ヌエ退治伝説で有名な平安末期の弓の達人・源頼政の墓碑と、ヌエ退治の様子を再現した銅像がある古刹の寺、長明寺

     長明寺   兵庫県西脇市高松町    拝観:駐車場無料

山門前に神姫バス「長明寺」がありますが、JR加古川線の西脇市駅から直通はないため徒歩の方が早いです。

 

西脇市北西部にある高松山長明寺(高野山真言宗)は、白雉(はくち)年間(650~654)に法道が開基したと伝えています。車で来た場合は、石段の右側に車が通れる道がありますので、そこを通ります。

石段の参道を進んでいくと、幼稚園の真横に渋い山門があります。そばには「サルスベリ」の花が綺麗です。

高松山長明寺かつては今よりも東方の金城山(古高松)にあり、坊舎が軒を並べていましたが、室町時代、嘉吉の乱の兵火にあい伽藍僧坊すべて焼失し、寺地を現在地に移したといわれます。今は宝光院・宝仙院・仲正院の三ヶ寺と多くの坊屋敷跡があり、往時を偲ばせます。本堂には明治時代に奉納されたヌエ退治の絵馬が掲げられ、法道仙人の開基と伝わる古寺で、本堂には十一面観世音像や朱塗りの撫仏が祀られています。

境内には、ヌエ退治で有名な弓の達人、源三位頼政公とヌエ退治の様子を再現したブロンズ象があります。武人としても歌人としても名を馳せた源頼政は鵺退治でも有名で、平清盛より14歳年上で、鬼退治で知られる源頼光の子孫です。源頼政の所領地であったこの地にこの迫力ある像が建てられています。

解説板より
仁平3年夏 近衛天皇は奇病になやまされておりました。深夜になると黒雲が御所をおおい鵺の鳴き声が聞こえてその度に天皇は苦しまれた。薬も名僧たちの祈願も効なくやがて雲の中に住む妖怪のしわざと考え弓の名手源頼政に妖怪退治が命じられた。きっと見上げた頼政は力一ぱい弓をひき「南無八幡大菩薩」と心の弓に祈念して矢をはなつと見事命中、落ちてきた怪物を家臣の者の早太が刺し殺した。火をともして見ると頭は猿、胴は狸、尾は蛇、手足は虎、恐ろしいという以上です。天皇は感心され獅子王という名剣を下されました。

ヌエ退治の様子を再現したブロンズ象の先を進むと、歌人としても名を残す頼政を偲ぶ歌碑の道が作られ、境内山林には江戸時代・文政年間に開創された「四国八十八箇所」があり、磨崖仏も彫られており散策におすすめです。頼政池の手前の左側の石段を上がると頼政の墓碑があります。

正面には、「源三位院院殿建法澤山頼圓大居士」墓碑があり、部分ごとに年代が違うようで、墓石の基部には、元禄13年再建立と刻まれています。左側には、頼政の側室菖蒲(あやめ)御前の供養塔があります。

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