ことばがこの世を浄めるとは、どのようなことでしょうか | 2019R01のブログ

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神から人へ。

 

人から人へ。

 

教えも終わり、次なるみ役を。

 

神の手伝い、続けてゆけよ。
 

教えの全てを知らせてゆけよ。

 

己一人の精進になく、全ての人の救いとなれよ。


そのため神は下ろしぬれば、そなた一人の精進になく、全ての人の救いを示せよ。


さにて本日、何を問うや。


(音霊についてお教え下さい。言霊とはどのように違うのでしょうか。それはどのような力を持つのでしょうか)
 

そもまた、根本、始めの問いなれ。


音霊、始めにことばのありき。

 

なれば言霊、そもまた同じ。
 

音の魂、秘めし力は、この世を浄め動かすことなれ、この世の生きとし生ける全てを、さらに浄めてゆく力なり。

なれどこの世に今溢(あふ)るるは、乱れしことばの音なれば、この世の乱れを進め増やして、却(かえ)りて乱れを広げゆくなり。


なればことばの清き音にて、この世を浄めて高めぬるよう、先ずは正せよ、発音、発声。


いかに乱れしことばなれども、音の一つも直してゆかば、必ず浄まり澄みゆきなんを。


汚きことばと発音ならば、心の汚れも増やし増すのみ。

 

全てのことばの持つ音を、正しく唱えよ。発すべし。

 

(ことばがこの世を浄めるとは、どのようなことでしょうか)
 

そはまた基本の、基礎なる問いなり。

 

なれど重要、根本なれば、今再びに答えて教えん。
 

ことばがこの世を浄めるとは、ことばそのもの、元に潜(ひそ)めし、ことばの霊力、そを意味するものなり。


なれど霊力、神の力は、昔の古代のことばのみなれ。

 

今の人の世、流通するは、かつての力は備えておらず。
 

なれど今にも残りてあるが、ことばの浄めの霊力なり。
 

人の心の奥の汚れや、魂の奥底、内に忍ぶ、邪欲邪心を洗い出すなり。
 

汚れや曇りを祓うものなれ、目に見え清らにならずとも、必ず心の暗さも照らされ、明るく直き心となるらん。


なればことばは、先ずは人へ。人の心を浄めゆくもの。

さなりて心は浄められ、狂いを正され、高まりて、やがては現象、事物に及び、広がりゆくなり。伝わりゆかん。

 

 

 

 

 

 

~神誥記 :今日の話題社: 新装版 (2007/02)ひふみ ともこ より~

 
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