殿のブログ -20ページ目

殿のブログ

ブログの説明を入力します。

3/29夜~3/30

3/29午後の飛行機で、リスボン→ジュネーブ→フランクフルトと移動し、

夜8時頃、空港近くのホテルに入りました。

翌3/30午前の飛行機に乗って、台北まで12時間のフライトです。この間に時差が6時間あるので、

台北到着は3/31午前6時です。


1 フランクフルト空港近くのホテルの部屋 シンプルで、部屋が狭いのですが、とても過ごしやすかったです。

2 ホテルの部屋

3 ホテルの部屋

4 フランクフルト→台北 ジャンボです。

5 機内食1品目 1口で終了

6 機内食2品目 魚とサラダとパンです。

6 機内食 2品目にエビとアスパラガスが加わりました。

7 機内食のデザート フルーツとケーキです。

3/29 リスボン最後の朝です。

1 ホテルの部屋 ジュニアスイートで、手前の部屋から奥の部屋へ向けて。

2 ホテルの朝食の部屋の近く、何かの用途に使われているというのではなさそう。

3 ホテルの部屋に置かれていました。「次の日曜日3/29に時刻が変わります。午前1時に時計を午前2時に設定してください。」と書いてあります。3月の最終日曜日の午前1時が午前2時になって、サマータイムが開始されます。

4 ホテルの近くの風景。すっかり見慣れました。

5 空港へ向かうバスaerobusの停留所で。ここはレスタウラドーレス広場です。

3/28 バイロアルトとアルファマ  リスボン中心部の観光です。

1 ホテルの近くにあるケーブルカー グロリア線(全長200m)でバイロアルトへ。

これは坂を上りきったところです。ケーブルカーの車体の落書きがすごい。

2 展望台からの眺めです。少しわかりにくいですが、向かいの丘の上には、この後行ったサンジョルジェ城があります。

3 サンロケ教会 織田信長が派遣した天正遣欧使節(中浦ジュリアン、千々岩ミゲルなど)が1か月間滞在した、イエズス会の教会です。

4 サンロケ教会の内部

5 カルモ教会 地震で倒壊しました。

6 サンジョルジェ城

7 サンジョルジェ城からの眺め

8 サンジョルジェ城からの眺め テージョ川とオレンジ色の屋根が見事

9 8と同じ

10 サンジョルジェ城からバスでフィゲイラ広場まで戻ってきました。

サンジョルジェ城がかすかに見えます。


3/27(金)リスボン→ベレン

1 ホテルの部屋から

2 ベレン ジェロニモス修道院(世界遺産)

3 ジェロニモス修道院

有料のところと無料のところ(教会)があって、こちらは有料のところの回廊。

装飾が見事です。

4 ジェロニモス修道院

こちらは無料の教会。

5 ジェロニモス修道院

6 ジェロニモス修道院

7 ベレンの塔(世界遺産)

海ではなく、テージョ川の中に建っています。1階は潮の干満を利用した水牢になっていて、多くの政治犯が入れられました。

8 リスボンのホテルの近く 左の建物はロシオ駅です。

3/26(木)リスボン→シントラ→ロカ岬→リスボン

シントラは世界遺産に指定されている街で、見どころがたくさんあります。そこからロカ岬までバスで40分、さらに20分くらいバスに乗ると、海沿いの街カスカイスに着きます。

リスボンから1日で出かけるコースになっています。

1 リスボンのホテルのラウンジ

2 リスボンのホテルの寝室(ベッドとベッドの間が離れていて、ツインです。)

3 リスボンのホテルの朝食の部屋の手前

4 リスボンのホテルの朝食の部屋

5 リスボンのホテルの朝食

6 リスボンのホテルの前

7 リスボン ロシオ駅ホーム

8 ロシオ駅からシントラ駅までの電車(45分)

