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千載集を撰び侍りける時、古き人々の歌を見て
ゆくすゑはわれをもしのぶ人やあらむ昔を思ふ心ならひに
藤原俊成
新古今和歌集雑下1845
【現代語訳】
いつか、将来、
『千載和歌集』を撰んだ私のことをも
懐かしく思い出す人が
いるのだろうか。
いま私がこうして古歌を、
それらを詠んだいにしえの人々を、
懐かしく偲ぶように。
(訳:梶間和歌)
【本歌、参考歌、本説、語釈】
ゆくすゑ:将来
しのぶ:思い出す
人やあらむ:人がいるのだろうか。
「や」は疑問または反語を表し、
ここでは疑問の意。
心ならひ:心の習性
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たれかまた花橘におもひ出でむわれもむかしの人となりなば
藤原俊成 新古今和歌集夏238
に通ずる、
自分の死後を含めた未来における
自分の存在を思う歌。
この歌はもともと俊成の家集
『長秋詠藻』に入っていた歌で、
撰集のやうなることしける時、古き人の歌どものあはれなるなどを見てよめる
という詞書とともにあります。
『長秋詠藻』の第一次本の成立は
治承二年、
『千載集』撰進の命は
寿永二年二月に下っているので、
実際の「ゆくすゑは」は
『千載集』に先立って
私撰集を編んでいた時に
感慨深く思い詠んだのでしょう。
勅撰集ではない私撰集を、
当時の言葉で「打聞」といったそうです。
俊成の打聞の全貌は
現在知られていませんが、
『三五代集』という名で
当時記録されているものが
それに当たるのだろう、
と考えられているようです。
ゆくすゑはわれをもしのぶ人やあらむ昔を思ふ心ならひに
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