明後日7月21日から3泊4日で、1年ぶりに東京へ。今回も仕事です。さらに次の週の29日から31日も、東京を通って北関東へ仕事。2週続けて、火曜日と水曜日、出張先にいるので、エアロに出られない。今月の火曜と水曜のエアロは、終わってしまったということです。さびしい。かといって、ホテルの部屋でエアロはできないし、ストレスがたまりそうです。火曜と水曜の夜のエアロ、休みますね。
木曜は、飛行機が遅れなければ、計算上は夜8時のエアロにぎりぎり間に合うはず。夕食をどうするかが問題ですが。
明後日7月21日から3泊4日で、1年ぶりに東京へ。今回も仕事です。さらに次の週の29日から31日も、東京を通って北関東へ仕事。2週続けて、火曜日と水曜日、出張先にいるので、エアロに出られない。今月の火曜と水曜のエアロは、終わってしまったということです。さびしい。かといって、ホテルの部屋でエアロはできないし、ストレスがたまりそうです。火曜と水曜の夜のエアロ、休みますね。
木曜は、飛行機が遅れなければ、計算上は夜8時のエアロにぎりぎり間に合うはず。夕食をどうするかが問題ですが。
今年の春に、奈良、飛鳥、京都へ行ってきました。京都では、タクシーの運転手さんに勧められて、曼殊院門跡(もんぜき)と御寺泉涌寺へ行きました。この名前からわかるように、どちらも皇族や天皇に関係するお寺です。
奈良の薬師寺や東大寺、京都の金閣寺や銀閣寺といった、観光客が多く訪れる寺よりも、ひっそりとしていて、味のあるお寺に行けたことがとてもよかったです。橘寺、曼殊院がおすすめです。
1 法隆寺 夢殿

2 平城京
3 石舞台古墳
4 飛鳥大仏(飛鳥寺)
5 飛鳥寺(飛鳥)
6 蘇我入鹿首塚(飛鳥寺)
7 岡寺(飛鳥)
8 橘寺(飛鳥)
9 奈良市内の普通の道を鹿が歩いていた。
10 鹿
11 馬酔木(浄瑠璃寺)
12 浄瑠璃寺
13 曼殊院(京都)
14 曼殊院
15 曼殊院
16 曼殊院
17 曼殊院
18 曼殊院(一般の入り口)
19 曼殊院(皇族の入り口)
20 泉涌寺
21 泉涌寺
22 泉涌寺
昨夜、タイのバンコクから帰国しました。人物の写っていない写真をアップします。
1 行き 日本→台北の機内食(和食) 以前は鰻のかば焼きでしたが、質素になりました。
1' 上の画像だと、少し見づらいので、別の角度からの写真をアップ
2 行き 日本→台北の機内食(デザート)
3 行き 台北→バンコクの機内食(魚)
4 行き 台北→バンコクの機内食(デザート)
5 バンコクで滞在したホテル
6 バンコクで滞在したホテルのラウンジ
7 ワットポー(寺院) このところ、毎回行っている、お気に入りの寺院、マッサージで有名だそうです。
8 ワットポー
9 ワットポー
10 ワットポー
11 ワットポー Buddhaが寝ています。
12 ワットポー Buddhaの平らな足の裏と背中
13 ワットポー
14 ホテルの部屋の壁紙 Steve van Beek もしかしたら、1943年に22歳でナチスに処刑された
Cato Bontjes Van Beekの親戚かもしれません。
15 バンコク中心部
16 帰り バンコク→台北の機内食(魚)
17 帰り バンコク→台北の機内食(デザート)
18 帰り 台北→日本の機内食(和食)
20 帰り 台北→日本の機内食(デザート)
今日は終戦記念日です。厳密にいうと、その日以降も戦争が行われていたと聞きます。
私は20代にV.E.フランクルの「夜と霧」を読み、さらに、「地球の歩き方」で西ドイツのミュンヘン郊外に「ダッハウ収容所」という、ナチスが最初に建設した収容所があるという記事を読みました。そのあたりから、ナチスの時代に関心を持つようになり、アウシュビッツを2度、ドイツのダッハウ・ザクセンハウゼン・ブーヘンバルト収容所や、オランダのアンネフランクを訪れたり、ベルリンにある、プレッツェンゼーを2度訪れました。
そこでの犠牲者たちのことを知って、「Cato Bontjes Van Beek」という人に行きつきました。その方は、フランス軍の戦争捕虜に援助をしたり、非合法のリーフレットを配ったりしていて、さらに「red orchestra」と呼ばれる対ソ諜報組織に2か月間属したため、ゲシュタポに逮捕され、22歳の若さで処刑されました。その妹、Mietjeさんは、対ソ諜報組織には加わらなかったものの、非合法の活動をしていて、ゲシュタポに追われましたが、その頃、病気療養のために故郷のFischerhudeにいたため、逮捕から逃れ、2012年に90歳で亡くなるまで画家として暮らしました。弟のTimさんも2011年まで生き(90歳くらい)、母親のOlgaさんも1995年に亡くなるまで100歳近くまで生きました。CatoさんとMietjeさん、少しの違いが、人生としては70年も違いになったとは、運命の不条理を思います。人のために尽くした人が処刑される、そんな世の中、理解に苦しみます。
