さーて、これは何だ?
答えはショコラ。
おいしそうだね。

もし誰かにショコラをご馳走になったら、
ちゃんと御礼を言おう。

「ありがとう」

ちなみにアラビア語のありがとうは「ショコラ」にちょっと似ていて、

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ショクラン
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もし忘れちゃったら、「ショコラ」でも多分通じる。
多分・・・ね(^_^; 間違ってショコラケーキが出てきてもご愛嬌。

§発音はこちら(アラビア語カフェ)
§ANNAさんの記事を参考に、
 「写真+アラビア語レッスン」にしてみました♪
§アラビア語よりケーキという方はこちら
2001年に、バイオC1とデジカメ持参でエジプト旅行。その時に現地から更新していた旅行記サイトはこれです。
エジプト旅行2001年7月

今なら絶対ブログですね!10倍早く記事がアップできるし、見た人からコメントももらえるし楽しめそう。

最近の感動は、海外在住者によるブログ。まじ面白い。写真ひとつ見ても「うわぁ、日本と全然違う!」と新鮮な驚き・発見があります。


海外生活
海外駐在のダンナさんとメキシコシティーで暮らすvidaさんのブログ。食べ物から街中の風景、治安のことまで、日常生活の実にいろんなことが綴られています。きっと好奇心旺盛な人なんだろうなあ。生活を楽しんでいる様子が伝わってきます。ちなみにウチワサボテンは、切るとオクラのようにねばねばしているとか。

maqha fifi@チュニジア
一度は行きたい!と思っているチュニジアでの生活を10月から始め、アラビア語の学校に通っているfifiさんのブログ。出会う人、初めて体験する様々な出来事(時にトラブルも)、感じたことが率直に書かれていて、読んでいてついつい感情移入しちゃう。自分も昔、アラビア語勉強のためにカイロに行って毎日ワクワクどきどきしてました。その頃のことを思い出します。

bangladesh de matsu
バングラデシュ人と結婚しダッカに暮らす主婦、banglaさんのブログ(aminaさんのところ経由で知ったのかなあ)。内容はバングラデシュの文化や生活から映画までいろいろ。自分、そもそも国際結婚した知合いって誰もいなくて、きっと、アメブロ始めなかったら、一生知る機会もなかっただろうなあ・・・ということがいろいろ。

AY YOLU日記
結婚でトルコに移住したay-yolu-buyukadaさんのブログ。文化、生活習慣、宗教やちょっとした作法・・・まったく日本とは異なる環境の中での慣れない暮らしにはいろいろと気苦労も多いようなのですが、そんな日々の中の思いが、繊細に、そしてやさしさが伝わってくる文章で綴られています。遠くからで何も役に立たないんだけど、頑張ってください!と応援したくなってしまいます。


・・・なんかすっごく海外で暮らしたくなってきちゃったんですけど(^_^;
でもって、多分海外で生活始めたら、自分もネット接続できる日は必ず、ブログアップしまくると思う♪


追記:今の「お気に入り」は英数半角のアカウント名のみでわかりにくいので、今後こんな感じで、気が向いたらちょっとずつブログ紹介していこうと思います(参考にした記事)。
<昔の日記です>

時折、自転車に乗ったアラブ人が道路からこちらを見、オートバイを改良した車やトラックが遠くのほうを街に向かって走りさってゆくだけ。観光客はいなかった。

と、手前の丘のほうから、羊の大群がやってきた。遺跡の崩れた柱が転がる中、黒い帯のようになってこちらに進んでいる。ロバに乗ったおじさんが真ん中にいた。

遺跡の中で休憩をとり始めたので近づくと、「まあ座れ」といってお茶をご馳走してくれた。羊たちも周辺の小さな丘に点々とすわり、口だけをもぐもぐ動かしている。何百匹いるのだろうか? 羊の写真を撮らせてもらった。

