気付かず死にて、後に気付くあり。 | 2019R01のブログ

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なれば、人はそれぞれに、思い異なれ、願い違えど、ただ等しく共通なるは、次の世を、いかに住み良き、暮らし易き世界となすべきかの想いなり。


そを、真剣に考え、神に問い、神の教えを賜らんと、日々に努め、精進することなり。


さにて、人は、おのが利欲、執着、妄念、我執、それらを浄め、高むること 能うなり。


人のための行いが、返りてわが身に、おのがためになるらんことの理(ことわり)を、気付くなり。悟るなり。解るなり。


なれば、人は思いの中に、神の御心に適う望み、神のご意図に添う願いを、持たんとするがよく、神の心を写す行いを、させて頂くことの喜び、許されしことへの感謝、高めて頂きしことへの報恩、さなる思いを常に持ち、忘れることの なきがよし。


なれど、低き心で、神に仕え、神に役立つこと望みても、そはいずれも、全て、おのがための利己愛多し。


なれば、神は、その者の心高め、魂浄め、清く尊き霊行に適う 真の魂に高めるため、先ずは、禊がれん。浄められん。
祓われん。


清き魂、なり難し。

 

この世に執念、妄念を、残して生まれ、死に変わり、おのが汚れは澱の如く、魂の内に、深く沈みぬ。


浄め、祓い、禊ぎても、容易に取り得ぬ、心のシミ。


この世に作られ、伝えられ、人の間に使われる、物の魂、想念も、この世に生まれし 代々の人の汚れを映す鏡。


人の欲望、人の願望、人の執着、怨念(おんねん)も、さなる物には 遺されし。


なれば、人は物を使いて、さなる怨念(おんねん) 執着を受け、気付かぬうちに毒されて、おのが意思や考え、神への思いも 忘れ果て、逆に囚われ、使われる。


なれば人は、物を作り、使うに当たり、よくよく気を付け、意を用いるべし。心配るべし。


さになくば、人は、己れを見失い、心を囚われ、縛られる。

 

自由な考え、無垢な思い、無心の願いも 汚される。
 

人は、おのが意思の自由によらず、おのが気付かぬうちに汚れ、おのが知らざる間に雲り、さにて、気付きしときには 既に遅し。


遅くにても、気付くればよし。

 

気付かず死にて、後に気付くあり。
 

死にて気付き 悔やみても、積もりし罪は消し難く、雲りし魂は 浄め難し。


 

 

 

 

 

 

 

~神から人へ〈上〉 :今日の話題社: 新版 (2003/09)ひふみ ともこ より~

 

 
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