バニラキプフェル
レシピ続きです。
今日のレシピは、12月にクリスマス名物、手作りプレッツヒェンとして一度紹介したバニラキプフェルです。
料理本を見ていて気づいたのですが、、、
ずーっと、Vanillegibfeln、バニラの角だと思い込んでいたら、Kipfelnが正しいようです(恥)
ちなみに、
Kipfel(キプフェル)とは長いパンのことだそうです(小学館独和大辞典より)。
さらに、
Gipfel(ギプフェル)は、角型パンやクロワッサンを意味しているのですが、どうやらこれはスイス地方の方言であり、Kipfelと同義語だということです(小学館独和大辞典より)。
つまり、Kipfelが標準ドイツ語(Hochdeutsch)で、Gipfelは南ドイツ・スイス地方の方言ということですね。
私のドイツ語の知識は、どんどん標準ドイツ語から遠ざかっている模様です(涙)
気を取り直して、バニラキプフェルの作り方を!
材料:
小麦粉 280g
砂糖 70g
バニラシュガー 一袋 (一袋って一体何グラムなんだろう??)
渋皮をむいて挽いたアーモンド 100g
バターまたはマーガリン 210g (室温)
作り方:
小麦粉と砂糖、ヴァニラシュガーの半袋分を、テーブルなどの作業台に山盛りにする(a)。
aにアーモンドもそこに加える(b)。
バターあるいはマーガリンを小さいかけら状に切って、bの上に落とす(c)。
cを、大きな包丁などを使って、切るように混ぜていく。
適当に混ざったところで、手を使い手早く柔軟性のある生地にこねていく(d)。
dをラップに包んで1時間ほど冷やす。
この間にオーブンを175℃に予熱しておく。
冷えて固まった生地を少しずつ分けて、棒状に伸ばし、包丁などで一つずつの量に切り分ける。
Kipfelの形にしてプレートに並べたら、15-20分程度、オーブンの真中の段で焼く。
焼き上がったら、残りのバニラシュガーを上から振り掛ける、か、クッキーがまだ熱いうちにボールなどに入れたバニラシュガーにくぐらせてしっかりとまぶす。
食べたくなってきた~
今日のレシピは、12月にクリスマス名物、手作りプレッツヒェンとして一度紹介したバニラキプフェルです。
料理本を見ていて気づいたのですが、、、
ずーっと、Vanillegibfeln、バニラの角だと思い込んでいたら、Kipfelnが正しいようです(恥)
ちなみに、
Kipfel(キプフェル)とは長いパンのことだそうです(小学館独和大辞典より)。
さらに、
Gipfel(ギプフェル)は、角型パンやクロワッサンを意味しているのですが、どうやらこれはスイス地方の方言であり、Kipfelと同義語だということです(小学館独和大辞典より)。
つまり、Kipfelが標準ドイツ語(Hochdeutsch)で、Gipfelは南ドイツ・スイス地方の方言ということですね。
私のドイツ語の知識は、どんどん標準ドイツ語から遠ざかっている模様です(涙)
気を取り直して、バニラキプフェルの作り方を!
材料:
小麦粉 280g
砂糖 70g
バニラシュガー 一袋 (一袋って一体何グラムなんだろう??)
渋皮をむいて挽いたアーモンド 100g
バターまたはマーガリン 210g (室温)
作り方:
小麦粉と砂糖、ヴァニラシュガーの半袋分を、テーブルなどの作業台に山盛りにする(a)。
aにアーモンドもそこに加える(b)。
バターあるいはマーガリンを小さいかけら状に切って、bの上に落とす(c)。
cを、大きな包丁などを使って、切るように混ぜていく。
適当に混ざったところで、手を使い手早く柔軟性のある生地にこねていく(d)。
dをラップに包んで1時間ほど冷やす。
この間にオーブンを175℃に予熱しておく。
冷えて固まった生地を少しずつ分けて、棒状に伸ばし、包丁などで一つずつの量に切り分ける。
Kipfelの形にしてプレートに並べたら、15-20分程度、オーブンの真中の段で焼く。
焼き上がったら、残りのバニラシュガーを上から振り掛ける、か、クッキーがまだ熱いうちにボールなどに入れたバニラシュガーにくぐらせてしっかりとまぶす。
食べたくなってきた~
バニラトリュフ
日本ではそろそろ最高潮に盛り上がりつつあると思われる、ヴァレンタイン企画!
というわけでもないのですが。
以前、彼とトリュフを作って、日頃お世話になっている友人・同僚にプレゼントしましたという記事 をアップした時に、あややんさん から、「レシピをアップして」といううれしいリクエストを頂きました。
大分遅くなってしまって恥ずかしいんだけど、ようやくレシピを書き写してきましたので、アップします。
材料:
生クリーム 125g
ミルクチョコレート 100g
ビターチョコレート 125g
バニラビーンズ さや1/2分
カカオパウダー 大さじ2
パウダーシュガー 大さじ大盛り1
バニラシュガー 大さじ1
この、ミルクチョコレートとビターチョコレートを混ぜるところが、鼻血が出そうなほど濃いい、パンチの効いたトリュフの秘訣のようです。
作り方:
チョコレートは両方とも、包丁で適当に刻んでおく。
生クリームを鍋に入れて、沸騰する直前まで加熱する(a)。
aの生クリームが沸騰しかけたら、刻んだチョコレートを加えて混ぜながら溶かす。この時、絶対に焦がさないように気をつける。
チョコレートがほぼ溶けたところで火を止める(b)。
バニラビーンズをさやから取り出し、まだ熱いbに加えて混ぜる(c)。
cを室温まで冷ます。
室温まで冷めたcを、泡だて器でかき混ぜる。cの色が明るく、固まってくるまで何度かかき混ぜる。
↑ これ、私たちやらなかった気がします。料理本の表現も抽象的でよう分からん。
cを1時間ほど冷やす。
↑ 1時間ほどというか、丸めることのできる程度の固さになるまで。
スープ皿などの深めの皿などに、カカオパウダーとパウダーシュガーとバニラシュガーを混ぜてふるったものを用意する(d)。
固まったcをこさじなどで適量取り、手のひらで転がすように丸め、dのパウダーをまぶす。
チョコレートは、手のひらに取った瞬間からジュワーッと溶け出し、丸めているうちに手がドロドロになります。
何度か手を洗い、冷やしながら作業した方が良いと、料理本には書いてあります。
というわけでもないのですが。
以前、彼とトリュフを作って、日頃お世話になっている友人・同僚にプレゼントしましたという記事 をアップした時に、あややんさん から、「レシピをアップして」といううれしいリクエストを頂きました。
大分遅くなってしまって恥ずかしいんだけど、ようやくレシピを書き写してきましたので、アップします。
材料:
生クリーム 125g
ミルクチョコレート 100g
ビターチョコレート 125g
バニラビーンズ さや1/2分
カカオパウダー 大さじ2
パウダーシュガー 大さじ大盛り1
バニラシュガー 大さじ1
この、ミルクチョコレートとビターチョコレートを混ぜるところが、鼻血が出そうなほど濃いい、パンチの効いたトリュフの秘訣のようです。
作り方:
チョコレートは両方とも、包丁で適当に刻んでおく。
生クリームを鍋に入れて、沸騰する直前まで加熱する(a)。
aの生クリームが沸騰しかけたら、刻んだチョコレートを加えて混ぜながら溶かす。この時、絶対に焦がさないように気をつける。
チョコレートがほぼ溶けたところで火を止める(b)。
バニラビーンズをさやから取り出し、まだ熱いbに加えて混ぜる(c)。
cを室温まで冷ます。
室温まで冷めたcを、泡だて器でかき混ぜる。cの色が明るく、固まってくるまで何度かかき混ぜる。
↑ これ、私たちやらなかった気がします。料理本の表現も抽象的でよう分からん。
cを1時間ほど冷やす。
↑ 1時間ほどというか、丸めることのできる程度の固さになるまで。
スープ皿などの深めの皿などに、カカオパウダーとパウダーシュガーとバニラシュガーを混ぜてふるったものを用意する(d)。
固まったcをこさじなどで適量取り、手のひらで転がすように丸め、dのパウダーをまぶす。
チョコレートは、手のひらに取った瞬間からジュワーッと溶け出し、丸めているうちに手がドロドロになります。
何度か手を洗い、冷やしながら作業した方が良いと、料理本には書いてあります。
餃子Jiaozi
餃子作りって楽しいよね。
何人かでテーブルを囲んで、ワイワイ言いながら材料を切ったり、
具を皮に包んだり。
包み方にそれぞれの個性が出て、
具が多すぎてはちきれそうだったり、
ヘナチョコに曲がっていたり、
皮を2枚合わせて「UFO~」とか遊ぶヤツが必ず居たりして(笑)
先週の土曜日、中国人の友達チュンと餃子を作った!!
