LOVE TRAIN(浜田省吾) | walkin' on

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アナログレコードのレビューを中心に音楽に関するトピックスを綴っていきます
 歌詞の和訳や、時にはギターの機材についても投稿します

レコード番号:25AH 204(CBS/Sony) 1977年

 

 正確には思い出せませんが大阪市内、しかも古書店の多く集まる北区のはずれに住んでいた頃に見つけたものの中に

こんな楽譜集があります。

 

 浜田省吾の、スタジオアルバムでいえば”その永遠の一秒に”までの楽曲を収録しているのですが、ペラペラと眺めていて気付いたことが。

 

あれ、”悲しみ深すぎて”って”LOVE TRAIN”に収録ってなってる(・・?)

 

 その時点ではこの”LOVE TRAIN”(以下LT)を所有しておらず、”その~”に収録の”悲しみ深すぎて”リメイクであることを知らなかったのです。 

 省吾の過去作、特にデビューアルバムから第5作までの『廃盤にしてくれぇ!』期の楽曲のリメイクバージョンが存在することは知っていましたが、”SAND CASTLE””WASTED TEARS”のようなアルバムにまとめられているものと思い込んでおり、オリジナル・スタジオアルバムである”その~”に過去作のリメイクが収録されていることまでは考えが及びませんでした。

 

 

 それから数年が経ち、埼玉の郊外のリサイクル店で省吾の初期作品が一気に揃ったことで、改めてアルバム”LOVE TRAIN”をじっくり聞くことになりました。

 

ジャケット裏。

よくみると

ミズノからの衣装提供を示すクレジットが。

同様にサンクスクレジットに町支寛二氏が。後述しますがこの頃の町支氏はミュージシャン以外の業務(?)も担当していました。

ライナーがあまりにもスカスカ(・_・;)

アレンジャーを前面に押し出して洗練されたシティポップス感をアピール、したかったのでしょうか。

付録のポスター。裏面は白紙です。

 

 

*

 

 

 ソロデビューアルバム”生まれたところを遠く離れて”からほぼ1年後にリリースされた第2作にして、当時のポップスを意識した楽曲で固められたアルバム-ディスコグラフィとしてはそう書くべきではあります。

 

 ですが、デビューアルバムの市場からのウケの悪さを実感したプロデューサーの鈴木幹治氏とディレクターの蔭山敬吾氏にとっては、広島からロックバンド愛奴とともに上京してきた、そしてその愛奴を脱退してソロアーティスト、ソングライターとして活動することを決めた浜田省吾を何とかしてメシが食えるようにしなければならず、試行錯誤の日々がはじまります。

 

 ジャケットで省吾が身に着けている衣装は鈴木、蔭山の両氏が新宿のメンズブティック(死語)を数軒回り、三峰で選んだものだそうです。

 もっとも、後に省吾自身が

 

「この『ラブ・トレイン』のジャケットは凄いよね。テニス・シューズの上にサッカー・パンツをはいて、ラガー・シャツを着てサングラスして長髪なんだから。何のスポーツをやってるのか全然分からないというねえ(笑)」

 

「今ステージでちょうどこの冗談をよく言うんですよ。『誰だ!あんな格好をさせたのはよお!』とかって。今はウケますけどね(笑)」

 

(「ブリッジ」1994年7月号 より)

 

 と自虐ネタにまで昇華させているこの衣装をはじめ、当時は省吾と両氏の間で、こんなの着たくない、いやだ、といったいさかいがしばしば起きていました。

 ある時など、当時住んでいた世田谷代田から新宿まで移動する際に「支給品」の白いスーツに白い靴で小田急に乗ったところ、大雨だったことあり新品の靴が満員の乗客に踏まれて真っ黒になったことがあるそうです。これは辛い(´_`。)

 

 

 また、アルバムのプロモーションツアーも、経費の都合もあり、省吾の他に町支寛二氏だけという、今の基準で考えればなんともささやかなものでした。

 

あのツアーは印象深かったですね。放送局なんか行くじゃない。町支が『よろしくお願いしまあーす』なんてあいさつして入っていって、それから自分でギター弾いてコーラスやって、ギャラもらって、自分でサインして帰るわけだから。いつも領収書持って計算してるわけ(笑)

 

(『陽のあたる場所 浜田省吾ストーリー』角川文庫 より)

 