天気がよく、羊の背後の真っ青な空に、太い柱がそびえている。

なんてのどかなんだろう。 

+++

ここからは今日記です。上記は、もう10年以上前の日記です。2月のシリアは寒く、自分は厚手の皮ジャンにマフラーという服装。広大なパルミラの遺跡の横には小さな現在の街があり、普通に地元の人が周囲を通りすぎていました(特に保護されているとかなかったけど大丈夫なのかしらん)。ぽかぽか陽気で静かで平和そのもの。

軽く朝食代わりのパンを食べ(旅行中はいつもアラブの丸パンとkiriのクリームチーズを携帯食にしていた)、高校時代に見た写真集や世界史の授業を思い出しながらごろごろしていたのですが、ふと気がついたら白黒茶色の羊の群れの真っ只中。そしてアラブの長衣をまとった羊飼いのアラブ人。あまりにも絵になる風景だったので驚いた記憶があります。

おじさんが入れてくれた紅茶はおいしかった!

今はちょっとだめですが、落ち着いたらまた行きたい場所のひとつです。またあの場所に立ったら涙しちゃうかも。(あの時の妹達がサルサの年齢になっているんだろうな)

END
<昔の日記です>

高校の美術の時間に、私はNHKスペシャル関連のシルクロード写真集を見ながら、絵を描いていた事がある。

崩れながらも未だなお砂の上に残っている古い都市、月、砂漠。

ついでに私は砂漠の下にメッカ巡礼の群集を描いた。どういうテーマだったのかは覚えていないが、あの頃の私も、アラブ世界に夢中だった。授業をさぼって図書室にこもり、写真集をめくっていた。

シリアの遺跡の写真を見ながら、
「いつか行くだろうな」と予感していた。それとともに

「こんな広いところをどうやって歩くんだろう」
「道に迷うだろう」
「きっとタチの悪い人もいっぱいいて声をかけてくるんだろう」

などと想像をめぐらしていたものだ。
しかし自分がそこに立っている姿は、想像できなかった・・・ところに今立っていることに感動していたのだ。 

>> 続く
<昔の日記です>

昨日は、カルナックバスで隣り合った大学生の女の子サルサに自宅に招待され、昼食をご馳走になった。

笑顔が最高のサルサには幼い妹が3人。みんなピアスしていてかわいい。

ホテルはニューツーリストホテルというところで、シーズンオフのせいか、私とドイツ人のおじさんだけ。夜はそのドイツ人とマネージャーの息子でやはり大学生のサーリムで、いろいろ話をした。ホテルの人達も交えてお茶を飲みながら、なかなか楽しかった。

今朝は、朝7時頃から遺跡の中を歩きまわった。
今まで遺跡それ自体に深く感動したことはほとんどなかったが、今回は違った。広大なそして巨大な都市の跡。
しかし不思議な感動に包まれたのはそのせいだけではない。

>> 続く
再びアレッポ。

翌日さっそくイミグレーションオフィスに向かった。必要な顔写真撮影に手間取り、トラブルもあり、結局その日は手続きできず。さらにその翌日は・・・なんと金曜日(イスラムの休日)だった。がっくり。

ようやくアレッポを再出発できたのは、結局3日後になった。

誰も責めることはできない。
100%、自分のミスで自業自得だ。
でもそれだけに、2日程くさりきっていた。

じゃあ、何が原因?といったら、
一言で答えられる。

自分の“慣れ”だ。

エジプトにヨルダン、イスラエル、シリアと出入国を重ねて、緊張感がなくなっていた。そして入国した時に「いつまでだったら滞在できるのか」を確認し記憶にとどめておくというごく基本的なことを怠った。

ヨルダンでは酒が入って激高したイラク人に至近距離から拳銃を発射されたことがあった。相手に殺意はなく、弾は耳から20cmくらいの壁に穴を開け、自分はしばらく聴覚が変になった。
そのトラブルは、まあやや回避が難しかったのだが、それでも慎重さがあれば、そんなことにはなっていなかったはず。相手の手がすべっていたら、自分は単なる“お馬鹿で平和ボケした親泣かせの日本人学生”だ。「いや、知らない人の車に乗り込んだんじゃなくって、普通のタクシーに・・・」と弁明する機会すらなくなる。