日本風の餃子ではなく、中国風の餃子、ということでJiaozi!
美味いんだ、これが、ホントに。
ああああ、もう、幸せ~ いっひ・りーべ・じあおずぅ☆
ドイツに来る前、私は母の作る以外の餃子を美味しいと思ったことはなかった。
たまに母が忙しい時に買ってきて使う冷凍の餃子は、餃子とは思えない味で、我慢して食べたけど味わうなんてものじゃなかった。
ドイツへ来て、中国人の友人達と一緒に餃子を作り、初めて母以外の人が作った餃子を美味しいと思った。
これまでにも何回か、色んな中国人の友達と餃子パーティ(?)をやったけど、
毎回もう感激するくらい美味しい。
アジアショップに行けば冷凍の餃子の皮が売られているけど、目玉が飛び出るほどに高い。
中国人達はもちろんそんな物は使わない。
皮も手作り♪
初めてのとき、「えー、手作りするの?」と驚いていたら、「えー、こんなものスーパーで売ってるの??信じられない」と言われてしまった。
地元中国でも皮はいつも手作りと言うだけのことはあって、
ものすごく手際良く、タネをこねて寝かして切り分けて、丸く伸ばしていく。
右手で伸ばし棒を使い、左手で生地をクルクルと器用に回転させて次々と皮を仕上げていく。
そりゃあもう、職人技の域で、見ているだけで面白く、ひどく感心する。
今回私たちが作った餃子は2種類。
ひき肉バージョンと、エビバージョン。
チュンのワンポイント・アドバイス付き♪
用意したのは、
豚のひき肉
冷凍のムキエビ(ゆでてないやつ)
ネギ
白菜
ショウガ
肉餃子の下ごしらえ:
ひき肉に刻んだショウガとたっぷりの醤油を加えて、少し粘りが出るくらいに混ぜる。
ビックリしたんだけど、チュンはショウガの皮をむかなかった。
私はいつもむいてたんだけど。
料理するものによってはむくけど、この場合は別にむかなくても変わらないわよ
なるほど。
細かく刻んだネギと白菜に、ごま油とサラダオイルを加えて混ぜる。
結構な量のオイルが入って、ここでまたビックリしたんだけど、
こうしておくと野菜から水分が出にくいのよ
納得。
肉と野菜を混ぜようとしたら、
待って。
混ぜるのは包む直前でいいの。
そうしないと、醤油の塩分で野菜から水分が出てくるから
んんんん、ますます納得。
お前、そんなことも知らなかったのか、という突っ込みが聞こえてきそう。
実は私、母と一緒に料理を作ったことが無いので、こういうちょっとした事が分からないことがある。
ま、それについてはまた今度書くことにして。
エビ餃子の下ごしらえ:
今回は冷凍エビを買ったので、エビを解凍してから、細かく刻む。
エビは食感も大事だから、あんまり細かく刻まない方がいいよね。
エビに細かく刻んだネギと白菜、サラダオイルも加えて混ぜる。
塩で味付けするのは、やっぱり包む直前で。
今回は、水餃子と焼き餃子の両方にしてみた。
私はどちらかって言うと水餃子の方が好きなんだけど。
チュン特製のタレ:
しょう油、お酢、ごま油、潰したニンニクを混ぜる。
好みでジャンなどの辛味を加える。
ついつい作りすぎて、餃子の具が余るって私には毎度のことなんだけど、
今回も例に漏れず残ってしまった、肉餃子の具。
具に、ざくざくと切った白菜を加えて、フライパンで炒め、炊き立てのご飯に掛けて、余っていた餃子のタレを上から掛けてみた。
すっごく美味しかったよ♪
しかもとっても簡単なので、今度から私の必殺お手軽激ウマメニューに加えようっと。
何人かでテーブルを囲んで、ワイワイ言いながら材料を切ったり、
具を皮に包んだり。
包み方にそれぞれの個性が出て、
具が多すぎてはちきれそうだったり、
ヘナチョコに曲がっていたり、
皮を2枚合わせて「UFO~」とか遊ぶヤツが必ず居たりして(笑)
先週の土曜日、中国人の友達チュンと餃子を作った!!
日本風の餃子ではなく、中国風の餃子、ということでJiaozi!
美味いんだ、これが、ホントに。
ああああ、もう、幸せ~ いっひ・りーべ・じあおずぅ☆
ドイツに来る前、私は母の作る以外の餃子を美味しいと思ったことはなかった。
たまに母が忙しい時に買ってきて使う冷凍の餃子は、餃子とは思えない味で、我慢して食べたけど味わうなんてものじゃなかった。
ドイツへ来て、中国人の友人達と一緒に餃子を作り、初めて母以外の人が作った餃子を美味しいと思った。
これまでにも何回か、色んな中国人の友達と餃子パーティ(?)をやったけど、
毎回もう感激するくらい美味しい。
アジアショップに行けば冷凍の餃子の皮が売られているけど、目玉が飛び出るほどに高い。
中国人達はもちろんそんな物は使わない。
皮も手作り♪
初めてのとき、「えー、手作りするの?」と驚いていたら、「えー、こんなものスーパーで売ってるの??信じられない」と言われてしまった。
地元中国でも皮はいつも手作りと言うだけのことはあって、
ものすごく手際良く、タネをこねて寝かして切り分けて、丸く伸ばしていく。
右手で伸ばし棒を使い、左手で生地をクルクルと器用に回転させて次々と皮を仕上げていく。
そりゃあもう、職人技の域で、見ているだけで面白く、ひどく感心する。
今回私たちが作った餃子は2種類。
ひき肉バージョンと、エビバージョン。
チュンのワンポイント・アドバイス付き♪
用意したのは、
豚のひき肉
冷凍のムキエビ(ゆでてないやつ)
ネギ
白菜
ショウガ
肉餃子の下ごしらえ:
ひき肉に刻んだショウガとたっぷりの醤油を加えて、少し粘りが出るくらいに混ぜる。
ビックリしたんだけど、チュンはショウガの皮をむかなかった。
私はいつもむいてたんだけど。
料理するものによってはむくけど、この場合は別にむかなくても変わらないわよ
なるほど。
細かく刻んだネギと白菜に、ごま油とサラダオイルを加えて混ぜる。
結構な量のオイルが入って、ここでまたビックリしたんだけど、
こうしておくと野菜から水分が出にくいのよ
納得。
肉と野菜を混ぜようとしたら、
待って。
混ぜるのは包む直前でいいの。
そうしないと、醤油の塩分で野菜から水分が出てくるから
んんんん、ますます納得。
お前、そんなことも知らなかったのか、という突っ込みが聞こえてきそう。
実は私、母と一緒に料理を作ったことが無いので、こういうちょっとした事が分からないことがある。
ま、それについてはまた今度書くことにして。
エビ餃子の下ごしらえ:
今回は冷凍エビを買ったので、エビを解凍してから、細かく刻む。
エビは食感も大事だから、あんまり細かく刻まない方がいいよね。
エビに細かく刻んだネギと白菜、サラダオイルも加えて混ぜる。
塩で味付けするのは、やっぱり包む直前で。
