武士といえども同じ人間。 | 2019R01のブログ

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(昔より、日本人は、武士道というものがありました。切腹などについてはいかがでしょうか)


そもまた同じ、神にとりては。


人間世界の考えならば、そもまた正しく潔(いさぎよ)からん。

 

なれど神には悲しき終わり。
 

生を自ら終えることは、修行を打ち捨て、放棄すること。

 

なれば人の世、現界にては、死をもち己の正しさを、証(あか)し禊ぎとするらめど、そは間違いなれば、悪しき慣習。


日本の民の潔(いさぎよ)さ、潔白好む清廉(せいれん)さは、尊く得難(えがた)い気質なり。

 

なれど己の生のみは、神の与えし恵みなれば、勝手に終えるは、許されず。


生への執着なからばよからん。

 

なれど多くは執着残し、この世に恨みも留まらんを。


なればその者、魂も、この世をさまよい、成仏叶わず。

 

なれば慰め、弔(とむら)いて、慰めてやれ。論(さと)してやれよ。


武士といえども、人間ならずや。

 

生への未練を捨てるは難し。

 

悔しさ、無念さ、口惜しさ。
 

仇(かたき)を恨み、呪いも残らん。

 

いかに慰め、諭せども、なかなか悟るは難(むずか)しかるらん。


或(ある)はまた、死の瞬間の恐怖もあらん。

 

武士といえども同じ人間。

 

慣習なれば死を選べども、心の救いは充分ならず。


家族を思い、故郷(ふるさと)思い、死ぬに死に得ず、迷いておらん。


なれば武士道、神の道には、外れしものなれ、よく心せよ。


この世に感謝し、従容(しょうよう)と、死を迎えなば、安らかならん。

 

なればあの世に戻りても、修行も早く、精進進まん。


なれど自殺をせし者は、いかに決意の固かるとも、後悔未練のいや増して、さまよい迷うが多くの末路。


讃(たた)えるなかれよ。崇(あが)めるなかれ。

 

死は選ぶべきことならず。
 

神の決めらることなれば、自ら選びて死ぬことは、神への感謝の足らざる表れ。


神への誠を顕(あらわ)すためなら、この世の生を十二分にも、果たして帰れよ。力尽くせよ。

 

 

 

 

~神誥記 :今日の話題社: 新装版 (2007/02)ひふみ ともこ より~

 
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