1 プラハのホテルの部屋(デザインホテルで、内装が凝っています。)
3 ホテルの近くのスーパーマーケットで買ってきたパン
4 野菜とみやげものの市場(ハベルスカ市場)
5 上と同じ
6 旧市街広場 真ん中の2つの塔はティーン教会
6 旧市街広場
7 旧市街広場 像はフス(宗教改革で異端とされ、火刑に処された)
8 旧市街広場
9 旧市街広場の旧市庁舎にある天文時計
10 ヴァーツラフ広場 正面は国立博物館
8月15日から22日まで、旅行に行ってきました。いろいろ困難がありました。とりあえず、順次写真をアップしていきます。
日程は
8/15 日本→台北→
8/16 フランクフルト→プラハ
8/17~8/19 プラハ滞在
8/20 プラハ→フランクフルト
8/21 フランクフルト→
8/22 台北→日本
いつものように個人旅行でした。13年ぶりに訪れたプラハでした。
8/15 日本からの飛行機の出発が、台北空港混雑のため、15分遅れ、さらに、台北着陸前に30分旋回し、合計45分遅れました。
そして、台北からフランクフルト行きの23時30分発の飛行機が、使用機材の到着が1時間遅れて、出発が1時間遅れ、さらに、滑走路へ向かう途中、故障でゲートへ引き返し、修理に時間がかかって、ようやく出発したのが午前3時半、つまり、4時間も遅れました。
定刻では6時にフランクフルトに着くものが、10時になり、予約してあった10時出発のルフトハンザに乗り継げず、最終的には、ルフトハンザがパーになって、新たに航空券を買わなくてはならなくなり、一番安いチェコ航空で2人分往復1300ユーロ(18万円)。おまけに出発の夜8時まで8時間以上待つことに。
このあたりが、2流会社チャイナエアラインのリスクの高さです。この会社の飛行機、慢性的に遅れます。
チャイナエアラインとルフトハンザは提携でないので、乗り継げなかった場合はこうなります。
本来ならば昼前にプラハのホテルに着くはずが、夜の10時をこえました。
8/16の夜にプラハに入り、8/17,8/18は全日雨。8/19の午前中も雨。ようやく晴れたのは8/19の午後。
今回は天気にも見捨てられ散々。
8/20の朝、CNNで天気予報を見たら、2日後に2つの大きな台風が台湾に接近中とのこと。8/22の朝に台北に着いて、さらに日本へ帰る飛行機が飛ばない?との不安がよぎり、以降、テレビはつけずに8/21にフランクフルトの空港でチェックイン。搭乗券をもらえ、無事帰国できそうになってきました。
今回感じたことはいろいろありました。小学校低学年以下の分別のない子供を公共交通機関に乗せること、特に、飛行機に乗せて海外へ連れていくことはNGです。だいたい、連れて行ったところで、子供がわかるわけがないし、楽しいはずもない。親が自分が行きたいために、子供を連れて行き、ギャーギャー泣いたり、歩き回ったりして、周囲に迷惑をかけることは許されません。子供だから仕方がないとか、子供だから許される、と思っている親が多いですが、親の責任です。
私がまだ20代の頃、小さい子供のいる同僚が、「うちは子供が小さいから、車でしか出かけられない。」と言っていました。これが常識的な考えです。公共交通機関では周囲に迷惑がかかるから、自家用車で連れていくということです。
1 8/15 日本→台北 機内食(和食)
2 8/15 日本→台北 機内食(デザート)
3 8/16 台北→フランクフルト(B747の機内)先頭なので、細くなっています。
3 8/16 台北→フランクフルト 機内食(western style)
4 8/16 台北→フランクフルト 機内食(デザート)
5 8/16 台北→フランクフルト 機内食(到着前の朝食)
この10日間に、地元と東京を2往復、地元と滋賀県長浜市を1往復しました。
1回目の東京ではホテルに3泊、長浜ではホテルに2泊、2回目の東京では往路で「寝台特急サンライズ瀬戸]の1人用個室寝台シングル(上の写真)」と復路は新幹線。
新幹線に何時間も乗るのは苦痛です。
今から30年ほど前、大阪の会社に勤めていたとき、何か月に1回か、金曜日の夜に上りの「ひかり号」日曜日の夕方に下りの「ひかり号」に乗りました。その当時は「ひかり」と「こだま」しかなく、「ひかり」の停車駅は、東京、名古屋、京都、新大阪でした。(新横浜は通過で、品川駅はできていなかった。)
運賃は今と同じでしたが、当時の大卒の初任給は今の6割程度だったので、相対的な金額は高かったです。なので、金曜日の夜の上りのひかり号は、仕事帰りでそのまま東京へ帰省する人ばかり、日曜日の夕方の下りのひかり号はガラガラで、勤務地の大阪へ戻る人ばかりでした。今のように運賃が安いと客層が落ちて、小さい子供連れがいますが、当時は大人ばかりで、落ち着いた車内でした。
そんなこともあって、今は新幹線は嫌いです。
