小学校、中学校、高校と年齢を重ねるとともに、授業で使う
教科書は増えていきました。しかも重かったです。
今のように電子デバイスは皆無の時代だったので、嫌でも紙媒体を
使わないといけませんでした。
当然のように、ノートも増えます。
今思うと、何と愚かな行為だったかと感じます。
愚かと思う理由は、授業で使う教科書を「そのままの状態」で持ち運んでいたことです。
多くの人は「何が間違い?」と思うかもしれません。
当時の私も、同じでした。だから「そのまま」持ち運んでいました。
間違いと気づいたのは、最近です。
正しくは、色々と学習をすることで改善、改良してきたことで気づきました。
気づいた重要な点があります。
「その日使う分だけでいい」、という事実に気づきました。
義務教育で、特に低学年の場合、教科書の重さが相当な負担になります。
しかも今は、異常にデカくなっています。
宇宙空間であればデカくても構いません。
重量の影響がないからです。
しかし、地球上では重力の影響を受けます。
デカくなるほど、重量が増します。
持ち運ぶだけで疲れます。
これは政治家が先頭に立って改善すべき点と思います。
文部科学大臣、ボケーとしていないで変えたらどでしょうか。
いくつかの案はすぐに実行できると思います。
一つは電子化です。
タブレット1台で対応できます。
教科書の電子化です。
費用も削減できます。
ゴミも大量に減ります。
出版社の利益が減るだけ、正しくは印刷会社の利益が減るだけ、です。
もう一つは、一冊にしないこと、です。
教科書を「ルーズリーフ」式にすることです。
その日に使う分だけ、持っていけばよいのです。
読みもしない分を、持ち運ぶことは「ムダ」です。
一日分だけ、持っていけばよいと思います。
これは資格試験で鍛えられた結果です。
分厚いテキスト、やる気を失う量の過去問題集など、その厚さで
嫌になることがあります。
ここで大きな勘違いをする人が出てきます。
この分厚い本を持ち運ぶことで、勉強した気分になる人です。
特に試験会場では多く見かけます。
試験場に持ってきても、ただ試験前に疲れるだけです。
相当に学習した人であれば、本の状態を見ただけで、その人が学習
してきたのかどうか分かります。
本の使い方、読み方が本の状態に出るからです。
分厚いほど、よけいに分かります。
ほとんど使っていない人の場合、ページを正しくめくることができません。
読み込んでいる人の場合、必要なページを瞬時にめくることができます。
これは紙の特徴です。
一冊の場合は、分厚いと使いずらいです。
そこで、学習を進めてきた人や、ある程度の実力がある人の場合、この
本の使い方が変わります。
「分解」します。
本を項目毎などに「切り分け」します。
これを行っている人は、間違いなく学習してきた人です。
学習方法を自分なりに確立していないと、できません。
分かっている部分、これを持ち運ぶ必要はありません。
理解できない部分、記憶が不十分な部分など、重点的に学ぶ必要が
ある所だけ、持ち運べばよいからです。
教科書を切る、これができるかどうか、です。
切ってはいけない、そのような法律は知りません。
分厚い必要はない。
必要な部分だけ、使えばいい。
そうすると、今の義務教育は大きな間違いをしています。
使わない部分、今は必要ではない部分を持ち運ぶ理由がない、となります。
義務教育レベルで使用するテキストのページ数など、たかが知れています。
そのわずかなページしか使わないのに、不要な残りを持ち運ぶことはムダです。
これは、教員が分かっていないから、が主な原因と思います。
改善、改良することができない、「センセイ」と呼ばれ続けたことが原因の
「アホ」が教壇にいるからだと、私は思います。
相手のことを考えていない、だから改善案が浮かばない。
習っていません、が常套句の馬鹿どもが教員と感じます。
むしろ、教員こそAIを搭載したロボットが望ましいと思います。
タブレットのような道具と、客観視しかできないロボットのほうが、
良い場合が多いと思います。
自宅で「予習」、学校で「復習」、帰宅後はしっかりと「遊ぶ」、これで
良いはずです。自宅で予習しないから、学校で始めて「聞く」。
地頭のレベルが低いため、理解できない。そのせいで、帰宅後に塾に行く。
しかし、「ただ塾に行っただけ」で、頭には残らない。しかし、金は減る。親は悩む。
この繰り返しが良いはずがありません。
学ぶ基礎ができていないから、です。
大昔であれば、寺子屋です。
「学びたいから学ぶ」のです。
させられてする、のではありません。
平均点や、偏差値も基本的に「どうでもよい」ことです。
特に、都道府県ごとの「平均点」など、バカの真骨頂と思います。
