神にもなせぬことのあるらん。 | 2019R01のブログ

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神にもなせぬことのあるらん。

 

人の心を救うための、導き、それは人の務めよ。


選びし幾人、魂を、使いて神の声を伝え、そを広めるは、人のなすこと。


神自らがなせるのは、救わるる魂、引き上げて、守ることのみ、導くことのみ。


後は個人のなすべき修行。

 

自ら禊がれ、求むる者には、さらにみ役を与えてゆかん。

なれど求めず、離るる者は、神も救えず、見送るばかり。

 

厳しき仕組みの、法則なれど、自ら救えよ、救われよ。


神を求むる心のあらば、救いは始まり、導かれゆかん。


意固地に拒みて、驕(おご)る者、高ぶる者は、救う術なし。


宗教者なるは、謙虚なるべし。


最も近く神の声受け、人に伝えるみ役の者は、最も謙虚で、敬虔(けいけん)なれよ。


さならずば、神の み声は伝わらず、枉(ま)げて伝うのあやまち犯さん。


かえりて己が神と見まがい、人の弱みにつけ込みて、救うと称して、利用するあり。
 

神への冒涜(ぼうとく)、甚(はなは)だしきこと。

 

なれど、そもまた、人の弱さよ。
 

低き心の者集まりて、さらに低まり、堕(お)ちてゆきなん。


宗教、多くは、誤りの素。

 

始めのご意図を伝えるものは、少なくなれば、よく心せよ。
 

真の宗教、信仰は、神への感謝と、帰依を深むる、そのことのみを教えるものなり。


神への感謝と、魂浄める、修行を教える、それのみなるよ。


かつての宗教、そを思い出せ。


ことばの恵みを教えるものを、神への感謝を伝えるものを、人は心し、よく見極めよ。

さにて、本日、宗教と、真と偽り、違いを教えき。


明日にも問えよ、さらに深めよ。

 

さにて。

 

 

 

 

 

 

~神誥記 :今日の話題社: 新装版 (2007/02)ひふみ ともこ より~

 
http://www4.tokai.or.jp/kmh/index.html