Everyday Glory | walkin' on

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アナログレコードのレビューを中心に音楽に関するトピックスを綴っていきます
 歌詞の和訳や、時にはギターの機材についても投稿します

 今回はラッシュ(RUSH)の1993年のアルバム”COUNTERPARTS”のラストを飾る”Everyday Glory”の歌詞をご紹介します。

 

 

 

 

 

 

In the house where nobody laughs

誰も笑わず
And nobody sleeps

誰も眠れない家
In the house where love lies dying

愛などもはや瀕死に追い込まれ
And the shadows creep

暗い影が這い寄る家


A little girl hides shaking

少女は震えながら身を隠す
With her hands on her ears

耳を手に当てて

何も聞こえないように
Pushing back the tears

涙を必死にこらえる
'Til the pain disappears

痛みが消え去るまで


Mama says some ugly words

母親は汚い言葉を吐き
Daddy pounds the wall

父親は壁を叩く
They can fight about their little girl later

ふたりは少女のことで争いあうことに

なるかもしれないが
Right now they don't care at all
今は全く構ってなどいない

 


No matter what they say...

彼らが何と言おうと
No matter what they say...
No matter what they say...
No matter what they say...


Everyday people

いつの日も 人は
Everyday shame

いつもどおりの恥をさらし
Everyday promise shot down in flames

日常の中の約束は果たされもしない
Everyday sunrise

毎日 陽は昇り
Another everyday story

またいつものような物語が

つむがれる
Rise from the ashes, a blaze
Of everyday glory

灰の中から 日々の中の栄光が

きらめきをみせる


In the city where nobody smiles
And nobody dreams

誰も微笑をみせず

誰も夢を見ない街
In the city where desperation
Drives the bored to extremes

絶望のあまり 退屈が
極端な行いに変わる街

Just one spark of decency

せめて ほんのわずかな礼節でも

示せれば
Against a starless night

星の見えない闇夜を照らす

ひと筋の光のように


One glow of hope and dignity

誰かが品位と希望の灯を点けられれば
A child can follow the light

子供はその光を頼りにできる


If the future's looking dark

もし 未来が暗く見通せそうになければ
We're the ones who have to shine

私達が輝きをもたらさなければ
If there's no one in control

誰の手にも負えない状況は
We're the ones who draw the line

私達の手で収めなければ
Though we live in trying times

試練の時代に生きようとも
We're the ones who have to try

私達は挑戦していかなければ
Though we know that time has wings

時はあまりに早く過ぎ去ることを

知っているからこそ
We're the ones who have to fly...

私達は飛翔することをあきらめては

ならない

 

 

 ドラマーにして作詞担当のニール・ピアートは”COUNTERPARTS”の制作にフロイトなどの心理学に影響を受けていたこともあり”Animate”のような抽象的で難解な詞を残していますが、一方で、この”Everyday Glory”のような、とても直截的な表現の詞を書き上げています。

 

 とおしてお読みいただければすぐにお察しいただけるように、次代の主役たる子供が置かれる環境が荒廃していくことへの危機感、そして彼らに希望と品位を示すことでその未来を切り拓く助力の尊さを訴えています。

 後に交通事故で世を去ってしまう一人娘がまだローティーンだった頃のピアートの、父親としての世代意識というものがこの詞の背景にあるのかもしれません。

 

 

 しかし、最後の連の、Ifの連なりが、この曲の価値をさらに重く、大きくしているように感じます。

 

 よく読むと、このif、仮定法ではないのです。

 

 実際には実現しないことを表す仮定法で、~だったらいいのになぁという高望みをグダグダと書き並べるのではなく、もしこの現実世界がタフなものだったとしたら私達はそれだけの自覚と意思を持って生きていくべきだ、という確信に似た情念が、この頃のピアートの中にあったことが示されているようにボクは思います。

 

 

 

 

 運命はホントに残酷なもので、このアルバムのリリースの約4年後、ピアートの娘さんは交通事故で世を去ります。その半年後には妻を病で喪い、悲嘆にくれるピアートが表舞台に戻ってくるまでには5年近い年月が必要でした。

 

 

 ピアートは今年が始まったばかりの1月7日に天に召され、彼が居なくなった地上にはほどなくして世界規模の感染症が広がり、家庭から、街から笑顔が消えつつあります。

 

 

 ティーンエイジャーの頃に”COUNTERPARTS”に出会い、そのヘヴィでシャープなロックに圧倒されたボクは二十数年経った今、ピアートの詞に強く心を打たれ、特別なことなど何もない日々の(everyday)、その中の栄光(glory)とは一体何なのか、その答を今もなお探し続けています。

鉛筆