今回は、水餃子と焼き餃子の両方にしてみた。
私はどちらかって言うと水餃子の方が好きなんだけど。
チュン特製のタレ:
しょう油、お酢、ごま油、潰したニンニクを混ぜる。
好みでジャンなどの辛味を加える。
ついつい作りすぎて、餃子の具が余るって私には毎度のことなんだけど、
今回も例に漏れず残ってしまった、肉餃子の具。
具に、ざくざくと切った白菜を加えて、フライパンで炒め、炊き立てのご飯に掛けて、余っていた餃子のタレを上から掛けてみた。
すっごく美味しかったよ♪
しかもとっても簡単なので、今度から私の必殺お手軽激ウマメニューに加えようっと。
ドイチェ・ビュロークラティー
2月1日付けで、研究室との契約が変わった。
簡単に言うと、『バイト』だったが、『契約社員』に変わったってくらいの変化。
契約上の身分が変わっただけで、後はまったく何も変わらない。
変わらない、
はずなのに、
こういう時、なぜか必ず書類上の問題が生じ、
たかが紙に翻弄される、
悲しいかなDeutscher Buerokratismus(ドイツのお役所的形式主義)。
研究室の秘書さんが、1月の半ば頃から必要書類を調えて、大学事務所に送っているのに、
1月30日になっていきなり、事務所から連絡が来る。
この人物は外国人だから、労働許可証が必要。
契約形態が変更されるから、内容が変更された労働許可証を提出しなければならない。
今までも雇われていたんだから、その内容を変更するのは簡単なはず。
明日までに変更された労働許可証を提出するように
2月1日付けで契約が変更されるから、遅くとも2月1日には契約書にサインをしなくてはならない。
でもだからって、2週間も音沙汰なしで、いきなり明日までに書類を届けろとは、なんて横柄なんだろう(怒)
秘書さんが私のところにやって来た。
労働許可証の内容を変更してコピーを提出しろって言ってきてるんだけど
へ?
労働許可証なんて、持ってないよ
ドイツでは、学術研究機関において研究職として雇用される場合、外国人だろうが学生だろうが労働許可無しで就労することができる。
ドイツに留学・移住したい皆さん、ここチェックね。
これは、例えば私の持っている学生用の滞在許可証には明記されていないけど、特例として認められている。
この、特例として、というのがミソ。
大学の事務所はこの特例について、いつでも、必ず、絶対に知らない。←へんな日本語だな、おい。
もう何年も前、一番最初に研究室でバイトを始めた時も、事務所から「待った」が掛かった。
その時は、研究プロジェクトで雇ってくれた同僚が労働局に問い合わせてくれたんだけど、
研究職なら要らないと言われたのだ。
労働許可証なんて必要ないって言われたし、
うーん、でもそれは今まではバイトだったからで、今回雇用形態が変わるから必要なのかもしれない、、、
この一言で私は不安のどん底に落とされた。
絶対に有り得ないって理屈では思っていても、気持ちはどんどん落ちていく。
もしダメだったら、私は二日後から即、失業者、、、。
いつかそうなるだろうと思ってはいたけど、心の準備ができてないよお(涙)
それでも秘書さんが、市役所の外人局に電話を入れて確認してくれた。
ら、
研究職は労働許可は要りません
って一言。
でも一応、念には念を押して、外人局の人に一筆書いてもらうことにした。
そのためにわざわざ外人局まで出かけていった私。
行きの路面電車の中、恐ろしく機嫌が悪く、というか、拭いきれない不安を抱えていた私は、一人のドイツ人のおじちゃんのちょっとした優しさ で心を救われたんだけど。
さらに、いつもはえらい混雑している薄暗い憂うつな外人局もその日はなぜか空いていて、証明書を一筆書いてもらうのもあっさりと済んだのは、ラッキーだった。
そしてさらに翌日、2月1日。
契約にサインしに来いという事務所のお達しで、事務所の担当者のもとへ赴いた私。
ここでまた難癖つけられたら、今度は労働局行きか、まさかとは思うけど、本当にダメだったら、、、
テンションがどこまでも低くなっていくのを感じつつ、オフィスに入った。
今までの経過をざっと話し、昨日役所の人に書いてもらった一筆を差し出すと、
ああ、私もね、自分で問い合わせてみたら、要らないんですって
はい、ここにサインして (←それも一枚の紙にたったの一箇所だけだよ)
・・・ ・・・ ・・・
な、な、な、
なんだと、このおおおおおおおおおおおおお。
そんなに簡単に済む話なら、こっちに言ってくる前に、そっちできちっと調べやがれってんだっっっ
オオバカヤローーーーーーーーーー(怒)
なーんて事は、さすがに言いませんが。
言ったところで学ばないからね、あの人たちは。
大体ね、これだけ留学生が多い中で、
研究プロジェクトで雇われているPh.D学生やバイトしている学生なんて掃いて捨てるほど居るに違いないのに、
なんでそういう事例から学ばないのかな??
それに、おかしいなって思ったらまず労働局や市役所の外人局に電話一本入れて確認取るとか、せめて他の同僚に聞いてみるとか、するでしょ、普通、日本人なら。
そういうこと絶対にしないのよね。
で、いきなり当事者に「書類が不備なのでできません」って通達してくる。
プロとしてのプライドが全くないんだから。
あんまり頭に来たんで同僚に愚痴っていたら、
典型的、Deutsche Buerokratie!
ほんと、その通り!
久しぶりに頭に来ました。
簡単に言うと、『バイト』だったが、『契約社員』に変わったってくらいの変化。
契約上の身分が変わっただけで、後はまったく何も変わらない。
変わらない、
はずなのに、
こういう時、なぜか必ず書類上の問題が生じ、
たかが紙に翻弄される、
悲しいかなDeutscher Buerokratismus(ドイツのお役所的形式主義)。
研究室の秘書さんが、1月の半ば頃から必要書類を調えて、大学事務所に送っているのに、
1月30日になっていきなり、事務所から連絡が来る。
この人物は外国人だから、労働許可証が必要。
契約形態が変更されるから、内容が変更された労働許可証を提出しなければならない。
今までも雇われていたんだから、その内容を変更するのは簡単なはず。
明日までに変更された労働許可証を提出するように
2月1日付けで契約が変更されるから、遅くとも2月1日には契約書にサインをしなくてはならない。
でもだからって、2週間も音沙汰なしで、いきなり明日までに書類を届けろとは、なんて横柄なんだろう(怒)
秘書さんが私のところにやって来た。
労働許可証の内容を変更してコピーを提出しろって言ってきてるんだけど
へ?
