2017年12月に発売された野球雲10号は

消えた球団シリーズ第3弾として

「松竹ロビンス」を特集しました。

 

三代目田村駒次郎氏と奇跡的な出会いによって、

それも、奇跡的な資料、写真を見せていただいた結果

編集、発行でkした特集でした。

 

そして、松竹ロビンス特集にあたり

編集メモというかノートがあります。

そこから、現在のプロ野球、社会では

どのような位置だったのか?考えてみました。

 

◎大東京軍創設について

鈴木龍二氏が40歳まで新聞記者で野球に全く関係なかったのに、

大東京に関わり変わっていった。

そこで小西得郎を監督として球団に加入させたが、

鈴木、小西は同じ歳で

後々色々な人脈を連れてくる重要な2人が

大東京軍で出会ったのがおもしろい。

 

小西得郎監督

 

◎プロ野球創設時の関係
 

大東京は弱い球団ではあるけど、思っている以上に重要な球団だ。

元々の発生の時点で関西に阪神があって、

名古屋に名古屋軍ができて要するに新聞社のライバル、

愛知新聞と名古屋新聞があり、正力は名古屋軍を誘った。

 

地方に球団をできたときに、

東京は巨人だけでは寂しいので、セネターズをつくった。

 

本当は鈴木龍二と小西得郎がいて、

野球史の中でキーパーソンとなる人物が

今となっては非主流の球団からの出現が面白い。

 

鈴木龍二は野球を知らない。小西得郎はモラルを知らない。

小西は面白すぎる人生で、傍系としての存在がとても大きい。

 

プロ野球の主流派が正力松太郎の巨人だったり、

関西だったら阪神、甲子園球場、後楽園球場だったりする。

その中で傍流としての大東京も面白い。

大東京から松竹までの流れはとても魅力的です。

 

その流れの中に田村駒治郎が1937(昭和12)年に登場する。

田村駒は道楽者で大阪の繊維会社の御曹司というキャラクターが、

大東京軍を道楽球団として完成したように思える。

 

だから、勝敗も去ることながら個性的で面白いという、

サイドストーリーが中心として語られる球団のひとつだ。

過去にプロ野球史の中には

強い球団以上に弱い球団があった。

 

弱いチームと言うにも種類があって、悲惨で弱い球団。

話題を振りまきながら動いていくどこか気になる球団。

選手も坪内道則、水谷則一、鬼頭数雄、林安夫、真田重蔵・・・

 

 

選手としても偏りがあって、

少なくともエリートと言われた選手は少なかった。

それが一つの魅力で、戦前はそれなりに人気があったようだ。

 

そして、ライオン、朝日軍、松竹と変わってきたけど

スポンサーが変わっただけで、球団の性質が変わったわけではない。

ブランドとして確立されないのが今となっては悲しい。

今後も球団の興亡史は取り上げて行きたいと思っています。

 

 

 

 

 

 

 

 

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