(昔より、日本人は、武士道というものがありました。切腹などについてはいかがでしょうか)
そもまた同じ、神にとりては。
人間世界の考えならば、そもまた正しく潔(いさぎよ)からん。
なれど神には悲しき終わり。
生を自ら終えることは、修行を打ち捨て、放棄すること。
なれば人の世、現界にては、死をもち己の正しさを、証(あか)し禊ぎとするらめど、そは間違いなれば、悪しき慣習。
日本の民の潔(いさぎよ)さ、潔白好む清廉(せいれん)さは、尊く得難(えがた)い気質なり。
なれど己の生のみは、神の与えし恵みなれば、勝手に終えるは、許されず。
生への執着なからばよからん。
なれど多くは執着残し、この世に恨みも留まらんを。
なればその者、魂も、この世をさまよい、成仏叶わず。
なれば慰め、弔(とむら)いて、慰めてやれ。論(さと)してやれよ。
武士といえども、人間ならずや。
生への未練を捨てるは難し。
悔しさ、無念さ、口惜しさ。
仇(かたき)を恨み、呪いも残らん。
いかに慰め、諭せども、なかなか悟るは難(むずか)しかるらん。
或(ある)はまた、死の瞬間の恐怖もあらん。
武士といえども同じ人間。
慣習なれば死を選べども、心の救いは充分ならず。
家族を思い、故郷(ふるさと)思い、死ぬに死に得ず、迷いておらん。
なれば武士道、神の道には、外れしものなれ、よく心せよ。
この世に感謝し、従容(しょうよう)と、死を迎えなば、安らかならん。
なればあの世に戻りても、修行も早く、精進進まん。
なれど自殺をせし者は、いかに決意の固かるとも、後悔未練のいや増して、さまよい迷うが多くの末路。
讃(たた)えるなかれよ。崇(あが)めるなかれ。
死は選ぶべきことならず。
神の決めらることなれば、自ら選びて死ぬことは、神への感謝の足らざる表れ。
神への誠を顕(あらわ)すためなら、この世の生を十二分にも、果たして帰れよ。力尽くせよ。
~神誥記 :今日の話題社: 新装版 (2007/02)ひふみ ともこ より~
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