邪神悪神、多くあり。 | 2019R01のブログ

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(神の国はもう平和に治まっているのですか)


さなり。

 

何も治まり、憂うることなし。

 

全て安らか、平穏なり。


(日本におられる神々が最も古いのですか)


さなり。

 

元の始めの神なれば。

 

なれどその後新たに生まれ、作られし神も多くあり。


(いわゆる悪い神、邪神というものはどのような神なのでしょうか。また、人間はそのような神とどのように 向き合えばよいのでしょうか)


そもまた当然、もっともなり。

 

邪神悪神、多くあり。
 

元に作られ、生まれしときには、悪にはあらず、邪にあらず。


なれどこの世を治めるために、いつか邪なる心が生まれ、この世を我がもの、手中にせんと、勝手な理屈で、真理を乱し、神の経綸、狂わせんとす。


なれどそもまた、神のご意図よ。


邪神も使われ、役割果たさん。

 

全てが平和で、穏やかならば、この世は伸びず、進歩もなからん。


(なぜ、適度な悪のみ許されなかったのでしょうか)
 

悪に程度はあらざらん。

 

悪というは、限りなく、限度も程度も元よりなし。
 

とどまることなし、分別なければ。


(これから後にも邪神は残され続けるのでしょうか。今も邪神は多くおられるのでしょうか)
 

さなり。

 

邪神は、人の心の中に、巣くいて広がり、育つもの。


神の国にはおらねども、残るは人の心の奥なり。


次なる世にも、生まれ現れ、人の心に巣くい はびこる。


完全消滅、そはあらず。

 

人の心に忍び寄り、心の隙を狙うものなれ、次なる世にも生まれて来なん。


なれど勢い衰えさせて、その繁栄を抑えることも、人の行なり、責ならざるや。


悪をなくすは容易なこと。

 

なれどさにては、生も意味なし。
 

神の救いを求めつつ、闘い禊ぎに耐えつつも、悪を抑える、そが行ならん。

 

さにて。

 

 

 

 

 

 

~神誥記 :今日の話題社: 新装版 (2007/02)ひふみ ともこ より~

 
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