労働許可証なんて、持ってないよ
ドイツでは、学術研究機関において研究職として雇用される場合、外国人だろうが学生だろうが労働許可無しで就労することができる。
ドイツに留学・移住したい皆さん、ここチェックね。
これは、例えば私の持っている学生用の滞在許可証には明記されていないけど、特例として認められている。
この、特例として、というのがミソ。
大学の事務所はこの特例について、いつでも、必ず、絶対に知らない。←へんな日本語だな、おい。
もう何年も前、一番最初に研究室でバイトを始めた時も、事務所から「待った」が掛かった。
その時は、研究プロジェクトで雇ってくれた同僚が労働局に問い合わせてくれたんだけど、
研究職なら要らないと言われたのだ。
労働許可証なんて必要ないって言われたし、
うーん、でもそれは今まではバイトだったからで、今回雇用形態が変わるから必要なのかもしれない、、、
この一言で私は不安のどん底に落とされた。
絶対に有り得ないって理屈では思っていても、気持ちはどんどん落ちていく。
もしダメだったら、私は二日後から即、失業者、、、。
いつかそうなるだろうと思ってはいたけど、心の準備ができてないよお(涙)
それでも秘書さんが、市役所の外人局に電話を入れて確認してくれた。
ら、
研究職は労働許可は要りません
って一言。
でも一応、念には念を押して、外人局の人に一筆書いてもらうことにした。
そのためにわざわざ外人局まで出かけていった私。
行きの路面電車の中、恐ろしく機嫌が悪く、というか、拭いきれない不安を抱えていた私は、一人のドイツ人のおじちゃんのちょっとした優しさ で心を救われたんだけど。
さらに、いつもはえらい混雑している薄暗い憂うつな外人局もその日はなぜか空いていて、証明書を一筆書いてもらうのもあっさりと済んだのは、ラッキーだった。
そしてさらに翌日、2月1日。
契約にサインしに来いという事務所のお達しで、事務所の担当者のもとへ赴いた私。
ここでまた難癖つけられたら、今度は労働局行きか、まさかとは思うけど、本当にダメだったら、、、
テンションがどこまでも低くなっていくのを感じつつ、オフィスに入った。
今までの経過をざっと話し、昨日役所の人に書いてもらった一筆を差し出すと、
ああ、私もね、自分で問い合わせてみたら、要らないんですって
はい、ここにサインして (←それも一枚の紙にたったの一箇所だけだよ)
・・・ ・・・ ・・・
な、な、な、
なんだと、このおおおおおおおおおおおおお。
そんなに簡単に済む話なら、こっちに言ってくる前に、そっちできちっと調べやがれってんだっっっ
オオバカヤローーーーーーーーーー(怒)
なーんて事は、さすがに言いませんが。
言ったところで学ばないからね、あの人たちは。
大体ね、これだけ留学生が多い中で、
研究プロジェクトで雇われているPh.D学生やバイトしている学生なんて掃いて捨てるほど居るに違いないのに、
なんでそういう事例から学ばないのかな??
それに、おかしいなって思ったらまず労働局や市役所の外人局に電話一本入れて確認取るとか、せめて他の同僚に聞いてみるとか、するでしょ、普通、日本人なら。
そういうこと絶対にしないのよね。
で、いきなり当事者に「書類が不備なのでできません」って通達してくる。
プロとしてのプライドが全くないんだから。
あんまり頭に来たんで同僚に愚痴っていたら、
典型的、Deutsche Buerokratie!
ほんと、その通り!
久しぶりに頭に来ました。
今日の出来事
役所に用があり、路面電車に乗って、街へ出た。
車内が比較的空いていたので、珍しく席に座る。
二人掛けのベンチの窓際に座り、ボーっと外の景色を眺めていた。
途中の停留所で少し混んできて、おじさんが私の隣に座った。
おじさん、というよりは、おじいさんと言ったほうがいいかもしれない。
特にこれといった特徴もないベージュのジャンパーを着ていた。
ポコッとしたビール腹が、いかにもドイツのおじちゃんという風情。
ちらっと一瞥しただけで、別に目を合わせるでもなく、また窓の外をボーっと眺める。
私の降りる停留所が近づいてきた。
隣のおじさんが動く気配はない。
そこで立ち上がって降りる意志を示し、目を合わせて丁寧に「すみません」と声を掛ける。
するとそのおじさんが、親しみを込めてニッコリと微笑みかけて、握っている手を私とおじさんの顔の間に差し上げた。
その指には、飴ちゃんが一つ握られていた。
(えー、、、、私に、ですか??)
度肝を抜かれて、戸惑い、しばし呆然とおじさんの顔と飴ちゃんを交互に眺めた。
いやいや、アホ面している場合ではない。
態勢を立て直し、ニッコリと笑い返して、
ありがとう
飴ちゃんを受け取り、
さようなら
泣きそうな顔でもしてたんだろうか。
おじちゃん、Danke♪
車内が比較的空いていたので、珍しく席に座る。
二人掛けのベンチの窓際に座り、ボーっと外の景色を眺めていた。
途中の停留所で少し混んできて、おじさんが私の隣に座った。
おじさん、というよりは、おじいさんと言ったほうがいいかもしれない。
特にこれといった特徴もないベージュのジャンパーを着ていた。
ポコッとしたビール腹が、いかにもドイツのおじちゃんという風情。
ちらっと一瞥しただけで、別に目を合わせるでもなく、また窓の外をボーっと眺める。
私の降りる停留所が近づいてきた。
隣のおじさんが動く気配はない。
そこで立ち上がって降りる意志を示し、目を合わせて丁寧に「すみません」と声を掛ける。
するとそのおじさんが、親しみを込めてニッコリと微笑みかけて、握っている手を私とおじさんの顔の間に差し上げた。
その指には、飴ちゃんが一つ握られていた。
(えー、、、、私に、ですか??)
度肝を抜かれて、戸惑い、しばし呆然とおじさんの顔と飴ちゃんを交互に眺めた。
いやいや、アホ面している場合ではない。
態勢を立て直し、ニッコリと笑い返して、
ありがとう
飴ちゃんを受け取り、
さようなら
泣きそうな顔でもしてたんだろうか。
おじちゃん、Danke♪
話が違うじゃないか、ゲアハルド!
ゲアハルド・シリーズ(笑)は、終わりにしたつもりだったんですが、速報です。
実はイラン戦争を、ドイツが裏から支援していたことが判明。
昨日はそのニュースがドイツ中を駆け巡り、人々にショックを与えた。
ご存知の通り、イラン攻撃を始める前の議論では、イギリスやスペインが即支援を表明したのにたいして、
フランス、ドイツ、中国などは、最後まで「この攻撃は根拠の無いものである」として「断固反対」を貫いた。
ブッシュから「年寄りのヨーロッパ」なんて皮肉を言われたって、どんなに挑発されたって、
シラクと手を取り合って頑として首を立てに振らなかったシュレーダーを、
信頼できる国のリーダーとして誇りに思っていたドイツ人も少なからずいた。
にもかかわらず!
