いかなる善人聖人とても、必ず日々に罪を積み、人を傷つけ、生きてゆくもの。 | 2019R01のブログ

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(被害者にも原因があるから、双方共に反省し、相手を恨んではいけないということですか)


さなり。なれど誤り、あやまつなかれ。

 

双方共に原因なれど、その罪許しし神のご意図を。


神の禊ぎは、禊がれし者の、独りの禊ぎにあらざれば。

 

なれば人が人を犯し、罪を作るは、神の警告。


なれば当事者のみになく、周囲の者もそこから学べよ。

 

全てが一つの調和にあれば、ただ独りのみを禊ぐにあらず。


(人から恨まれることなどしたこともない善人が、ときに殺されたり、病気になったり、事故に遭ったりします。
それも、禊ぎであり、その当事者に原因があり、被害者当人の招いた結果なのでしょうか)


さなり。なれどそもまた誤解されなん。

 

独りの禊ぎにあらざれば、全ての者への禊ぎなり。


いかなる善人聖人とても、必ず日々に罪を積み、人を傷つけ、生きてゆくもの。


なれば日々に神に謝り、神への帰依と感謝を高めよ。

 

なれば善人、悪人とても、同じ神の子、光を与えん。


(実際には、罪を犯すまでの経緯(けいい)は複雑で、個人により様々です。犯罪の原因も昔とずいぶん変わってきました。
中には、時代の流れの中で、罪を犯す人もいると思います。そうした人たちは、時代の中の犠牲者なのではないでしょうか。
また、犯罪を防ぎ、減らしてゆくにはどうすればよいでしょうか。或いは、犯罪も神の御心、禊ぎなのだから、減らす必要はなく、減らすこと自体不可能ということでしょうか)


さにあらず。

 

人一人一人の努力は尊く、神の望まる営みならん。


神の嫌わる現代の、地球を覆(おお)う風潮は、己中心、自己中心。

 

その最たるものが戦争なり。
 

さにて今の世、一つ一つの、犯罪、そもまた戦争ならずや。
 

人の作りし原因の、結果を受けるも人間なれば、そを忘れずに問い直し、謙虚に立て替え直しを進めよ。


神は望むぞ、人の全ての、改心悔悟と感謝の高まり。

 

人が心を取り戻すとき、犯罪もまたなくなり絶えなん。


なれど今の世、このままにては、人の心に悟りもあらず。

 

繰り返しなん、罪と冒涜。
 

神は人へと望むなり。

 

人の救いと、精進を。

 

なればこその禊ぎなり。
 

罪の中から、気付きてくれよ。

 

何が原因、足らざるかを。

 

人の償い、そもまた同じ。

 

罰金牢獄、人には要らぬ。
 

誠の改悛(かいしゅん)、そがなくば、人を処刑し、懲役(ちょうえき)課すとも、何の意味なし、変化なし。


まして死刑は罪を深めん。人の驕(おご)りと不遜なり。


償うことは非を認むこと。

 

素直に悔いて、下座する心。
 

人や時代に責を求むな。

 

己の心の欠陥なれば、早くに気付きて、神に近づけ。


さにて己の罪の深さを、謙虚に恥じて畏(おそ)るるとき、自ずと神を求めてゆかん。


神の許しを、心の救いを、魂(たま)の底より、求めてゆかん。


さなる心の目覚めしときこそ、被害者、加害者、共に救われ、罪の神意を悟りなん。


償い、贖(あがな)い、本来あり得ず。


あるは神への誠の帰依と、精進望む、それのみなり。

さにて、本日、罪の意味と、償いの法を教えたり。


心の葛藤(かっとう)、煩悶(はんもん)越えよ。

 

生きる尊さ、意味を見つけよ。

 

そこにて神は待ちておられん。

 

解脱(げだつ)の心を、無我の境を。
 

さにて。

 

 

 

 

 

~神誥記 :今日の話題社: 新装版 (2007/02)ひふみ ともこ より~

 
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