人を救わば、己も救わん。 | 2019R01のブログ

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(被害者を同情する必要はない、自分たちが悪いのだ、という冷淡な気持ちを持てばよいのでしょうか)


さにあらず。

 

全ては同じ、同罪者。

 

被害者嗤(わら)うことも罪。

 

侮蔑(ぶべつ)の心で見下す者こそ、傲慢不遜の者ならざるや。


さになし、神の望む愛とは。

 

互いに悲しみ苦しみ分かち、被害を受けぬ者とても、ただに幸運喜ぶになく、被害を受けし者の悲しみ、辛さを感じ、共にあれかし。


さなれば被害者、加害者も、必ず心の神に目覚めて、真の救いに、救われゆかん。

見離し、見過ごし、遠ざかる、冷ややかなるは、まだ足らぬ。

 

心の行も、体の行も。

 

まして霊行適(かな)わざる。
 

さらに禊ぎて、浄めるべけれ。
 

最期の選別、その時に、冷淡なるも、落とされなん。


誠の優しさ、慈愛の尊さ。

 

胸に秘めたる者のみが、次なる時代を築くに能(あた)わん。


なれば心し、胸に刻めよ。

 

被害者なるは、全てが被害者。

 

この世に共にある限り、同じ運命、同罪なるを。


己一人が正しきになし。

 

己一人が清きにあらず。
 

同じ嵐を乗り越える、定めの船に同船せしは、一人救われ、生き延びる、そを望むこそ最も罪なり。


飢餓に苦しむ者を遠目に、己一人が飽食す、今の地上の退廃見よや。


この世に生まれ、行を積み、魂磨きを望みなば、己一人の浄めに不足。

 

全ての救済、昇華を祈れよ。
 

さらに気持ちを高めてゆけよ。

 

人を救わば、己も救わん。
 

人の不幸に己を見つけ、共に悲しむ優しさ持てよ。


さにて。

 

 

 

 

 

 

~神誥記 :今日の話題社: 新装版 (2007/02)ひふみ ともこ より~

 
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