イラン攻撃が始まる直前、ドイツは戦争危険地域となるバグダッドのドイツ大使館の人員を引き上げさせた。
全員、ドイツに引き上げさせた、
ことになっていた。
表面上は・・・。
しかし、実はドイツの情報部員が一人、残存していたことが判明した。
そしてこの人物が、情報収集に躍起になるアメリカ側に、現地の状況に関する情報提供を行っていたことを、ドイツ第一放送、ARDが掴んだ。
さらにこの人物、顔にモザイクをかけてARDの取材を受けちゃった。
さらに、ARDの取材に対しアメリカ側は、
そうだよ、ドイツの情報部員から情報提供を受けてたよ、
『ドイツに仕事させろ』っていうコードがあったんだ、
ドイツ人に現地の状況について質問をして、
彼はそれに答えてくれた
と、あっさりとコメントを出した。
このドイツ人情報部員、さすがにペンタゴンには直接のコンタクトは無かったらしい。
しかし、彼が与えた情報はリレーされて、ペンタゴンまで届き、攻撃目標の設定に影響していたという。
アメリカ側が、市街地にあるとあるレストランにフセインが側近達と集まっているらしい、という情報を得た。
この情報を確認するために、アメリカ側がドイツ人情報部員にコンタクトを取り、現地の状況を伝えるように要請した。
これを受けてドイツ人情報部員は、わざわざそのレストランの様子を見に行き、見てきたことを伝えた。
レストランの周りに、たくさんのメルツェデスが停まっていた。
その情報を受けて、ペンタゴンは数時間後に本当にそのレストランをミサイル攻撃した。
結果として、少なくとも12人が死亡、負傷者は60人とも80人とも言われている。
そしてもちろん、フセインはそこには居なかった。
ARDのインタビューを受けたアメリカの有識者(?)は、にこやかな微笑を浮かべながら語った。
ドイツ人情報部員の出した情報が信憑性のあるものだったかどうかは問題ではない。
その情報を元に、アメリカ軍が実際にミサイル攻撃の目標設定を行ったんだ。
ARDの情報番組Panorama から聴き取った内容だけなので、もしかしたら間違いがあるかもしれません。
「あそこ今どんな感じ?ちょっと見てきてくれないかな?(想像)」
と、アメリカ人から情報を求められて、ほいほい見に行き、
「ああ、メルツェデスがたくさん停まってたよ」
という情報を流すドイツ人も、
また、そんな程度の情報を元に、本当にミサイルをぶち込むアメリカも
空恐ろしい限りです。
関連情報は
Sueddeutschzeitung
Frankfurter Allgemeine
などで。
実はイラン戦争を、ドイツが裏から支援していたことが判明。
昨日はそのニュースがドイツ中を駆け巡り、人々にショックを与えた。
ご存知の通り、イラン攻撃を始める前の議論では、イギリスやスペインが即支援を表明したのにたいして、
フランス、ドイツ、中国などは、最後まで「この攻撃は根拠の無いものである」として「断固反対」を貫いた。
ブッシュから「年寄りのヨーロッパ」なんて皮肉を言われたって、どんなに挑発されたって、
シラクと手を取り合って頑として首を立てに振らなかったシュレーダーを、
信頼できる国のリーダーとして誇りに思っていたドイツ人も少なからずいた。
にもかかわらず!
イラン攻撃が始まる直前、ドイツは戦争危険地域となるバグダッドのドイツ大使館の人員を引き上げさせた。
全員、ドイツに引き上げさせた、
ことになっていた。
表面上は・・・。
しかし、実はドイツの情報部員が一人、残存していたことが判明した。
そしてこの人物が、情報収集に躍起になるアメリカ側に、現地の状況に関する情報提供を行っていたことを、ドイツ第一放送、ARDが掴んだ。
さらにこの人物、顔にモザイクをかけてARDの取材を受けちゃった。
さらに、ARDの取材に対しアメリカ側は、
そうだよ、ドイツの情報部員から情報提供を受けてたよ、
『ドイツに仕事させろ』っていうコードがあったんだ、
ドイツ人に現地の状況について質問をして、
彼はそれに答えてくれた
と、あっさりとコメントを出した。
このドイツ人情報部員、さすがにペンタゴンには直接のコンタクトは無かったらしい。
しかし、彼が与えた情報はリレーされて、ペンタゴンまで届き、攻撃目標の設定に影響していたという。
アメリカ側が、市街地にあるとあるレストランにフセインが側近達と集まっているらしい、という情報を得た。
この情報を確認するために、アメリカ側がドイツ人情報部員にコンタクトを取り、現地の状況を伝えるように要請した。
これを受けてドイツ人情報部員は、わざわざそのレストランの様子を見に行き、見てきたことを伝えた。
レストランの周りに、たくさんのメルツェデスが停まっていた。
その情報を受けて、ペンタゴンは数時間後に本当にそのレストランをミサイル攻撃した。
結果として、少なくとも12人が死亡、負傷者は60人とも80人とも言われている。
そしてもちろん、フセインはそこには居なかった。
ARDのインタビューを受けたアメリカの有識者(?)は、にこやかな微笑を浮かべながら語った。
ドイツ人情報部員の出した情報が信憑性のあるものだったかどうかは問題ではない。
その情報を元に、アメリカ軍が実際にミサイル攻撃の目標設定を行ったんだ。
ARDの情報番組Panorama から聴き取った内容だけなので、もしかしたら間違いがあるかもしれません。
「あそこ今どんな感じ?ちょっと見てきてくれないかな?(想像)」
と、アメリカ人から情報を求められて、ほいほい見に行き、
「ああ、メルツェデスがたくさん停まってたよ」
という情報を流すドイツ人も、
また、そんな程度の情報を元に、本当にミサイルをぶち込むアメリカも
空恐ろしい限りです。
関連情報は
Sueddeutschzeitung
Frankfurter Allgemeine
などで。
ありがとう
週末、彼とトリュフを作った。
もちろん、キノコじゃなくてチョコレートを溶かして丸めた方。
ものすごーく濃くって、一つ食べただけでもう満足しちゃうくらい、すごくパンチが効いている(笑)
Migros(スイス系のスーパーマーケットで、質の良い食品を置いている。ちょっとお高いけど)で買ってきたドライフルーツと一緒にパックして、リボンを結んで。
いつもどうもありがとう。
今年もどうぞよろしくね♪
の、気持ちととともに、大切な人たちにプレゼントした。
私と似た研究テーマを持つ同僚のFには、いつも私のペーパーを最終的に校正してもらっている
美味しいもの大好きな向かい側のオフィスのOには、いつもチョコレートのおすそ分けをもらっている(笑)
私が泣きそうになりながらペーパーを書いていると、自分だって忙しいにも関わらず、「書き終わったら文法チェックしてあげるよ」と、声を掛けてくれる
Oと同じオフィスのSはWordの裏技を色々知っていて教えてくれるし、いつも忙しいにも関わらずPCでトラブルがあると原因究明に付き合ってくれる
マスター時代からの友人でオフィスのルームメイトでもあるCは愚痴を言い合い、励ましあう無くてはならない存在
スペインの大地に降り注ぐ太陽のような明るさと力強さを持つSは、話しているだけでいつもポジティブなエネルギーをくれる
頑張り屋で生真面目で、よく美味しい中華料理を作ってくれるC♪
東アジア人同士、自国とヨーロッパとの文化的ギャップを笑いあったり愚痴りあう大切な仲間
今週から6週間、学校に通うために街を離れている彼(←週末には帰ってくるけど)。
そして、このブログにいつも遊びに来てくださる皆さんにも。
もちろん、キノコじゃなくてチョコレートを溶かして丸めた方。
ものすごーく濃くって、一つ食べただけでもう満足しちゃうくらい、すごくパンチが効いている(笑)
Migros(スイス系のスーパーマーケットで、質の良い食品を置いている。ちょっとお高いけど)で買ってきたドライフルーツと一緒にパックして、リボンを結んで。
いつもどうもありがとう。
今年もどうぞよろしくね♪
の、気持ちととともに、大切な人たちにプレゼントした。