かつて、「地球の歩き方」に、ヨーロッパで「ユーレイルパスの1等車用」を使って、日本人旅行者が1等車に乗るときの注意として、ヨーロッパではそれ相応の人が1等車に乗るので、服装や振る舞いに気をつけるように、と書かれていました。そして、ヨーロッパで1等車に乗って、子供がちょろちょろ歩き回ってうっとうしいな、と思ったら、日本人でした。日本人は、どこへでも行って迷惑をかけています。最近は中国人やアメリカ人、ドイツ人、スイス人とかもですが。
初めて個人旅行、そして、ヨーロッパへ行ったのは、今から29年前、大学4年生の2月、卒業旅行でした。その頃は、インターネットはもちろんなく、海外旅行のガイドブックも、詳しいものはありませんでした。
地球の歩き方が出始めた頃で、国別ではなく、「ヨーロッパ編」と「東ヨーロッパ編」だけで、載っている地図は大雑把で、イラストマップのよう。初めて訪れた街は、半日歩き回って、街の感じをつかみました。ホテルについては、読者が泊まった情報が載せられていて、今のように3つ星以上の中級や高級ホテルについての情報は一切なし。シャワー、トイレ共同のペンションや、良くて2つ星、その他、ユースホステルについてが主でした。学生が、あまりお金をかけないで、それでいてある程度安全に旅行できるための最低限の情報が載せられていました。航空券は、個人旅行向けのものはなく、団体用に仕入れた航空券を個人に転用したもので、当時、日本とヨーロッパのエコノミークラスの正規航空券が往復で80万円位していて、その4分の1の20万円が一番安く、大韓航空でした。他は30万円位。航空券を売る会社は、DST(ダイヤモンド スチューデント ツアー:地球の歩き方を発行しているダイヤモンド社の関係)と、リクルートヤングツアーでした。後者は、なくなってしまったみたい。
実際にヨーロッパに着いてから、宿を探し、交渉して、泊まるところを決め、鉄道の切符は、駅か現地の旅行会社へ買いに行きました。今と違って、社会主義の国は、とにかく時間がかかって、それだけで一苦労でした。飛行機も、ノンストップ便はなく、一番速いのがアンカレジ経由。たいていは、シンガポール経由などの南回りで、片道30時間かけて行きました。1回着陸するたびに食事が出て、食べきれませんでした。
こうした経験をしたから、今のように、手とり足とり解説があるガイドブック、インターネットの情報、ネットで航空券も鉄道の切符もホテルも、すべて手配できてしまう時代では、あまりに楽すぎて、旅の楽しみが半減したかのようです。かつては個人旅行できなかったような人たちでさえ、出かけるようになって、やりにくくなりました。
大学時代のような若いころに個人で一人旅をすべきですね。一人で行った先で、いろいろなトラブルを解決して、それが身になります。観光地を巡ることよりも、自分でいろいろと考えて、歩くことのほうが、楽しいし、ためになるのです。卒業旅行、1人で行くべきですね。
今回の旅行、4年ぶり12回目のヨーロッパでしたが、観光客がずいぶん多くなったな、という印象です。
一概には言えませんが、アメリカ人とか、不作法ですね。乗り合いバスの座席の上に土足で片足を乗せたりするのは、たいていアメリカ人です。
大リーグの選手が試合中にガムを噛んでいるのを真似する日本選手が多いですが、良くないことをまねするのが日本人です。
外国人を相手にするとき、不愉快な思いをしたら、黙って我慢するのではなく、はっきりと不愉快である意思が伝わるようにすることも、時には必要でしょう。そうしないと、どんどん浸食してきます。
そんなようなことも感じた旅行でした。
3/29夜~3/30
3/29午後の飛行機で、リスボン→ジュネーブ→フランクフルトと移動し、
夜8時頃、空港近くのホテルに入りました。
翌3/30午前の飛行機に乗って、台北まで12時間のフライトです。この間に時差が6時間あるので、
台北到着は3/31午前6時です。
1 フランクフルト空港近くのホテルの部屋 シンプルで、部屋が狭いのですが、とても過ごしやすかったです。
2 ホテルの部屋
3 ホテルの部屋
4 フランクフルト→台北 ジャンボです。
5 機内食1品目 1口で終了
6 機内食2品目 魚とサラダとパンです。
6 機内食 2品目にエビとアスパラガスが加わりました。
7 機内食のデザート フルーツとケーキです。
3/28 バイロアルトとアルファマ リスボン中心部の観光です。
1 ホテルの近くにあるケーブルカー グロリア線(全長200m)でバイロアルトへ。
これは坂を上りきったところです。ケーブルカーの車体の落書きがすごい。
2 展望台からの眺めです。少しわかりにくいですが、向かいの丘の上には、この後行ったサンジョルジェ城があります。
3 サンロケ教会 織田信長が派遣した天正遣欧使節(中浦ジュリアン、千々岩ミゲルなど)が1か月間滞在した、イエズス会の教会です。
4 サンロケ教会の内部
5 カルモ教会 地震で倒壊しました。
6 サンジョルジェ城
7 サンジョルジェ城からの眺め
8 サンジョルジェ城からの眺め テージョ川とオレンジ色の屋根が見事
9 8と同じ
10 サンジョルジェ城からバスでフィゲイラ広場まで戻ってきました。