大河ドラマの解説コーナー④ #どうする家康 | わんわん物語

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~異界から目薬~

4話目やっと見れました。

今回は清洲同盟っていう、またしても歴史の謎イベントです。

 

何が謎かって、清洲同盟と後世呼ばれる織田信長と松平元康(徳川家康)の同盟ですが、そもそも戦国時代における同盟の概念とは、というのと、家康は清洲まで行ってない説、更に踏み込めば個人的に推してるのは織田と松平の同盟ではなくて、織田と松平と仲介の水野の三国同盟だった説っていうのがあります。

 

ドラマでは信長が妹のお市と家康を結婚させようとして物議をかもしておりますが、一般的に戦国武将同士が重大な約束をする時は婚姻を結ぶか人質を渡すので、それらの記録がよくわからない清洲同盟も正確なところはわからないのです。

 

なにせ、同盟の内容を記した書状が残っていないという。

あともろもろ形式が不明。

 

わんさんの戦国時代の外交に関する知識は主にこの本を基本にしています。

 

 

戦国大名の「外交」

丸島和洋

 

この本によると、当たり前のことだけど大名同士が直接会って外交したりしないよ、ってことが書かれていて、外交の形式、手順について詳しく書かれています。

 

通常はそれぞれの勢力に取次役っていう立場の人がいて、事前に外交の内容を取次役同士で決めておいて、最後に大名のサインが入った手紙を交換して外交成立っていう流れです。

 

このあたりは現代と同じで、国同士でもあらかじめ外交官同士で話をつけておいて、総理大臣と大統領が会う時は笑顔で握手するだけ、っていう風になります。

 

最初から国家の元首同士が交渉して決裂すると戦になるので。

 

なので、家康が信長に直接会いに行ったっていうのがいかに異例なことか、っていうか絶対対等な同盟ではないと思うのが自然だと思うのだけれども。

 

2話目で家康が武田信玄に手紙を送ったのを信玄が踏みつけてたのも、この本によると信玄が傲慢なのではなく、取次を通さず、しかも今川家臣の身分で武田家当主にいきなり手紙を送りつけた家康が、作法も形式も無視した無礼を働いたってことになります。

 

後年家康を裏切る石川数正も織田、豊臣への取次役で板挟みになった挙げ句の裏切りだし、明智光秀も四国の長宗我部家の取次役で、信長が長宗我部征伐を決めたから本能寺の変を起こしたという説もあってこの取次役目線で戦国時代を見てみるのも新たな発見があります。

 

で、話を清洲同盟に戻しましょう。

 

清州城があんな形してたのはそういう予想図があるからなのですが、何であんな閲兵場みたいなのができたんでしょうね。

信長公記では清洲がものすごく繁栄してる描写が多々あるので城下は賑わっていたと思いますが、どういう根拠で閲兵場ができたのか。

 

現在は謎の天守閣付きレプリカがあって更に意味不明です。

名古屋から岐阜に行く時に電車から見えますよ。

 

ただし、清洲の駅からはちょっと遠いのと、城に行くまでに工場しか無い。

地形は平らで、清州城を防衛用に改修するといろんな仕掛けが必要になると思うのであの広場も何かの仕掛けなのでしょうか。

 

那古屋という字だった名古屋城から北の清洲へ本拠替えしてるので、やっぱり信長の狙いは三河より美濃だったとわかります。

 

清洲に移転して7年ほどで、もっと美濃攻略へ便利な小牧山に城下町ごと引っ越してしまうのでその後の清洲の消息は本能寺の変後の清洲会議までよくわかりませんが、清州会議後は再び尾張の主城として有力武将が納めます。

 

そんな清洲城で水野信元が仲介となって家康は信長と同盟を結ぶのですが、冒頭に書いた通り、取次役はいないから仲介が必要でそれを水野信元が務めました。

 