私と似た研究テーマを持つ同僚のFには、いつも私のペーパーを最終的に校正してもらっている
美味しいもの大好きな向かい側のオフィスのOには、いつもチョコレートのおすそ分けをもらっている(笑)
私が泣きそうになりながらペーパーを書いていると、自分だって忙しいにも関わらず、「書き終わったら文法チェックしてあげるよ」と、声を掛けてくれる
Oと同じオフィスのSはWordの裏技を色々知っていて教えてくれるし、いつも忙しいにも関わらずPCでトラブルがあると原因究明に付き合ってくれる
マスター時代からの友人でオフィスのルームメイトでもあるCは愚痴を言い合い、励ましあう無くてはならない存在
スペインの大地に降り注ぐ太陽のような明るさと力強さを持つSは、話しているだけでいつもポジティブなエネルギーをくれる
頑張り屋で生真面目で、よく美味しい中華料理を作ってくれるC♪
東アジア人同士、自国とヨーロッパとの文化的ギャップを笑いあったり愚痴りあう大切な仲間
今週から6週間、学校に通うために街を離れている彼(←週末には帰ってくるけど)。
そして、このブログにいつも遊びに来てくださる皆さんにも。
生きること、前へ進むこと
lorbeerさんのブログの記事、「Lieber Gott
」を読んで、よみがえって来た思い出について書いてみます。
数年前、オランダに友人Hを訪ねたことがある。
Hとは、私が暮らす町で知り合った。
当時はまだ大学生で、卒業論文を書くために、私が所属する学部の別の研究室に来ていた。
Hは、愛想が良く、いつも人懐っこい笑顔を浮かべて、活動的で、優しく素直でまっすぐな心の持ち主。
笑い声の絶えることの無い家族の中で、幸せいっぱいに育ってきた人だなという印象を与える。
オープンでさっぱりしているところがいかにも学生らしく、きれい好きで礼儀正しい面もあり、育ちの良さが垣間見える。
Hがオランダの大学に戻り、卒論を仕上げて卒業してしばらくした頃、
北ドイツへ行く機会があった。
まだフランクフルトよりも北へは行ったことが無かった頃で、ついでに小旅行をすることにして、大学を終えてまだ実家にいたHに連絡を取った。
すぐにHからもメールが届き、何日間居られるのか、とか、どこへ行きたいか、とか、何をしたいか、とか、それはそれは大歓迎してくれるようだった。
復活祭が比較的遅かった年で、復活祭金曜日が間近に迫った頃だった。
そうして訪ねた彼の実家。
品の良い住宅地にある一軒家で、子供の多い家族らしく、屋根裏まで小さな部屋が作ってある。
庭には小さな菜園が作ってあった、
ヨーロッパの中流家庭らしく、ゆったりとしたスペースがあって、素敵、と、言いたいところだか、
どこか雑然として薄暗い、そんな違和感を、到着した瞬間から感じていた。
私が訪ねた時、実家に居たのは彼のお父さんと弟。
Hのお父さんはほとんど隠居生活のお医者さん。
自宅そばで開業医をしていて、働いているのかどうか良く分からないような状態だった。
お父さんはノルウェー語ができる。
本はすべてノルウェー語で読むし、趣味でノルウェー語を人にも教えているんだ、と、Hが教えてくれた。
昔、家族で住んでいた時期があったとかで、家族ぐるみで付き合っている友人もいて、
家族でよくノルウェーに遊びに行くということだった。
そしてHの弟。
その年、大学に行き始めた弟は、その学部が気に入らず通うのを止めてしまった。
次の年に別の学部に入りなおすと言い、それからは毎日昼過ぎに起き出して来ては、一日中ネットゲームをし、夜中過ぎに寝る、という日々を過ごしていた。
でも父は何も言わないんだよ。4人兄弟姉妹の一番下だから少し甘やかされてる。弟のためにならないんじゃないかと僕は思うんだけど、、、。
と彼が苦笑しながら話してくれた。
このお父さんと弟が、家の事を何もしないらしかった。
洗濯も掃除もしなければ、料理だってしようとしない。
お腹が空いたら、冷凍のピザをオーブンに投げ込むだけ。
使った食器を片付けも洗いもしない。
Hが、
まったく家の男どもときたらっっっ
なんて罵りながらも、買い物に行き、料理を作り、後片付けまで、実に手際よくこなしていた。
その口調が、私の母みたいですごく可笑しくって、手伝いながら笑い転げてしまった。
お母さんは、お出かけしているの?
何度ものど元まで出かかったが、石でも詰まってしまったかのように、なぜか口から発することができなかった。
彼のお父さんは、ほとんど一日中、1階の食堂に座り、本を読んでいたように思う。
私が入っていくと、流暢とは言えないドイツ語で何かと話し掛けてくれた。
ゲストの私に気を使って、特に得意でもないドイツ語で色々な話をしてくれる彼のお父さんの優しさがうれしかった。
ある時、することもなくお父さんのそばに座って部屋の中を見回していると、そのうちお父さんが、棚からアルバムを出してきて見せてくれた。
家族の思い出がたくさん詰まっているアルバム。
美しい景色を背景にして、幸せそうな夫婦と子供たちの笑顔であふれている。
その多くは、ノルウェーの写真だった。
美男美女揃いの子供たちと仲の良い夫婦という、絵に描いたような幸せ家族の光景を写し込んだ写真に見とれていると、お父さんが指でさしながら説明してくれた。
これはノルウェー。ウォーキングに行ったんだ。これがね、私の妻
別の写真を指差して、続ける。
ほら、これが私の妻。
彼女はね、小児精神科医なんだよ。
また別の写真を指差し、
これが私と私の妻。
遊びに来ている息子の友人に、家族のアルバムを見せながら、指差すのは彼の妻ばかり。
私の中の違和感は最高潮に達していたが、質問を投げかける勇気がどうしてもなかった。
その日の午後だったか夜だったか、お父さんとおしゃべりしていた私は、何気なく質問した。
復活祭には、やっぱり教会へは行くんですか?
時期的にも、共通の話題を見つけるための、ごく普通のルーチンな質問だった。
するとお父さんは、静かで優しい表情をほとんど変えることは無かったが、きっぱりと言い切った。
いや、教会へは行かない。
、、、昔は家族で行ったけどね。子供たちがまだ小さかった頃は特に。
Nachdem meine Frau gestorben ist, gehe ich nicht mehr.
Ich bin sauer auf Gott.
Ich bin sehr sehr sauer auf Gott.
(妻が亡くなってからは、行かなくなったんだ。
神に腹を立てているんだ。
神に対して、ものすごく怒りを感じている)
こんなに静かで激しい怒りの感情。
最愛のパートナーを失ってしまった悲しみ。
神を恨むほどの亡くなった妻への深い愛情。
継ぐ言葉が見つからなかった。
勝手に、何不自由なく暮らす幸せいっぱいの家族という図式にはめ込んで眺めていた浅はかでお気楽な自分が恥ずかしかった。
Hを訪ねた数日間の間で、一度だけHからもお母さんが亡くなった事実を聞かされた。
ごく間接的に。
僕はね、母が亡くなったから、優先的に大学行くための奨学金がもらえたんだよ。父も年が年だから、返金する必要も無くてね。
と言うような内容だった。
それ以上は聞けなかった。
その悲しみを私は本当には理解できないから。
不用意に悲しい思い出を掘り起こしてしまうことが恐かった。
掘り起こしてしまった後で、きちんと受け止めてあげることなんて、私にはできっこないから。
Hのお母さんがいつ亡くなられたのか、なぜ亡くなられたのか、まったく知らない。
今思うと、私が訪ねた時、あの家族はそれぞれがとても辛い時期に面していて、
うずくまって心の痛みに耐え、前へ進めるようになるためのエネルギーを蓄えている時期だったのかもしれない。
生活や周りのすべてに対する関心を失い、閉じこもるように暮らしている父や弟と毎日対面していたHは、その状態が耐え難く、突然舞い込んできた私の短い訪問を、あんなに大喜びで歓迎してくれたのではなかったか。
博士課程に進学するために、またこの町のこの学部に戻ってきたH。
先日、おそるおそる彼に聞いてみた。
お父さん、お元気にしてる?