 ミュージシャンである町支氏にマネジャーの役割を負担させることを良しとしなかった省吾はかつての愛奴のバンドメンバーであり、解散後は保険会社に勤務していた高橋信彦氏へのマネジャー就任を依頼、承諾した氏は現在に至るまで省吾のビジネス上の片腕となっています。

 

 

 全曲の作詞作曲、さらに編曲まで省吾が担当したデビュー作からの路線変更を象徴するのが、職業作詞家との歌詞の共作です。

収録曲のうち;

雨の日のささやき
恋に気づいて
君に会うまでは
愛のかけひき
君の微笑
ラブ・トレイン
ラストダンス
五月の風に
悲しみ深すぎて
行かないで

 

 赤字がその共作曲なのですが、そのうちタイトルトラック”ラブ・トレイン”の詞を手がけたのは松本隆氏。ご存じ元はっぴいえんどのメンバーにして数えきれないヒット曲を担当した作詞家です。当時すでに太田裕美の”木綿のハンカチーフ”がヒットしており、一目置かれる存在となっていました。

 …ところが、その松本氏に対し、鈴木、蔭山の両名は「省吾のイメージに合っていない」という理由で詞の書き直しを要求します。松本-省吾サイド間の意思疎通はスムーズにいかず、締切には遅れるわ、出来てくる歌詞はさらに悪くなっているわと散々苦労したといいいます。

 ちなみに、松本氏の起用について省吾は関与していませんでした。先ほどの衣装といい、省吾と制作サイドの「ズレ」はこの頃から少しずつ大きくなっていきます。

 

 余談ですが、まだ愛奴に在籍していた頃、自己所有のドラムセットが無く借り物のドラムをスタジオに持ち込んでセッティングしていたところ、レコーディングエンジニアの吉野金次が、これ使わないか、と取り出してきたのが松本隆氏のスネアドラムだった-というエピソードが残っています。もっとも、その心遣いに感謝しつつも省吾は結局自分が持ってきたスネアを使ったそうですが…

 

 

*

 

 

 改めてこのアルバム”LOVE TRAIN”をオーディオで、じっくり聴いてみると、まず音が薄く軽いことに気づきます。

 といっても、当時のレコード会社の制作陣自らがどれだけの経費をかけて、どのような音で録音すべきか分かっていなかったことを考えれば仕方ないのかもしれません。参加しているのはいずれも既に名の知れたセッションミュージシャンなのですが、やはり、アルバム制作の方針が明確でなかったことがこのビミョーな音に表われているようにも思えます。

 

 もうひとつ、これは後に省吾自身も認めているように、ヴォーカルがなかなかに甘ったるく、以降の作品、特に”HOME BOUND”から後の省吾を知っているとけっこう面食らいます。

 ですが、これが不思議なもので、しばらく聴いているうちに、まだどこか初々しく、そしてどこか朴訥な歌声が妙に微笑ましく、いじらしささえ感じられるようになります。この、優れた楽曲に朴訥なヴォーカルの組合せにふと斉藤和義と似たものを感じてしまいましたが、考えてみれば彼は2007年のカバー曲集”紅盤”で、このLTに収録の”君に会うまでは”を採りあげていますね。

 

 

 

*

 

 

 制作の方針や経費といった台所事情(^_^;)もあって不本意な仕上がりになってしまった”LOVE TRAIN”の楽曲について、後に省吾は怒涛の(・_・;)再録を敢行します。

 

 その全てが、先ほどの収録曲リストの黒字の曲、つまり作詞も自身が手掛けた曲ばかりなのは

やっぱり人が書いた詞は歌えないんですよ!

と過去のインタビューで言い切っていた省吾の心情を考えれば当然、と思えます。

 

 

 しかし、調べてみたらなんと、2018年のステージでLTのタイトルトラックを演奏しているではありませんか(ノ゚ρ゚)ノ

 

 

 ファンクラブツアーという特別なステージということもあるのかもしれませんが、リリースから(2018年時点で)41年の歳月が流れたこともあり、省吾の中のこだわりや意地の類がすっかり無くなっているのでしょう。

 だとすれば、迷い悩みつつも作品のかたちに残して世に問うこと、そしてアーティストとして、ソングライターとしての歩みを止めないことの意味と意義を、浜田省吾は自ら証明していることにはならないでしょうか。

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