あの世の行は辛くも、苦しくもあらん、耐え難きほど。 | 2019R01のブログ

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神から人へ。


神から人へ、救いを与え、癒しを与え、人の心も哀しみも、歓ぶ姿も、笑う笑顔も、全てが神には愛しき姿。


なれば悲しみ、苦しみを、神に見せるな。見せるも罪ぞ。

 

さにて、本日の問いはいかに。


(霊界について)
 

霊界というは、この世と異なる、遠く次元の異なれる、遥か宇宙のそのまた遠くに、人の学問技術にては、到底(とうてい)届かぬ遠き世界よ。

 

遠くて近き霊界なれば、人は肉体滅びし後には、瞬時に着きて、そこにて生まれる。


なればこの世の行残しなば、必ず行は続きて課せらる。

 

人は己の迷いも曇りも、今ある内に、取りゆけよ。


さなくばあの世の行は辛くも、苦しくもあらん、耐え難きほど。


あの世に幾つか、段階のあり。

 

霊層ともいう段階なれど、人は精進昇華を積みて、昇りゆくこと許さるる。


なれど一度(ひとたび)あやまちなせば、一つの段階落ちゆきて、再び辛き、行繰り返す。


あやまち、罪科(つみとが)、汚れに迷い。

 

己の独善、傲慢(ごうまん)、慢心。

 

いずれも人には拘(こだわ)り固まり、取るには難(かた)く、禊ぐに難(むずか)し。


この世の行は肉体あれば、人は己の汚れも見えて、一度(ひとたび)気付きて行を積みなば、必ず結果も明らかなるを。


あの世の行は、目に見えず、体に覚えず、心に写らぬ。

 

ただ日々繰り返す、己との、問答対話、自虐(じぎゃく)と自責(じせき)。


さにて人は行を積み、見えぬ昇華を信じるのみの、時間の流れもさらに遥かに、悠久のままの流れゆくを。


楽しみ歓び、それら全ては、ただ想念のみの、高次の事象よ。

霊界なるは階層あれば、低き階層霊層は、決して許され、認められぬ。

 

上との霊との交信は。
 

なれど許され、認めらる。

 

低き階層、霊層との、通信伝えは、神も許さる。

 

なれば我等もそなたとの、交信導き 許されて、人を救うも神のため、お役に立てる、そのためなれば。


己の利害欲得のため、怨念妄執(おんねんもうしゅう)憎悪のための汚れし目的、神は許さぬ。

 

己のために利用し使うは、 神へのご無礼。


心し、改め、粛然(しゅくぜん)と、神に感謝し、心浄めて、神に使わることを祈らば、神は示さる、神のご意図を。


神のご意図は霊界にても、常に明かされ、説かるれど、なかなか霊にも伝わり難く、我欲我執の強き霊ほど、神の み声を素直に聞けず、行も進まず、苦しむ理(ことわり)。


 

 

 

 

 

 

 

~神誥記 :今日の話題社: 新装版 (2007/02)ひふみ ともこ より~

 
http://www4.tokai.or.jp/kmh/index.html