じゃあ水野信元が織田方の松平に対する取次か、っていうとそうでもないので、水野って何だよ、となって、水野は織田方であっても織田家臣ではなく、家康の叔父であっても松平家臣でもなく、織田と松平が不戦条約結んだら必然的に仲介の水野も両者と不戦なので三国同盟じゃね?って説が出てくるのです。

 

で、水野が織田家臣ではないってところが曖昧なのですが、確かに信長の命で動いてはいるんだけど、他の家臣のように遠くに戦いに行ってはいません。

主に伊勢方面、と松平への援軍。

 

次第に最近流行りの従属形態の考え方である「両属」っぽくなっていきます。

明智光秀は足利義昭と織田信長両方から給料もらってたのに対して水野はどちらからも給料もらってないけど、織田も徳川も勢力拡大して水野より強大になっていっても水野の領地は増えていかないのでどんどん立場が弱くなっていくわけですね。

 

長篠の戦いでも主力部隊の一つとして布陣していますが、長篠の後は信元は謀殺されて水野は一族で織田に仕える者と徳川に仕える者に分かれます。

 

と、水野は途中で脱落してしまいますが、その遠因の一つに清洲同盟に混じっていて邪魔だったんじゃないかっていうのがあるのではないかと。

 

織田と徳川の同盟は戦国時代に他に例の無い信長が死ぬまで続いた同盟です。

っていうところで、やっぱり同盟じゃなくてほぼ従属の形だったんじゃないか、と思うのですが。

 

家康から信長への援軍は朝倉攻めの時だけ、信長から家康への援軍は三方原の戦いと長篠の戦いのみ。

信長の伊勢侵攻とか、三河で一向一揆とか近いとこの援軍は水野さんががんばる、という図式です。

 

ほぼ口約束の同盟ですが、お互いにメリットが大きかったんでしょうね。

信長は美濃を制圧して京を目指し、家康は今川領を切り取っていく。

むしろ同盟を破って後背と戦することに何のメリットも無かった、と。

 

なお、信長が美濃制圧するのが桶狭間から7年後の1567年で、その年かその翌年ごろにお市が浅井長政に嫁ぎます。

お市の悲恋物語はよく知られているところなのでドラマでの家康との縁談話は物議をかもしていますが、ウィキペディアでのお市の生年は1547年で浅井家に嫁ぐ時には20歳前後とすると当時の結婚年齢としては遅く、それよりも前に縁談の話はあった方が自然です。

 

清洲同盟時に縁談話が無いのは不自然、お市が浅井に嫁ぐのが遅いのも不自然ならば創作としてはアリですね。

 

あと4話目の主題として、家康が「今川を討つ!」って決意する流れの件ですが、これは強い決意がなくとも織田につけば今川と戦うことになるのは自明で、それよりも3話目でやってた今川に虐げられてきた三河の解放の方がスムーズなのではないかと。

 

先週からの引き続きの、家康はなぜ今川に反旗を翻したのか、ってところの強調だけれども、難しい研究テーマになるところを人質に取られた妻子が苦しめられてるのを救うためってしてしまうのはわかりやすくしようとしたんだろうけど安っぽい演出な感じがします。

 

実のところ、家康の妻は今川の一門なので、救出することは今川領侵攻への重要な鍵になります。

 

つまり、妻が今川の一門だから家康も今川の一門、今川の家督の継承権があるという今川氏真を討つことの大義名分になるのです。

 

なので、妻子の奪還は愛情以上に重要なミッションなのですが、たぶん当時誰も気づいてないので演出上は放置で良いのかな。

気づくのは今川滅亡後、今川の旧臣たちが家康の妻がいることで徳川に仕えることに納得した、というところで、これがまた悲劇の種になるのですが、それはまた追々。

 

そして今川氏真についても語りたいし、秀吉についても語りたいのですが、長くなるので今日はこのあたりで。

 

次回は瀬名奪還、お楽しみに!