9 シントラ 王宮 2つの煙突は、キッチンの真上にあります。

10 シントラ 王宮

11 シントラ 王宮

12 シントラ 王宮 タイルに描かれた絵(アズレージョ)が見事。

13 シントラ 王宮

14  シントラ 王宮

15 シントラ 王宮

16 シントラ 王宮

17 シントラ 王宮

18 シントラ 王宮 キッチン(煙突の真下)

19 シントラ 王宮前の建物

20 シントラ ペナ宮殿 曇って見えますが、実は雨でした。標高の高いところにあるので、ここは雨でも麓のシントラ駅は降っていませんでした。

21 ペナ宮殿

22 ペナ宮殿

23 ペナ宮殿

24 ペナ宮殿

25 ペナ宮殿

27 ペナ宮殿

28 ペナ宮殿

29 ペナ宮殿

30 ペナ宮殿

31 ペナ宮殿

32 ペナ宮殿

33 シントラ駅

34 ロカ岬(左は大西洋) ユーラシア大陸の最西端です。14年ぶりに来ても感動しました。

35 ロカ岬 碑のようなものには、詩人カモンエスの「ここに地終わり、海始まる」という言葉が書いてあります。

3/25(水)台北→フランクフルト→チューリヒ→リスボン

1 台北23:45発フランクフルト行きの機内食(真夜中)

2 台北→フランクフルト 機内食(デザート)

3 台北→フランクフルト 機内食(朝食)



4 リスボンのホテルの部屋

5 リスボンのホテルの部屋

6 リスボン サンタジュスタのエレベーター 観光客で行列になっていました。

これにも市電などの1日券で乗れます。


7 リスボンのホテルの部屋 ツインの部屋を予約していたのですが、ジュニアスイートにしてくれました。

なので、寝室のほかにもう1部屋あります。これはもう1部屋の写真。


3/24(火)

1 日本→台北 機内食(和食)

2 日本→台北 機内食(デザート) いつもと同じく、フルーツと和菓子です。

3 台北 中正紀念堂(蒋介石の記念館)

4 台北 中正紀念堂 衛兵交替式

5 台北 中正紀念堂 コンサートホール

6 台北 101 (101階建てのビル 高さは508m)

上までのエレベーターは3000円くらいとられます。



2001年春以来、14年ぶりにポルトガルへ行ってきました。


今回も80歳をこえる母と2人旅です。母も元気に歩きました。

個人旅行なので、飛行機、ホテル、現地での移動その他、すべて、自分です。旅行の日程は、

3/24 日本→台北 乗り継ぎ時間が7時間以上あったので、観光局主催の無料観光に参加

    夜11時半過ぎの飛行機で、

3/25 →(逆風のため14時間もかかりました。)フランクフルト

    ルフトハンザに乗り換えて→チューリヒ(スイス)さらにスイス航空に乗り換えて

    →リスボン(この日は強い横風のため。着陸時機体は左右に振られました。生きた心地がしなかっ

    た。) 日本との時差は9時間

    ルフトハンザもスイス航空も、高々150人くらいしか乗らないのに、乗り込むのに30分以上もかか

    りました。大きな荷物の人が通路をふさいでしまうので、乗り込む行列が進まないのです。

    さらに、「リスボンカード」を買うために、リスボン空港の15人くらい並んでいたインフォメーションで

    1時間も待ちました。窓口が3か所あるのに、多くの人が事前に調べてこないで、そこで長時間相談   

    して、窓口をふさいでしまうのです。

    こういったスローペースは、日本ではあまりないことです。

    また、街を歩いていると、道を譲る人はいません。自分の都合しか考えないので、人を突き飛ばして

    も知らん顔。

3/26 リスボン→(電車で45分)シントラ(世界遺産の街です)バスに1日乗り放題の券を買って、

    王宮とペナ宮殿へ。2つとも見る価値十分。ペナ宮殿は入り口からさらにミニバスに乗り、それがか

    なり待たされるので、1番初めに行くのがベスト。

    昼食もとらずにシントラ駅に戻り、さらにバスで、ロカ岬へ。ここはユーラシア大陸の最西端。

    そして、バスでカスカイスへ行き、電車でリスボンへ。

3/27 リスボン→(市電30分)ベレン  ジェロニモス修道院とベレンの塔(いずれも世界遺産)へ。

    リスボンへ戻って、午後は地下鉄で、エルコルテイングレス(スペイン系のデパート)へ。

3/28 ケーブルカーでバイロアルトへ。(このケーブルカー、満員になって発車準備が整ってから10分くら

   いして出発。距離は200mなので、歩いたほうが早かった。)

