(被害者を同情する必要はない、自分たちが悪いのだ、という冷淡な気持ちを持てばよいのでしょうか)
さにあらず。
全ては同じ、同罪者。
被害者嗤(わら)うことも罪。
侮蔑(ぶべつ)の心で見下す者こそ、傲慢不遜の者ならざるや。
さになし、神の望む愛とは。
互いに悲しみ苦しみ分かち、被害を受けぬ者とても、ただに幸運喜ぶになく、被害を受けし者の悲しみ、辛さを感じ、共にあれかし。
さなれば被害者、加害者も、必ず心の神に目覚めて、真の救いに、救われゆかん。
見離し、見過ごし、遠ざかる、冷ややかなるは、まだ足らぬ。
心の行も、体の行も。
まして霊行適(かな)わざる。
さらに禊ぎて、浄めるべけれ。
最期の選別、その時に、冷淡なるも、落とされなん。
誠の優しさ、慈愛の尊さ。
胸に秘めたる者のみが、次なる時代を築くに能(あた)わん。
なれば心し、胸に刻めよ。
被害者なるは、全てが被害者。
この世に共にある限り、同じ運命、同罪なるを。
己一人が正しきになし。
己一人が清きにあらず。
同じ嵐を乗り越える、定めの船に同船せしは、一人救われ、生き延びる、そを望むこそ最も罪なり。
飢餓に苦しむ者を遠目に、己一人が飽食す、今の地上の退廃見よや。
この世に生まれ、行を積み、魂磨きを望みなば、己一人の浄めに不足。
全ての救済、昇華を祈れよ。
さらに気持ちを高めてゆけよ。
人を救わば、己も救わん。
人の不幸に己を見つけ、共に悲しむ優しさ持てよ。
さにて。
~神誥記 :今日の話題社: 新装版 (2007/02)ひふみ ともこ より~
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