藤原俊成 ゆくすゑは | わたる風よりにほふマルボロ

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キラキラ

 

『源氏物語』を使った心理学講座。

次回講座は1月23日

紫上の前半生を題材にします。

 

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千載集を撰び侍りける時、古き人々の歌を見て

 

ゆくすゑはわれをもしのぶ人やあらむ昔を思ふ心ならひに

 

藤原俊成

新古今和歌集雑下1845

 


 


【現代語訳】
 

いつか、将来、

『千載和歌集』を撰んだ私のことをも

懐かしく思い出す人が

いるのだろうか。

いま私がこうして古歌を、

それらを詠んだいにしえの人々を、

懐かしく偲ぶように。

 

(訳:梶間和歌)

 

 

【本歌、参考歌、本説、語釈】

 

ゆくすゑ:将来

 

しのぶ:思い出す

 

人やあらむ:人がいるのだろうか。

 「や」は疑問または反語を表し、

 ここでは疑問の意。

 

心ならひ:心の習性

 

 

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たれかまた花橘におもひ出でむわれもむかしの人となりなば
藤原俊成 新古今和歌集夏238

に通ずる、

自分の死後を含めた未来における

自分の存在を思う歌。

 

 

 

この歌はもともと俊成の家集

『長秋詠藻』に入っていた歌で、

 

撰集のやうなることしける時、古き人の歌どものあはれなるなどを見てよめる

 

という詞書とともにあります。

 

 

『長秋詠藻』の第一次本の成立は

治承二年、

 

『千載集』撰進の命は

寿永二年二月に下っているので、

 

実際の「ゆくすゑは」は

『千載集』に先立って

私撰集を編んでいた時に

感慨深く思い詠んだのでしょう。

 

 

勅撰集ではない私撰集を、

当時の言葉で「打聞」といったそうです。

 

俊成の打聞の全貌は

現在知られていませんが、

 

『三五代集』という名で

当時記録されているものが

それに当たるのだろう、

と考えられているようです。

 

 

ゆくすゑはわれをもしのぶ人やあらむ昔を思ふ心ならひに

 

 

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