ラグビー・ワールドカップ | 昭和を懐古する部屋

昭和を懐古する部屋

ブログの説明を入力します。

サッカーのワールドカップが大詰めを迎えておりますが,我が職場では全く話題に上りませんでした.我が職場がガラパゴス状態なのか,それがフツーなのか分かりませんが,多分後者でしょう.我が代表も,運が大いに味方して,ぎりぎり最低限,結果オーライな形で幕を閉じましたが,本田のみ本領発揮で株を上げた,といったところでしょうか.さすが!

 

で,さぁ次は,来年のラグビー・ワールドカップで,なんと日本開催ですよ.皆さん,盛り上がっていますかぁー(シーン),っていうか,知っていましたかぁー,日本開催っていうこと,っていうか,ラグビーにもワールドカップがあること知っていましたかぁー.

 

宮城県のラグビー親善大使でもあるサンドウィッチマンは,これを盛り上げるべくラジオのレギュラー番組で頑張っておられますが,お茶の間の反応は激薄かと思います.イヤッ,当然のことながらサンドウィッチマンが悪いわけではない.すべては,ガラパゴス化したラグビー協会の力不足です.おじーさん達の集合体ですから,しょーがない.森元首相に盛り上げてもらうしか方策がない.

 

ということで?ラグビー経験者でもある昭和おやじがここに,古き良き時代であった昭和のラグビーについて懐古しておきたいと思います.興味の無い方はスルーを.

 

ラグビー・ワールドカップの第1回開催1987年,昭和も押し詰まった62年のことでございます.以前にも書きましたが(ここ),我が日本においては,昭和40年代後半からのラグビー人気はサッカーを遥かに上回っていたのです.正確には,早慶明同(同志社)を中心にした“大学ラグビー人気”なのですが,釜石やリコー等の社会人も頑張っており,正月15日の「社会人1位 vs 大学1位」決戦という日本人好みのコンテンツもあり,代表はテストマッチに惨敗続きであるにも関わらず大いに盛り上がったのでした(これが今でも理解できん).

 

年末の風物詩である旧国立競技場での早明戦・早慶戦などは,チケット争奪戦の余りの狂乱ぶりが原因で抽選制度となり,58000枚のチケットを求めて60万通の応募が殺到したのでした.盛者必衰栄枯盛衰,過去の栄光は夢幻のごとくなり,なのですゎ.

 

そんな中で迎えた第1回ワールドカップなのですが,我が代表は予想通り3戦全敗,ニュージーランド(オールブラックス)の強烈さだけが際立った大会でした.しかし,そのオールブラックスの来日人気にも便乗して,ラグビー人気は衰える気配も見せなかったのでした.

 

そしてそのラグビー人気は,1993年のJリーグ開幕と,1995年の第3回ラグビー・ワールドカップでニュージーランドに145 vs 14」の世界新記録敗北を喫することで,アッという間に終焉を迎えるのでした.それまで,どれだけテストマッチで惨敗しようが衰え知らずの人気を誇っていたことから,ラグビー協会の幹部達は,何が起こっているのか全く理解できなかったことでしょう.理解できていたとしても,何をどう対処すれば良いのか分からなかったでしょう.おじーさん達の集団でしたから.

 

そんなこんなで,来年のワールドカップ開催を目前に控える我が代表チームですが,監督を筆頭にして,今や先発メンバーの半数を外国人選手(帰化選手を含む)が占め,攻めるも守るも,目立った働きをするのはその外国人選手たちで,少なくとも昭和おやじは,代表に何のシンパシーも感じなくなってしまいました.

 

今日は,“現状に胡坐をかいていると,とんでもないことになる”というお話でした.