【伝統と革新を考える】: 浅草 | 世界あちこち散歩

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国内外の色々な所で見聞き・体験したヒト・モノ・コトを綴ります

私は台東区民では無いですが、
東京で生まれ育っているので、
浅草は観光に行く所では無く、
時々気軽な食事に行く様な所、
と言う位置づけなのですが、
近年の浅草の盛り上がりは、
本当に凄いですね。

いつ行っても、
多くの外国人が居て
大混雑です。
勿論、修学旅行生など、
他県からの日本人観光客も
とても多いです。

浅草が、東京のみならず、
日本を代表する観光地である事には、
東京人としては、
「何で? 何がそんなに良いの?」と
率直に思う部分もありますが、
特に外国人から見たら、
神社仏閣があり、
各種日本食や買い物も楽しめる、
「思い描いていた日本」の縮図が
そこにあり、
街全体が「テーマパーク・日本」
なのだと思います。

それに、歴史上、何度も衰退の
危機に瀕したのに、
地元の人達の努力で再興して来た事も
忘れてはならないと思います。

そこには、伝統を守るだけでは無く、
革新も受け入れて来た事実もあり、
そしてその革新が、
新たな伝統を生み出して来た点は、
街おこし、地方創生等の面でも、
大いに参考になると思います。

例えば、浅草サンバカーニバル。
1981年に始まったのですが、
当初は多くの人が、
「何で浅草でサンバ?」と
思ったでしょうが、
間もなく40年経つわけです。
こうなると、もう立派な
伝統行事ではないでしょうか。

ついでに似たような例を挙げると、
東京では「高円寺阿波踊り」があり、
こちらは1957年から60年以上続いて
います。
徳島県の本家・阿波踊りの歴史には
遠く及びませんが、
60年も続くのは、
並大抵な事では無いと思います。

建物、風景の例で言うと、
アサヒビール本社の2つの建物。
1989年の完成時には、
下町の風情に合わないとか、
散々非難もあったのですが、
今ではすっかり馴染んでいて、
スカイツリーが出来てからは、
更にフォトジェニックになり、
個人的にも、東京で大好きな
景色の1つです。


逆に、多くの人が、
とっても古いものだと思っているけど、
それ程古くないものもあります。

浅草で言えば、正に「雷門」と
「大提灯」がそうでして、
前者は1960年創建、
後者は1971年からの設置で、
どちらもパナソニックの創業者、
松下幸之助氏の寄贈だったそうです。


浅草寺には「二天門」と言う
重要文化財があり、
こちらは1649年に再建された
大変古いものですが、
ほとんどの人は、
特に関心を持たず、
写真も撮らずに帰っています。
ちょっと残念な気持ちになりますが、
それだけ、インスタグラムも
デジカメ、スマホも無い
フィルムカメラの時代から、
雷門と大提灯の組み合わせは、
最強のフォトジェニック・スポット、
最強の観光コンテンツだったと
言えるでしょう。

国内で言えば、京都の「平安神宮」も
名前からして凄く古そうですが、
実は明治時代、1895年の創建だそうです。

海外で言えば、
インドネシアのバリ島に旅行した
人の多くが鑑賞すると思われる
「ケチャ」と言う舞踊芸術。
あまり知られていないかも知れませんが、
何百年も歴史がある訳では無く、
初演は1933年。
しかもドイツ人芸術家が
完成させたパフォーマンスです。


この様に、我々が持っている印象と
実際の歴史の年月が違っている例は
多くあるので、何を根拠に伝統と
呼ぶかは定義が難しいと思いますが、
日本や海外の多くの観光地を訪問し、
多くの事を感じ、学んだ経験から、
伝統と革新について、
心がけている事があるので、
最後に紹介させて頂きます。

①新しい物、事を否定せず、
 寛容な目線を持ち、
 理解しようとする。
 今は奇妙に見えても、
 やがて普通になったり、
 50年、100年と続けば、
 立派な伝統、文化になる。

②古ければ良いと言う訳では
 無いが、存在意義の希薄なもの
 (恣意的なブーム、長期ビジョンの
 無い都市計画や建築物など)は、
 歴史の中で自然淘汰される事が多く、
 長く続いているものには、
 それなりの理由、支持があるので、
 一定の尊敬を持って接する。