神から人へ。人から神へ。
教えておきたきことは少なし。
早くに広めて、伝えてゆけよ。
何も残さず、余さずに、一つも忘るるなきように。
さにて本日、何を問うや。
(神様の喜ばれるお金の使い方についてお教え下さい)
では教えん。
金は本来神に捧げる、尊き真心、忠誠心、帰依(きえ)の心を示すためなり。
なれど人は誤りて、勝手な欲望、願望募(つの)らせ、ただ己のみ、我欲のために、物を手に入れ、増やすため、使うになくて、逆に使われ。
なれば人は道具をあやまち、自ら心を失いぬるを。
神へ捧げる真心を、金に奪われ、支配されぬ。
なれば、神は、心を失い、奴隷となりし哀れな民を、救い、拾いて、気付かせんため、厳しき禊ぎを与えられき。
なれど気付かず、煩悩(ぼんのう)深め、かえりていや増す執着迷妄(めいもう)。
真の富を知りも得(え)せずに、つまらぬ物質財産に、目をくらませし、世紀末。
価値の判断、基準は狂いぬ。
神の基準を遠ざかり、さらに狂いは進み行くのみ。
このまま乱れの正されざらば、この世は永久(とわ)に救われもせず。
神の基準を手に入れよ。
さすれば必ず、正しく使わん。
神の喜ぶ金の使用は、己の欲望満たすになく、人の幸せ増させるために、見返り報酬求むることなく、人に捧げる思いやり。
さなる金銭、使いなば、神は喜び、さらに与えん。
なれど己の欲のため、己の所有、財産のため、人に与えること惜しみ、与えらるるをのみ望むは、神は嫌いて、禊がんとさる。
気付けよ、金銭、物質の、儚(はかな)さ、脆(もろ)さ、危(あや)うさを。
やがては闘い、奪い合い。
目に見ゆ物には、限りあらん。
いつか必ず、限られし、物質資源の取り合いならん。
人より多く、人より広く、地上を支配し、独占せんと、愚かな考え、浅はかならずや。
地上の富に価値ありや。
死して帰らん世界には、物質金銭、役にも立たず。
なれば御霊(みたま)を浄めんことをば、先ずは第一、優先させよ。
さなる基準に照らしなば、自ずと分からん、正しき利用。神の喜ぶ使い方。
~神誥記 :今日の話題社: 新装版 (2007/02)ひふみ ともこ より~
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