【対空砲を生で聴く】: レバノン | 世界あちこち散歩

世界あちこち散歩

国内外の色々な所で見聞き・体験したヒト・モノ・コトを綴ります

1年前の今日、12月29日は、
日産自動車の会長等を務めた
カルロス・ゴーン」氏が、
日本から逃亡した日です。

彼は金融商品取引法違反、
特別背任罪で逮捕・起訴
された後、保釈中に、
楽器収納箱に隠れたまま、
関西国際空港からチャーター
したビジネス・ジェット機で
不正に出国しました。

楽器収納箱では無く、
タンス(箪笥)」に隠れていたら
タンスにゴーン」で
スポーツ紙の見出しは決定して
いたかも知れないと思うと、
大変惜しい気がしますが(笑)、
真面目な話、起訴されている
容疑での有罪無罪はさておき、
保釈中に不正に逃亡した件に
関しては、許されざる行為と
言えるでしょう。

彼はその後トルコを経由して
母国」と言える
レバノン」に入国し、
現在も、首都の
ベイルート」に滞在している
と思われます。

今年8月に発生した
ベイルート港での大規模な
爆発事故」では、彼の自宅も
被害を受けた様です。

因みに、この事故に関して、
花火倉庫」での爆発という
報道が当初はありましたが、
その後の調べでは、大量かつ
不適切に保管されていた
硝酸アンモニウム」への
引火が原因と見られています。
硝酸アンモニウムは、
肥料の原料として広く
使われていますが、
爆薬の製造にも使われる
物質です。

さて、今年最も世間を
騒がせた人物の一人となった
ゴーン氏の生い立ちに関し、
ブラジル生まれ」とか
フランス国籍」とか
レバノン系」とか
言われているので、
「一体彼のルーツは何処?」と
疑問を持たれた人も多いと
思いますが、
国籍」と言う意味では、
ブラジル、フランス、
レバノンの3ヶ国の国籍を
保有しているそうです。

そして、
父はレバノン人、
母はフランス人」とも
言われていますが、
その母親も、元々は
レバノン人の両親から
生まれており、
ブラジルで出会って
結婚した父母から生まれた
のがゴーン氏ですので、
血筋」「民族」の観点では、
紛れもなく、
レバノン人」です。

実は、レバノン人に関しては
ゴーン氏一族の様なケースは
決して珍しいものではあり
ません。

昔からレバノンでは紛争が
絶えず、多くのレバノン人が
世界各地に離散していて、
特にブラジルには多く、
その数は、レバノン本国の
人口(600~700万人)よりも
多いとも言われています。

第二次世界大戦終結後は、
中東経済の中心として発展し、
首都のベイルートは
中東のパリ」とも呼ばれて
いましたが、1975年からの
内戦で、かつての安定と
繁栄は完全に失われて
しまいました。

そんなレバノンを
私が仕事で訪問したのは、
1995年の3月でした。

内戦は一応、1990年に
終結していましたが、
街中には多くの傷跡が
残っていました。





また、隣国のシリアや
イスラエルとの緊張関係は
依然として続いていました。

滞在中、高台にある
レストランで取引先と
ディナーを食べていると、
パンッ、パンッ、パンッ
と言う大きな音が、
突然外から聞こえました。

中東のお金持ちの結婚式や
誕生会等では、お祝いに
花火を打ち上げる事がある
ので、多分そうなのだろうと
思いつつ取引先に確認すると、
あれは対空砲の音」との返事。

実際に撃ち落とす気は無い
威嚇射撃らしいのですが、
敵機であろうが、他国機で
あろうが、万が一命中したら
大変な事になってしまうと
思うと、ぞっとしました。

さて、かつてはビジネス上の
成功で、そして今では、
不名誉な事件の被告として
世界で最も有名なレバノン人
となってしまったゴーン氏ですが、
彼以外にも、商魂に長けた
レバノン人は数多く、世界の
各地で、逞しく生きています。

例えば、
レバノン料理」のレストラン。
結構色々な国にあります。

アラブ料理店とか中東料理店
とか呼ばれているお店は、
実際には大抵がレバノン料理店
です。

そして、日本人の一部の人は
ご存知と思いますが、
パッチ(Patchi)」と言う
チョコレートのブランドも
レバノンが発祥です。


1974年にレバノンの
ベイルートに1号店をオープン。

1977年にはサウジアラビアの
ジェッダにオープン。

1999年にはロンドンとパリに
オープン。

その他、数カ国でショップを
展開しています。

残念ながら、日本にはまだ
進出していないので、
ドバイ」への旅行者や在住者が、
ドバイ土産として買って
来られるケースも多い様です。