   サンロケ教会(織田信長が派遣した、天正遣欧使節が1か月滞在したという教会)へ行き、

   サンタジュスタのエレベーターで降下、バスでサンジョルジェ城へ。眺め最高。

   夜、ホテルのラウンジでピアノリサイタル。

3/29 3月の最終日曜日のため、午前1時が午前2時に。サマータイムスタート。なので朝は暗い。

    AIRBUSで空港へ。日曜日のため、25分に1本。

    午後の飛行機でジュネーブへ。乗り換えてフランクフルトへ。(いずれも悪天候だったので、恐怖の

   着陸)  空港近くのホテルに1泊。

3/30 午前、飛行機で台北まで12時間のフライト (ベルト着用のサインがほとんどついたまま、ジェット

    コースターのようなフライトでした。)

3/31 朝6時台北着。フランクフルトとの時差が6時間(日本とは1時間)

    午前、観光し、夕方の飛行機で日本へ帰国。

何事もなかったということはなく、いろいろなトラブルがありました。個人旅行ではそういうリスクがあるのですが、それでも自分でいろいろすることが楽しいです。

写真は次回以降にします。



今回は、パスポートとビザと出入国スタンプ パスポートの大きさ、色、有効期間、種類

ヨーロッパ(EU)の出入国など、ずいぶん変わりました。


1 1977年 この頃のパスポートは、数次旅券(5年間有効)と1回旅券の2種類でした。

2 1984年 色が変わりました。まだ、数次旅券(5年間有効)と1回旅券の時代です。

3 1986年マカオの出国スタンプ まだ、ポルトガル領でした。

4 1986年 ギリシャの出入国スタンプ(ギリシャ語です)

5 1988年 フランス入国の観光ビザ。この頃のフランスは難民の入国が多く、数日の観光でさえ、ビザが必要になりました。東京都港区広尾のフランス大使館へ行って、ビザを取得。長い列に並びました。

6 1991年 チェコスロバキア(まだチェコとスロバキアに分離していなかった)の通過ビザ

ポーランドのクラコフからウィーンへ夜行列車で抜ける際、チェコスロバキアを通過するので、そのためにビザが必要でした。

7 1991年 ハンガリーの観光ビザ ベルリンのハンガリー大使館でとりました。要した時間は10分くらい。

8 1991年ポーランドのビザ ベルリンのポーランド大使館でとりました。もらえるまでに1日かかってしまいました。ハンガリーのビザとは大違いでした。

9 1992年 スペインの出国スタンプ 今はヨーロッパに出入国するときは、ヨーロッパの最初と最後の国で出入国審査がありますが、この当時は各国でありました。

10 1993年デンマーク コペンハーゲンのカストロップ空港の入国スタンプ

11 1994年スウェーデン ストックホルムのアーランダ空港の入国スタンプ

12 1995年ケニア ナイロビ空港でとった、ビザ 今はどうだかわかりませんが、このときはビザと、黄熱病の予防接種の証明書が必要でした。

13 1996年ケニアのビザと出入国スタンプ



ついでなので、1995年7月、1995年12月、1996年7月に行った、ケニアの写真をアップします。

1から11までは、ケニアの首都ナイロビから車で5時間近くかかる、アンボセリ国立公園で撮ったものです。ここには、キリン、シマウマ、象などはいますが、ライオンはいません。なお、後ろの山は、アフリカ最高峰の、キリマンジャロです。

1 











7  キリン



9  象

10

11

12 マサイ族の村

13 マサイ族の家の中

14 帰路立ち寄った、ドバイ(アラブ首長国連邦)