ありがとう、元気だよ。
最近はね、ノルウェーにいる恋人のところにばっかり行ってるよ。
心の底から、うれしかった。
数年前、オランダに友人Hを訪ねたことがある。
Hとは、私が暮らす町で知り合った。
当時はまだ大学生で、卒業論文を書くために、私が所属する学部の別の研究室に来ていた。
Hは、愛想が良く、いつも人懐っこい笑顔を浮かべて、活動的で、優しく素直でまっすぐな心の持ち主。
笑い声の絶えることの無い家族の中で、幸せいっぱいに育ってきた人だなという印象を与える。
オープンでさっぱりしているところがいかにも学生らしく、きれい好きで礼儀正しい面もあり、育ちの良さが垣間見える。
Hがオランダの大学に戻り、卒論を仕上げて卒業してしばらくした頃、
北ドイツへ行く機会があった。
まだフランクフルトよりも北へは行ったことが無かった頃で、ついでに小旅行をすることにして、大学を終えてまだ実家にいたHに連絡を取った。
すぐにHからもメールが届き、何日間居られるのか、とか、どこへ行きたいか、とか、何をしたいか、とか、それはそれは大歓迎してくれるようだった。
復活祭が比較的遅かった年で、復活祭金曜日が間近に迫った頃だった。
そうして訪ねた彼の実家。
品の良い住宅地にある一軒家で、子供の多い家族らしく、屋根裏まで小さな部屋が作ってある。
庭には小さな菜園が作ってあった、
ヨーロッパの中流家庭らしく、ゆったりとしたスペースがあって、素敵、と、言いたいところだか、
どこか雑然として薄暗い、そんな違和感を、到着した瞬間から感じていた。
私が訪ねた時、実家に居たのは彼のお父さんと弟。
Hのお父さんはほとんど隠居生活のお医者さん。
自宅そばで開業医をしていて、働いているのかどうか良く分からないような状態だった。
お父さんはノルウェー語ができる。
本はすべてノルウェー語で読むし、趣味でノルウェー語を人にも教えているんだ、と、Hが教えてくれた。
昔、家族で住んでいた時期があったとかで、家族ぐるみで付き合っている友人もいて、
家族でよくノルウェーに遊びに行くということだった。
そしてHの弟。
その年、大学に行き始めた弟は、その学部が気に入らず通うのを止めてしまった。
次の年に別の学部に入りなおすと言い、それからは毎日昼過ぎに起き出して来ては、一日中ネットゲームをし、夜中過ぎに寝る、という日々を過ごしていた。
でも父は何も言わないんだよ。4人兄弟姉妹の一番下だから少し甘やかされてる。弟のためにならないんじゃないかと僕は思うんだけど、、、。
と彼が苦笑しながら話してくれた。
このお父さんと弟が、家の事を何もしないらしかった。
洗濯も掃除もしなければ、料理だってしようとしない。
お腹が空いたら、冷凍のピザをオーブンに投げ込むだけ。
使った食器を片付けも洗いもしない。
Hが、
まったく家の男どもときたらっっっ
なんて罵りながらも、買い物に行き、料理を作り、後片付けまで、実に手際よくこなしていた。
その口調が、私の母みたいですごく可笑しくって、手伝いながら笑い転げてしまった。
お母さんは、お出かけしているの?
何度ものど元まで出かかったが、石でも詰まってしまったかのように、なぜか口から発することができなかった。
彼のお父さんは、ほとんど一日中、1階の食堂に座り、本を読んでいたように思う。
私が入っていくと、流暢とは言えないドイツ語で何かと話し掛けてくれた。
ゲストの私に気を使って、特に得意でもないドイツ語で色々な話をしてくれる彼のお父さんの優しさがうれしかった。
ある時、することもなくお父さんのそばに座って部屋の中を見回していると、そのうちお父さんが、棚からアルバムを出してきて見せてくれた。
家族の思い出がたくさん詰まっているアルバム。
美しい景色を背景にして、幸せそうな夫婦と子供たちの笑顔であふれている。
その多くは、ノルウェーの写真だった。
美男美女揃いの子供たちと仲の良い夫婦という、絵に描いたような幸せ家族の光景を写し込んだ写真に見とれていると、お父さんが指でさしながら説明してくれた。
これはノルウェー。ウォーキングに行ったんだ。これがね、私の妻
別の写真を指差して、続ける。
ほら、これが私の妻。
彼女はね、小児精神科医なんだよ。
また別の写真を指差し、
これが私と私の妻。
遊びに来ている息子の友人に、家族のアルバムを見せながら、指差すのは彼の妻ばかり。
私の中の違和感は最高潮に達していたが、質問を投げかける勇気がどうしてもなかった。
その日の午後だったか夜だったか、お父さんとおしゃべりしていた私は、何気なく質問した。
復活祭には、やっぱり教会へは行くんですか?
時期的にも、共通の話題を見つけるための、ごく普通のルーチンな質問だった。
するとお父さんは、静かで優しい表情をほとんど変えることは無かったが、きっぱりと言い切った。
いや、教会へは行かない。
、、、昔は家族で行ったけどね。子供たちがまだ小さかった頃は特に。
Nachdem meine Frau gestorben ist, gehe ich nicht mehr.
Ich bin sauer auf Gott.
Ich bin sehr sehr sauer auf Gott.
(妻が亡くなってからは、行かなくなったんだ。
神に腹を立てているんだ。
神に対して、ものすごく怒りを感じている)
こんなに静かで激しい怒りの感情。
最愛のパートナーを失ってしまった悲しみ。
神を恨むほどの亡くなった妻への深い愛情。
継ぐ言葉が見つからなかった。
勝手に、何不自由なく暮らす幸せいっぱいの家族という図式にはめ込んで眺めていた浅はかでお気楽な自分が恥ずかしかった。
Hを訪ねた数日間の間で、一度だけHからもお母さんが亡くなった事実を聞かされた。
ごく間接的に。
僕はね、母が亡くなったから、優先的に大学行くための奨学金がもらえたんだよ。父も年が年だから、返金する必要も無くてね。
と言うような内容だった。
それ以上は聞けなかった。
その悲しみを私は本当には理解できないから。
不用意に悲しい思い出を掘り起こしてしまうことが恐かった。
掘り起こしてしまった後で、きちんと受け止めてあげることなんて、私にはできっこないから。
Hのお母さんがいつ亡くなられたのか、なぜ亡くなられたのか、まったく知らない。
今思うと、私が訪ねた時、あの家族はそれぞれがとても辛い時期に面していて、
うずくまって心の痛みに耐え、前へ進めるようになるためのエネルギーを蓄えている時期だったのかもしれない。
生活や周りのすべてに対する関心を失い、閉じこもるように暮らしている父や弟と毎日対面していたHは、その状態が耐え難く、突然舞い込んできた私の短い訪問を、あんなに大喜びで歓迎してくれたのではなかったか。
博士課程に進学するために、またこの町のこの学部に戻ってきたH。
先日、おそるおそる彼に聞いてみた。
お父さん、お元気にしてる?
