大河ドラマの解説コーナー② | わんわん物語

わんわん物語

~異界から目薬~

やっと先週分見られました。

明日のはいつ見ることができるのか・・・

 

というわけで遅くなりましたが先週の解説コーナーです。

 

ツイッターでは1話目から批難だらけで、その反論も相まって評判カオスなわけですが。。。

わんさんの批難は、「史実通りじゃなきゃやだ!」っていうのじゃなくて、漫画を実写化した時になるやつ、っていう感覚でしょうか。

 

ストーリーすっ飛ばしで好きなキャラの好きなシーンがカットされてたり、さらには実写版の脚本家が勝手にストーリー変えてたりするやつ。

 

勝手にストーリー変えるのも、「このシーン使ってこんな解釈もできるのか」とか「裏側にこんなストーリー追加できるのか」っていう上手いやつなら良いんだけど、それが下手っていうか安っぽいのがいけないわけですよ。

 

なので、2話目はどんなことになるのか、と思いながら見たわけですが、前半はダメだったけど後半はアリっていう感想でした。

 

そのあたりのところを解説します。

 

2話目は先週予想した通りやっぱり生まれた時からの話に戻りながらの大高退却戦でした。

これ、名前付いて無いんだよね。

兵糧入れは「大高兵糧入れ」って名前付いてるのに、大高城から岡崎への退却は名前がついてません。

 

ピンチ度的には本能寺の変の時に大阪の堺から明智軍や反織田勢力だらけの畿内と突破して岡崎へ帰る「神君伊賀越え」に匹敵します。

 

味方の今川勢は壊滅して退却、敵地に残るのは大高城にいる三河勢のみ、というのは実は嘘で鳴海城にも今川先方衆の岡部さんがいるのですが、岡部さんがどうやって鳴海城を守り続けてたのか不明なので退却しようとする勢力は三河勢のみ。

 

たぶんなんだけど、鳴海城の方には海上から兵糧輸送ができていて、まだまだ籠城に耐えられる感じだったんじゃないかと。

で、岡部さんは今川義元の首と引き換えに鳴海城を開城、帰りに水野氏の城(刈谷城)を攻撃して水野一族(信近)を討ち取って堂々と駿府に帰ります。

この人すげえよ。

 

なので、義元の首を槍の先に引っ掛けてポーンと投げてはいけません。

城一つと引き換えるものです。

 

で、先週も話に出してる水野氏、冒頭で家康産んでるのが水野氏なんですね。

 

今回の大河はなぜか頑なに水野氏を出そうとしないのですね。

戸田さんは出したのに。

 

戸田氏は渥美半島に勢力を持っていた豪族で、当時は尾張、三河、遠江、駿河と東海道の移動には手元の史料では海路を取ることが多かったように感じます。

連歌師が大名に招かれて各地を巡った記録の宗長日記、公家の山科言継が大名から朝廷への献金を集めていろんなとこに行った記録の時継卿記など、京都から東海への移動は伊勢桑名あたりから船に乗って各国の港を経由して移動し、陸路はあまり使ってません。

 

もちろん紙持ってて文字も書けるセレブで知識人の移動なので一般人はわからないけど、賊に襲われたり領地をまたぐごとに通行料取られる陸路より、1回ちゃんとお金を払えば安全に移動できる海路の方が良かったのでしょうか。

 

そんな海路の要衝である渥美半島の領主の戸田氏、こちらも一族でお家騒動の内部分裂してて、親今川派、反今川派(必然的に親織田派)になってて戸田宗光(康光)って人が松平から預かった今川への人質の家康を拉致して織田に送ってしまうのです。

 

ちなみに知多半島から境川両岸を領有してたのが水野氏です。

 

これたぶん自分で作ったやつ。

ざっくりなので細かいとこは気にしないで欲しいのですが、戸田氏は牧野氏を攻めて今の豊橋のあたりまで領地を持っていました。

戸田氏と牧野氏は戦国時代は家康が三河を統一するまで争ってますが両方とも幕末がんばって生き延びます。

 

戸田氏は家康を織田に送った後、激怒した今川に攻められて渥美半島を失ってしまいますが、近年の研究では戸田氏が家康を拉致して織田に送った話は否定気味です。

 

