会、自治会、消防団、などなど。

 

で、浄土真宗が領主を攻めたり、領主からの要求を拒んで武装して寺に立てこもったりすることを一向一揆と言い、一向一揆の参加メンバーを一向宗と言います。

 

線引きが難しいのは、一向一揆と関わりの無い浄土宗信徒ですが、細かくするとわかりにくくなるのでとりあえず戦国時代の浄土真宗ってことにしますね。

 

イメージをわかりやすくするには一向宗が登場する小説を読むことですが、例えば先程挙げた隆慶一郎の「影武者徳川家康」では主人公(家康の影武者)は一向一揆の参加者で、一向一揆の中で本多正信と出会って影武者に抜擢されます。

 

隆慶一郎は網野善彦の一般の民衆に当てはまらない(定住していなかったり国境や山奥など領主がいないところで生きている)人々を「道々の輩」とする概念で物語を描いていて、一向一揆には浄土真宗の信徒だけでなくそういった人々が自由のための戦いとして参加していたとしています。

 

あとは、一向一揆に傭兵として加わっていた雑賀衆の首領の雑賀孫市を主人公とした司馬遼太郎の「尻啖え孫市」。

ゲーム等で登場する雑賀孫市のキャラのモチーフはこの小説です。

 

他には和田竜の村上海賊の娘。

村上海賊が一向宗の総本山の大阪の堺へ海上支援を行い、それを阻むため織田軍が海戦を仕掛ける木津川口の戦いを描いた小説です。

 

これらの中では一向宗がどれだけ斬新で民衆の支持を得た集団だったかがたくさん描かれています。

 

要するに、めちゃめちゃわかりやすくエンターテイメント性も宗教としての救いもあったのです。

 

難しい説法や意味のわからない経典ではなく、「南無阿弥陀仏と唱えればいい」といい、あとはどんちゃん騒ぎするわけですよ。

 

あ、一向一揆の前に浄土真宗とはだけど、鎌倉時代に親鸞(しんらん)という人が立てた仏教の宗派で、本願寺という寺を立てて布教をしてました。

そんなに大きくない宗派だったのが、8世の蓮如の時に勃興して勢力を強めていったのです。

 

ドラマで出てきた空誓上人も蓮如の孫と言ってたような気がしますが、戦国時代になると11世の顕如の時代で、蓮如から血が繋がってるとかめっちゃアイドルでした。

 

ドラマの当時ではすでに全国に一向宗がいて、各地で他宗派と戦したり、加賀では領主を討ち取って「百姓の持ちたる国」と言われる状態になってたりしました。

 

これだけ一向宗が大流行した教義の斬新さって、音楽で例えれば作曲家の人生や作曲した時の心境を勉強しないと理解できない音楽ばっかりだった時にいきなり西野カナ聴いた、みたいな感じかな。

 

パソコンで例えれば専門知識を持ってタグ打たないとソフト起動できなかったDOSからアイコンをダブルクリックするだけでOKになったウィンドウズが出た時のような。

 

戒律も厳しくなくて妻帯もOKなので、会いに行けるアイドルばりなニュアンスでヤれるお坊さんっていうのも。。。

 

日常のハレの日が宗教的な祭事だけだった時代、自分と自分の家族の行事の全てを司る寺からの指示の拘束力は現代では想像も難しいけどもかなり強かった、というか絶対的なものだったんじゃないかと思います。

 

ドラマでは家康は冷めた目で見ていますが、家康だって自分が所属する宗派にはなかなか異を唱えられなかったんじゃないかな。

 

生きている間は自分の努力で多少はなんとかなっても死んだあと自分と自分の家族が極楽へ行けるか地獄に落ちるか、決めるのは神仏だけど、その神仏の言葉を解釈してどうすれば極楽に行けてどうすれば地獄に行くのか教えてくれるのが僧であり寺であるわけで。

 

なので浄土真宗の僧が「進めば極楽、引けば無間地獄」「南無阿弥陀仏と唱えれば極楽往生」と言えば相手が主君でも死を恐れず突撃してくる兵できるので、そうなるのが来週です。

 

ちょっと一向一揆って見方がいっぱいあってしっくりくる解説が難しいんだけど、わかっていくにはたくさんの史料、論文、研究本を読んでいかないといけない感じ。

 

なのでさっき挙げた小説でも良いし、三河の一向一揆ならやっぱ宮城谷昌光「新三河物語」が良かったりします。

 

しかも三河の一向一揆って他の一向一揆とテイストが違うし。

主に、

・三河国内から外に波及してない

・他の大名からの干渉が無い

・徳川家臣がたくさん参加して一向一揆っていうより一斉謀反みたいな感じ

です。

 

一向一揆の拠点となった当時の寺は壊されちゃってるからどんだけ寺が城塞になってたかもわからんし。

 

だから今日の本證寺のCGも清州(清須)城のアレなのか、実際の感じを史料から考察して再現したのかわかりません。

が、さすがに岡崎城よりでかいってことはないと思う。

 

来週は凄惨なことになる話だと思うのですが、どのくらい臨場感を出してくれるのか、期待しています。

 

三河一向一揆、来週もお楽しみに!