あの地震から26年、大阪での私の記憶 | 【大阪 八尾市】ミニマリストは目指さない!捨てるのが大好きな専門家 ステリストきーやんのブログ

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大阪府八尾市在住。捨てるの大好きステリストのきーやんです
ポメラニアン4匹と猫も1匹。高齢の母との毎日
片付けはまず物と向き合い物を減らすことから始まる
物にあふれた空間をなんとかしたい人のお手伝いをしています

 

けっして捨てない

 

そんなに月日が過ぎたのかと考え込んだ

捨てるのが大好きな専門家

ステリストきーやんです

 

阪神・淡路大震災

 

今日であの日から26年が経ったのね

このブログに遊びに来てくださってるあなたへ

大阪で暮らしていた私が体験した

あの日のことを今日は話します

 

時刻は午前5時46分

あの日、自宅でまだ寝ていた私

 

ドーーン

 

聞いたことがない音

旅客機かなにかが近くに落ちた!

と思うくらいの音でした

ごう音と共に体験したことのない強い揺れ

 

当時、母は1階私は2階で寝ていたのですが

揺れの中、寝室のドアは開いたけれど

1階に降りられない

 

「大丈夫〜〜!!」

「大丈夫〜〜!!」

 

あまりに強い揺れに立ち上がるのも

恐ろしくて母と私は大声で

お互い声だけを掛け合ってました

 

揺れがおさまり1階へ降りると

地震だということは分かりながらも

一体何がおこったのか理解できず

ボ〜ッとしていたのを覚えています

 

すぐにテレビをつけましたが

どのチャンネルからも情報は流れず

確か7時は過ぎていたかと思います

テレビに映る光景に息が止まりました

 

倒れた阪神高速

跡形もないビル

炎に包まれた街

 

大阪とは言え奈良に近い場所に住んでいるのに

あれだけ強い揺れだったのですから

震源地は甚大な被害となりました

 

呆然とテレビ画面を見つめながら

突然くる余震におびえました

余震なのにキッチンに机が動くくらいだったので

揺れのたびに母と机の下に潜り込む

特に本震直後の余震は大きかったような

記憶があります

 

今思い出すと間違っていたのですが

その日から母と1階で布団を並べて寝る日々

本当は2階で寝たほうが安全だと知ったのは

はるか月日が過ぎてからでした

 

車で1時間程度しか離れていないのに

被害こそあれどすぐに日常を取り戻した大阪と

被害の全貌さえわからない神戸

詳細が分かればわかるほど胸が痛みました

 

家が全壊した知人

家族を亡くした知人

神戸から離れた友人

神戸に残った友人

 

今のようにSNSが発達していなかった26年前

安否が分かるまでにどれだけ時間がかかったか

今思えば、何もできない自分が腹立たしかった

 

毎年1月17日がくると

あの日のことを鮮明に思い出します

この記憶を私は

 

絶対に捨てません

 

どんな小さなことでも忘れたらあかん

そう思っています

 

長文で文字ばっかりになってけど

最後まで読んでくれて

 

ありがとう

 

以上

 

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