かつて、宍粟の奥地へと向う際の難所として知られていたこの場所に、洞門が掘られたのは明治36年頃であるとされています。現在も川に面した岩肌には、かつて桟橋を架けて通行していた際に、腕木を挿していた四角い穴が残っています。
兵庫県宍粟市山崎町与位 駐車場はありません
与位の洞門付近は、「下乢(しもほき)の奇岩」と呼ばれ、味わいのある風景を見せています。揖保川上流部へと向かう交通の難所であったため隧道が掘られました、最初は明治36年ごろで、2年間を費やしたとのことで、ついで昭和初年には荷車が通るように広げられました。
洞門は2つになっていて、この曲がりくねった線形にも古色が溢れていて.堅い岩盤を2年がかりで掘り進めた,村人の苦労の結果でしようね~.
歩危と呼ばれるほどの交通の難所であったこの地で,荒天の度に流される桟橋に代わって明治36年頃,村人の手で掘られたのが本隧道で,昭和元年に荷車が通れるように拡幅され,さらに戦後の昭和43年,大型車の通行できるように再拡幅されたという、坑門工が不要なほど堅い地質ということだろうが,昭和43年という時代にあって,素掘りのまま拡幅したことは注目に値する.村人が2年がかりで完成させた洞門は,今もなお良い雰囲気を保ったまま現役で使われ続けています。
小さな石造地蔵尊が
洞門の先には、南無妙法蓮華経と刻まれた石碑がたっていました。水害で多くの犠牲者の冥福を祈っての碑でしょうか。
明治36年頃に村人が2年がかりで隧道を掘ったという「与位の洞門」から眺める揖保川の眺めは絶景です。宍粟市指定文化財(名勝)に指定されています。
~次回を お楽しみに では またね~