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オンライン講座「歌塾」
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作品掲載
note企画
2021年4月分掲載
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夏
さ月やまあめにあめそふゆふかぜにくもよりしたをすぐるしらくも
九条良経
秋篠月清集913、百首愚草、院無題五十首
【現代語訳】
皐月の山を眺めやると、
降りしきる雨に
さらに雨が降り添うように
夕風が吹き加わっていて、
雨雲より下のあたりを
雨雲とは別と見える白雲が
その風に乗り渡ってゆく。
(訳:梶間和歌)
【本歌、参考歌、本説、語釈】
あめそふ:雨が加わる、
雨がさらに加わる。
四段活用「添ふ」は自動詞で
「付け加わる、増す」などの意。
下二段活用する場合は
自動詞、他動詞それぞれ
文脈によって異なり、
また自動詞でも
四段活用自動詞「添ふ」とは
意味が異なるので注意。
それぞれ別のそれを指す
「雨」「雲」の語の重ねられた、
しかしくどくない、姿の整った歌。
約百年後の京極派の自然詠を
どこか先取りしたような。
初句が5音の体言なので、
これでもし三句も
体言で切れていたりすると
ただただうるさいだけの
幼稚な歌になったでしょう。
「運動会みんな走って泥だらけ……」
のような。
これは
適当に思いついただけですが、
この種の幼稚な歌は
案外あるものですよ、
主に現代短歌に。残念ながら。
体言で切れる句が
一首中に複数あっても
幼稚に響かない歌もあります。
が、それには
それだけの理由があります。
ふつうは
そうならない(できない)ので、
初学のうちは
複数の句切れを体言で切る
なんてまず避けたほうが無難。
当然良経は
そういう考えなしはせず、
初句で緩やかに切ったのち
結句の体言までを
なだらかに続けながら
「雨」「雲」の語を重ね、
韻律以外の面でも
美しさを担保しています。
「あめにあめそふ」
「くもよりしたをすぐるしらくも」
なんて、本当に
京極派のような描写ですが、
しかし京極派和歌よりは
まだほんの少しだけ
前時代、王朝時代の名残のある
この雰囲気。
それは、
良経の生きた時代ゆえより
良経の個性ゆえなのかな。
「さ月やま」は
良経の家集『秋篠月清集』
「院無題五十首」
夏部10首中の4首目。
この「院無題五十首」が
いつのものなのか、
本気を出せば
調べられるのでしょうが、
新しく届いたパソコンに
まだ馴染んでいない私には
そこまでの時間が掛けられず、
すみません。
それより
今日以降の記事を書き溜めねば。
『月清集』で
この「院無題五十首」の次に
収められている「院句題五十首」が
建仁元年(1201年)九月から十二月
成立なので、
「院無題五十首」は
これより前の成立
……ということでよいのでしょうか。
百首歌は百首歌で
時系列になっているようなので
(これもきちんと調べたわけではなく、
題をざっと見て
「たぶん時系列」という印象を受けただけ)
五十首歌2つも
時系列と見てよいのかな。
勅撰集だけでも
追うのは大変なので、
個人の家集にのみ入っている歌
となると、もう本当に
その歌に出合えたことが幸運
という感じです。
『月清集』ももっと
きちんと読み込みたいのですが、
なかなか思うようにはゆきません。
遅々とした歩みではありますが、
温かい目でお見守りいただき
お付き合いいただきたく、
これからも。
さ月やまあめにあめそふゆふかぜにくもよりしたをすぐるしらくも