何の意味があるのか、といつも思います。
学ぶ者と学ばない者を「平均」して、何か意味があるのでしょうか。
地域の格差、所得の格差と言われます。
確かに、一定レベル以上の場合、差が出ます。
ですが、この世の仕組みを知ることができれば、不公平とは思わないはずです。
むしろ、「その程度、ハンデとしてくれてやる」くらいの気概を持つべきです。
公明党を筆頭に「10万円の給付」がやたら強調されています。
婦人会か何か知りませんが、よほどの弱みを握られている、ように見えます。
情けない政党です。
恥を知るべきと思います。
倫理や道徳を学ばなかったのでしょうか。
教育が重要だ、と主張することに異議はありません。
問題は、ではどうやって強化するのか、です。
ばらまく給付金ではなく、義務教育の電子化から行うべきと思います。
電子化なので、映像で「好きな時間帯」に学ぶことができます。
いちいち田舎の下手な教員の長話を聞くよりも、最前線の優秀な教員の
授業を「映像で」学ぶことのほうが良いと思います。
これで「学力格差」を改善できます。
費用の壁も相当にクリアできます。
度肝を抜かれるような超ド級の田舎であっても、学力は同等以上にできます。
時間帯が自由になるので、学びたいときに学ぶことができます。
これは現代のメリットです。
羨ましいと思います。
電子化されているので、ゴミが出ません。
これも考えるべきと思います。
紙媒体を作って廃棄するまでの二酸化炭素排出量も検討すべきです。
率先して行うべきは、文科省の大臣のはずです。
しかし、何かマトモなことをしているでしょうか。
不作為、と思います。
能無し大臣であれば、総責任者は早急に改善すべきです。
先を見通す力を持つべきと思います。
とはいえ、この能力は天が認めないと絶対に使用できません。
そうすると、能力者を見つけて側近に置くか、いつでも連絡できるように
すべきと思います。
国力を強くする、これは源となる未成年者の学力と実務力の向上が必須です。
そのために必要となるのであれば、税を惜しむことなく使うべきです。
単に婦人会に言われたから、ご機嫌取りにばら撒くのは、愚策の極みです。
明確な理由があれば、進むべきです。
教育改革のように大げさに言う必要はありません。
まず、テキストの分散化です。
重量の激減をすることです。
学び方を教えるべきです。
学校は「習うところ」ではなく、「復習するところ」と知らせるべきです。
自分で予習したけど理解できなかった、そこだけ「習えばいい」のです。
一から十まで習うのは学習ではない、と私は考えています。
7から8までは予習して分かったけど、どうしても残りの2か3だけは「予習では」分からなかった、だから教えてくださいセンセイ、とすべきと思います。
そうすると、教員の労力も激減すると思います。
これで授業の改革もできるはずです。
アホ、学ばない者を基準とする方針は廃止することです。
学ぶ者を基準とすること、これが当然と思います。
学ぶ気が無いなら、学ぶ者のジャマです。
学ばない者は、「何をしにこの世に来たのか」から考えさせるべきです。
そうしないと、日常生活で支障がでることがあります。
先日も70歳を超えていながら、「習っていない、聞いたことがない、勉強していない、勉強する気もない、知らない」、だから分からない。
知らないし、分からないから悪くない、というバカの典型的な言い分を延々と聞かされました。
知らないことを自慢し、錦の御旗とするタイプです。
最悪です。
しかも70年以上の時間を使っての姿です。
何とも思わないことに、激しい憤りと情けなさを感じました。
余命が何年あるかまでは分かりません。
何をしにこの世に生を受けたのだろうと、思いました。
人命受け難し、死んでから気づくのかもしれません。
その姿をみて、改めて思いました。
このような愚かな生き方は、決して行ってはいけないことです。
少学、壮学、老学、三学です。
何をしにこの世に来たのですか、という問いに対して、「学ぶために来た」
これで良いと思います。
生き方の差ですが、何のために学ぶのか、これは教員が本物の生き方を
しているのであれば、正しく教えることができるはずです。
森 信三、このような本物の教育者が一人でも多く増えてほしいです。
修身教授録、できれば電子化してほしいです。
義務教育の教員だけでなく、専門教育の分野の教員も必読と思います。
教育「業者」は多数します。賄賂と私腹のことには全力です。
醜い姿を晒すことに対して、恥を知らないようです。
ですが、そう遠くないときに、激しく後悔する時が訪れると思います。
後悔しない生き方を、教員は教える義務があると思います。