このあたり、史料の解釈が難しいのでなんとも言えないのですが、戸田氏の位置、陸だけ見ればこの場所で今川裏切ったら孤立じゃん、ってところなのですが、海路ならすぐ尾張に行けるわけで、菅沼氏も奥平氏も反乱起こしてるし、吉良氏は将軍家の血筋で勢力弱まってるけど権威大きいし、どんな力が働いて見えない動きが起こっているのかがわからないのです。

 

一時織田と今川が和睦したという史料もあって、その際に織田が松平を攻めて普通に家康を人質にゲットした、っていうのが戸田拉致否定の研究の見解です。

 

で、今川で人質だった先週と同様、松平の御曹司を握るっていうのは織田にとっても大きな切り札だから、織田の人質となっても家康はVIPだったはずなのです。

 

やがて松平の当主になった時に織田に恭順させておかなければならないので、そんなひどい扱いしないだろ、と思ったのですがそれは信長には通じないかもしれないので織田でボコボコにさせてるのはアリです。

 

が、やっと話を桶狭間に戻して、大高城からの退却。

三河物語などでは水野氏の使者が来て今川軍壊滅と義元討ち死にを知らせ、岡崎へ先導を努めたという。

使者の名は浅井六之助、と名まで伝わっています。

 

水野は織田方なので、浅井六之助の先導で織田勢からの攻撃を避け、無事に岡崎へ戻ることができたのですが、すぐには岡崎城へ入りませんでした。

 

ドラマでは家康は駿府へ帰りたがっていたことになっていますが、岡崎城は今川の城番が預かる城で松平氏のものではなく、勝手に入城できない、っていう理由が一般的です。

 

そこで松平氏の菩提寺である大樹寺に一旦入るわけですが、このお寺はとても良いですよ。

歴史スポットとしての価値も大きいのですが、徳川歴代将軍の身長に合わせた大きさの位牌があり、身長って数字があっても意外と史料では実感できないからそれを実感できるのは貴重なのです。

 

ちなみに番組ラストでやってた大樹寺のビスタライン、お寺からだとこんな感じ。

真ん中めっちゃ拡大すると岡崎城のシルエットが見えます。

 

ここでの家康切腹シーンでたくさん時間取ってたのはグッジョブです。

切腹を止めたのは登誉上人ですが、ドラマでは平八郎さんががんばってました。

 

お寺に行くと、ここに攻めてきた敵を門のカンヌキを武器にして戦った僧兵の話と、そのカンヌキがあります。

攻めてきたのが大草松平だったかは、わかりません。

 

ただ、桶狭間の戦いの大きな謎の一つに、勝った織田軍が三河を攻めていないというのがあり、大樹寺に攻撃してきたの誰よ、目的は何よ、っていう不思議なエピソードなので反家康のどこかの松平氏っていう解釈もできますが、水野の使者を先導にしてるのに攻撃すると織田も敵に回してしまうので、落ち武者狩り的な感じなのかなあ。

 

ともかくも、ここで家康は「厭離穢土欣求浄土」(おんりえど ごんぐじょうど)という言葉に出会い、この文字を旗印にします。

汚れた地を離れて極楽を目指そう、という意味に捕らえられますが、漢字の解釈だからいろいろ捕らえられます。

ドラマで最初に家康が勘違いしたように、死んで極楽へ、とも受け取れるし、トイレに貼ってあったら「汚いのはやだ、キレイにしよう」か「使い終わったら流してください」だし。

 

大樹寺での家康覚醒は史料からも感じとれるところで、余計なエピソードがなくてもこの後の家康は何かを秘めつつ主体性を持って動くようになります。

 

その目的が「厭離穢土欣求浄土」ということだから、大樹寺でのこのシーンは大事なのです。

 

この後、城番が逃げた岡崎城をゲットするわけですが、その際の「捨て城ならば拾おう」っていう名セリフがまさかのカットっていう。

 

律儀に岡崎城への入城を待ち、城番がいなくなってやっと入城したっていう家康の性格を表すセリフなのに。

城が捨ててあったんだから拾っても構わないよねっていう理屈をつけるお茶目なところもあるセリフなのに。

 

岡崎に入ったあと1年ほど織田や水野、それからさっきの地図の上の方にいた鈴木さんと戦って岡崎より西の領地を安定させた上で織田、水野と同盟結んで三河統一戦に乗り出すわけですが、そのあたりはどう描かれるのか、、、

 

なんだかんだで来週も、っていうか明日もお楽しみに!