ありがとう、元気だよ。
最近はね、ノルウェーにいる恋人のところにばっかり行ってるよ。
心の底から、うれしかった。
ティム・バートンのコープスブライド(2005年)
TIM BURTON’S CORPSE BRIDE
ティム・バートン監督の最新作で、アニメーション映画。
19世紀のヨーロッパのどこかの町を舞台にしたメルヘン。
ロシアの民話がベースになっているらしい。
内気なヴィクターは、一代にして事業に成功した成金の一人息子。
そして由緒ある貴族の一人娘、大人しくて優しいヴィクトリア。
良くある話だけど、事業に成功して富を手に入れると今度は名声を手にしたくなるらしい。
そして、時代が変わって受け継いだ財産を食いつぶし、名ばかりになってしまった貴族たちが、そんな成金達を一方で軽蔑しながらも、にっちもさっちもいかなくなって婚姻関係で結ばれて危機を脱出しようと思いつくのも、良くある話。
両親同士の都合で、需要と供給が一致し、当の本人同士は蚊帳の外で婚約が成立。
あとは結婚式を済ませるだけ。
婚約が交わされた夜、初めて顔を合わせた二人は、幸運にもその瞬間から互いに惹かれあう。
薄暗く冷たい屋敷の中で、ニッコリと微笑むヴィクトリアは、若々しい清純さで輝いている。
翌日の教会での結婚式のリハーサルでは、気の弱いヴィクターが失敗を連発して、とうとう司祭を怒らせてしまった。
落ち込んだヴィクターは、誰も居ない墓場へ行き、ひとり結婚式でのセリフの練習をする。
しかし、その誰もいないはずの墓場で眠っている亡骸の女性が、自分がプロポーズされたと勘違いしてしまった。
死人のような生気のない顔をしているヴィクターと、妙に生き生きしていて、面白おかしく”生きている”地底の世界の死人たちとの対比が面白い。
そしてもう一人の主役のコープスブライト。
一途でカワイイ。
力強くって、妙に生命力を感じる(笑)
ヴィクターみたいな優柔不断の内気な男子には、彼女のような姉さん女房的な女性の方が合っているような気さえしてくる。
生きている若い二人に、人を精一杯愛するということを身をもって示しているようでもある。
ラストシーンがすごくきれい。
公式Webサイトはこちらから
ティム・バートン監督の最新作で、アニメーション映画。
19世紀のヨーロッパのどこかの町を舞台にしたメルヘン。
ロシアの民話がベースになっているらしい。
内気なヴィクターは、一代にして事業に成功した成金の一人息子。
そして由緒ある貴族の一人娘、大人しくて優しいヴィクトリア。
良くある話だけど、事業に成功して富を手に入れると今度は名声を手にしたくなるらしい。
そして、時代が変わって受け継いだ財産を食いつぶし、名ばかりになってしまった貴族たちが、そんな成金達を一方で軽蔑しながらも、にっちもさっちもいかなくなって婚姻関係で結ばれて危機を脱出しようと思いつくのも、良くある話。
両親同士の都合で、需要と供給が一致し、当の本人同士は蚊帳の外で婚約が成立。
あとは結婚式を済ませるだけ。
婚約が交わされた夜、初めて顔を合わせた二人は、幸運にもその瞬間から互いに惹かれあう。
薄暗く冷たい屋敷の中で、ニッコリと微笑むヴィクトリアは、若々しい清純さで輝いている。
翌日の教会での結婚式のリハーサルでは、気の弱いヴィクターが失敗を連発して、とうとう司祭を怒らせてしまった。
落ち込んだヴィクターは、誰も居ない墓場へ行き、ひとり結婚式でのセリフの練習をする。
しかし、その誰もいないはずの墓場で眠っている亡骸の女性が、自分がプロポーズされたと勘違いしてしまった。
死人のような生気のない顔をしているヴィクターと、妙に生き生きしていて、面白おかしく”生きている”地底の世界の死人たちとの対比が面白い。
そしてもう一人の主役のコープスブライト。
一途でカワイイ。
力強くって、妙に生命力を感じる(笑)
ヴィクターみたいな優柔不断の内気な男子には、彼女のような姉さん女房的な女性の方が合っているような気さえしてくる。
生きている若い二人に、人を精一杯愛するということを身をもって示しているようでもある。
ラストシーンがすごくきれい。
公式Webサイトはこちらから
ちょっと足を延ばして
フランスのストラスブールまで行って来た。
クリスマス・マーケットと言えばドイツが有名で、この時期フランスから訪れる人がとても多いことは書いたけど、
ストラスブールのクリスマス・マーケットと言えば、これまたちょっと有名である、らしい。
ドイツ人にしてみれば、ストラスブールは歴史的にドイツだった時期が長いアルザス地方に位置していて、
文化的にはドイツ圏に属している。
ストラスブールの町って、ドイツの町と似てるよね
もともとはドイツなの
と、彼らは断固として主張する(笑)
それを言ったら、元を正せば巨大化したフランク帝国が3分割されてできた、東フランク王国がドイツのベースになったんだから、そもそもがフランスの一部じゃーん☆
なーんて下らない突込みを下手に入れると、大抵のドイツ人はムキになるので、さらっと無視。
おいおい、って思うかもしれないけど、実際にアルザス地方の方言はドイツ語ベースにフランス語の単語が部分的に乗っかったような言葉で、
研究室の同僚がふざけて話してくれるアルザス語を聞いていると、なんとなく分かる、、、、、、、ような気がする。
↑ 気がするだけで、実際は分からないことが多い(涙)
ま、どこがルーツなのかはこの際どうでもいいんです。
ストラスブールと言えば、大都会♪
いや、実際は人口27万人くらいなんだけど、私の居る町よりも市街地が大きい。
市街地が立派 → クリスマスのデコレーションが派手☆
もう、旧市街地に入る入り口からこんな感じ。
家やお店の窓にも、サンタの人形や光で作られたトナカイなど、飾りでいっぱい。
私が楽しみにしていた市庁舎広場(?)のツリーはこんな感じ。
ビックリするような巨大なモミの木といっぱいにつけられた小さなライト。
そしてツリーの足元には
温かい光が外にあふれ出る家たち。
これすごく素敵なアイディアだと思う。
夜が最も長く、寒くて暗いこの時期に行われていたゲルマン民族の光の祭り、
家族で祝うことを大切にしているクリスマス。
両方を象徴している。
ストラスブールでは、いくつかの広場でそれぞれマーケットが立っていて、
まるで町全体がクリスマス・マーケットのように盛り上がっていた。
さて、ストラスブールまで遠征する目的の一つだったグリューヴァインのカップだけど、、、
どこを探してもプラスチックの使い捨てコップしか見当たらなかった。
数年前に行った時は、ちゃんとしたカップを使っていたのに、
あの時、持って帰ってくれば良かったと、ひたすら後悔しています(涙)
クリスマス・マーケットと言えばドイツが有名で、この時期フランスから訪れる人がとても多いことは書いたけど、
ストラスブールのクリスマス・マーケットと言えば、これまたちょっと有名である、らしい。
ドイツ人にしてみれば、ストラスブールは歴史的にドイツだった時期が長いアルザス地方に位置していて、
文化的にはドイツ圏に属している。
ストラスブールの町って、ドイツの町と似てるよね
もともとはドイツなの
と、彼らは断固として主張する(笑)
それを言ったら、元を正せば巨大化したフランク帝国が3分割されてできた、東フランク王国がドイツのベースになったんだから、そもそもがフランスの一部じゃーん☆
なーんて下らない突込みを下手に入れると、大抵のドイツ人はムキになるので、さらっと無視。
おいおい、って思うかもしれないけど、実際にアルザス地方の方言はドイツ語ベースにフランス語の単語が部分的に乗っかったような言葉で、
研究室の同僚がふざけて話してくれるアルザス語を聞いていると、なんとなく分かる、、、、、、、ような気がする。
↑ 気がするだけで、実際は分からないことが多い(涙)
ま、どこがルーツなのかはこの際どうでもいいんです。
ストラスブールと言えば、大都会♪
いや、実際は人口27万人くらいなんだけど、私の居る町よりも市街地が大きい。
市街地が立派 → クリスマスのデコレーションが派手☆
もう、旧市街地に入る入り口からこんな感じ。
家やお店の窓にも、サンタの人形や光で作られたトナカイなど、飾りでいっぱい。
私が楽しみにしていた市庁舎広場(?)のツリーはこんな感じ。
ビックリするような巨大なモミの木といっぱいにつけられた小さなライト。
そしてツリーの足元には
温かい光が外にあふれ出る家たち。
これすごく素敵なアイディアだと思う。
夜が最も長く、寒くて暗いこの時期に行われていたゲルマン民族の光の祭り、
家族で祝うことを大切にしているクリスマス。
両方を象徴している。
ストラスブールでは、いくつかの広場でそれぞれマーケットが立っていて、
まるで町全体がクリスマス・マーケットのように盛り上がっていた。
さて、ストラスブールまで遠征する目的の一つだったグリューヴァインのカップだけど、、、
どこを探してもプラスチックの使い捨てコップしか見当たらなかった。
数年前に行った時は、ちゃんとしたカップを使っていたのに、
あの時、持って帰ってくれば良かったと、ひたすら後悔しています(涙)