歴史を学ぶと、悲しい気持ちになることもありますが、逆に、頑張ろう、という気持ちになることもあります。
旅行の写真シリーズ、今回も2001年春オランダの続編です。ヨーロッパの街は、建物や景色がとてもきれいです。ただし、街を歩いていて困ることは、石畳の道が多いことです。足にかなり負担があって、とても歩きにくいのです。
ヨーロッパの街にも地下鉄やトラム(路面電車)が走っています。私が乗ったことがあるのは、
地下鉄は、ロンドン、パリ、ブリュッセル、ストックホルム、ベルリン、ミュンヘン、プラハ、ブダペスト、ウィーン、リスボン、マドリッド
トラムは、アムステルダム、ブリュッセル、ストックホルム、ベルリン、ポツダム、プラハ、ブダペスト、ウィーン、チューリヒ、リスボンの各都市です。
地下鉄は、エスカレーターで地下へ降りていかないと乗れないし、景色が見えないので、私はトラムの方が好きです。ロンドンでは2階建てバスをかなり活用しました。
ヨーロッパの国々では、3月から9月の間、サマータイムが実施されていて、通常よりも1時間時計が進みます。
開始は3月の最終日曜日で、その日の午前2時と午前3時の間が消えます。ホテルによっては掲示で知らされますが、テレビで伝えられることもなく、知らないとその日は寝ている間に1時間ずれてしまいます。2年前、2011年春にドイツに行ったとき、フランクフルトから帰国便に乗る日がちょうど、3月の最終日曜日でした。ホテルには掲示がありませんでしたが、朝食の部屋の時計は1時間進んでいました。うっかり忘れてしまっていたら、帰国便に乗りそこなっていたでしょう。
1 アムステルダムの国鉄
2 アムステルダムのホテルの朝食の部屋
3 アムステルダム中央駅近くの修道院の中庭
4 3と同じく修道院の中庭
5 アムステルダムの街を走るトラム(路面電車)
6 たぶん、アンネフランクの家
7 運河をめぐる船からの眺め
8 はね橋
9 船からの眺め
10 外海に出た船からの眺め
今回は、2001年春のアムステルダム(オランダ)→リスボン(ポルトガル)→マドリッド(スペイン)のうちの、アムステルダムの分です。何分、人物が写っていない写真限定なので、枚数が少ないのが残念です。
なお、日曜日の午後に中央駅近くのデパートで、上りのエスカレーターに乗ったとき、母がハンドバッグから財布をすられ、1万円とクレジットカードを盗られました。特に外国では、上りのエスカレーターは要注意です。
ヨーロッパのいろいろな国や街に行きましたが、アムステルダムは特に危険でした。そのほか、チェコのプラハでは、駆け足で逃げていく現地人の男を見かけたので、おそらく「すり」か何かだったのでしょう。ヨーロッパは治安の面では、あまり良いとはいえません。
アムステルダムでは、アンネフランクの家にも行きましたが、内部は写真撮影禁止になっていました。
このときは3月末でしたが、とても寒かったです。近郊の風車の街に行ったときは、あまりに寒かったので、土産物のお店があるたびに入って、暖をとりました。
1 泊まったホテル(家族経営のホテル)の急な階段(オランダの家屋は、このような急な階段が多いそうです。)
初日に玄関が開いたとき、目の前に現れた急な階段に、思わず立ちつくしました。この写真は2階から1階の入り口を撮ったものですが、2階から3階への階段はもっと急で、狭かったようです。(2階に泊まったのでよくはわかりません)
2 ストリートマーケット?
3 修道院の中庭
4 修道院の中庭
5 運河をめぐる船から
6 運河をめぐる船
7 近郊の風車の街
旅行の写真シリーズ、今回は、1992年(平成4年)夏にベルギー→スペイン→イギリスと2週間で行ったときの、スペインの写真です。
1 マドリッドのホテルの朝食レストラン
2 マドリッドの中心プエルタ デル ソル(太陽の門という意味)
3 マドリッド マヨール広場
4 マドリッド スペイン広場近く
5 マドリッド 王宮(ここには2001年夏にも行きました(母と))
6 トレドの入り口の門(トレドへは、マドリッドから路線バスで1時間くらいです。バスは30分に1本くらいの割合で出ていました。トレドは、エルグレコが住んだ街として有名です。)
7 路線バスからの眺め。(トレドに着く直前です。真ん中の塔のある建物は、トレドのアルカサルという城塞のようなものです。)
8 トレドの高台からの眺め(トレドは周りを川で囲まれた、島のような街です。トレドも2001年春に再訪しました。)