毎日毎日、何か新しいことが起こり、
その度に限られた情報の中から判断をしてゆく。
(長期旅行者は基本的に情報に疎い)

非日常ならではの刺激ある状況ではあるが、
判断ミスをする可能性も非常に高い。

大抵は「逆方向に向かうバスに乗せてもらう」「余計なお金を払う羽目になる」なんて程度で即リカバリーがきくのだが、
戻るためのバスにたどり着くことができなかった人もいる。

何より怖いのは、
やはり“慣れ”と“慢心”だ。ね?(旅友達のMへ)


END


追記:天袋からヨルダン・シリア旅行時の写真を発見、
この写真はシリアのパルミラ遺跡です。
困った。

憂鬱な要因はもうひとつ。自分は恐ろしく「身重」だった。あとは日本に帰るだけと思っていたので、土産物満載のビニールバッグに、弦楽器まで運んでいた。

見るからに「出稼ぎアジア人の帰国風景」。ちなみに写真は、その時自分が途方に暮れながら抱え込んでいた弦楽器だ。

試しに聞いてみた。

「アレッポに行くバスは通る?」
「インシャーアッラー」
「来なかったらどうすればいい?」
「誰かの車に乗せてもらう」
「・・・(できるかよ!!)」

治安のよいシリアとは言え、女の子(※当時20代前半)一人がヒッチハイクできるほどではない。ましてや国境、砂漠ロードだ。「据え膳」以外の何者でもない。とりあえずトルコからの国際長距離バス、もしくは恰幅いいおばちゃんがいるファミリーカーを狙おうと決めた。

余談だが、女性一人旅で現地語ができる最大のメリットは、何かあった時に「おばちゃん」を頼れることだ。アラブの「おばちゃん」は強い。そして面倒見がいい。片言でいいので「おばちゃん」と自己紹介程度のアラビア語会話ができるようにしておくと、英語ぺらぺらの観光ゴロ男にひっかかるリスクが減るはず。

とはいうものの、適当な車はなかなか来なかった。
このまま日没になったら、それこそ神に祈るしかなくなるぞ。

・・・と焦る気持ちがピークに達した頃、
一台のバスが検問ゲートに近づいてきた。

ハムドリッラー!(神に感謝!)

トルコのアンタキアからやってきたバスでアレッポに向かうと言う。車掌さんに事情を説明すると、あっさり「空いている席があるからいいよ」。しかも「金はいらない」「アレッポについたらバス会社のオフィスに行ってみろ。チケットを再発行してくれるかもしれない」と親切なアドバイスまでくれた。

砂漠の真ん中の入管ゲートで突如乗り込んできたアジア人の女の子に乗客は不思議そうだったが、事情を話すと、役所の場所など、いろいろ教えてくれた。

+ + +

いい事と悪い事は、いつも同じだけやってくる 。
幸運が続けば、トラブルに襲われる。でも悪いことばかり続くということもない。
最後はちゃんとバランスがとれているはずだから、安心していい。
・・・そんな風に考えられるようになったのは、思えばあの頃だったのかもしれない。

>>続く
別に密入国を試みたわけではない。

その時自分は、シリアの都市アレッポからトルコに向かう長距離バスの中で感慨にふけっていた。イスタンブールで格安航空券を手に入れ、帰国の途につく予定だった。

これでアラブの土地ともお別れ。
しばらくアラビア語を耳にすることもなくなるんだなあ。

そう思うと、窓の外の荒涼とした砂漠の冬風景も切なかった。

+++

さて、シリアとトルコは国境を接した国だ。中東はどこもそうだが、国境を接している国同士は基本的に友好関係にない。ここもそうだ。それが影響しているのかどうかは知らないが、国境は砂漠ロードの途上で、鉄条フェンスで囲まれた長い緩衝地帯のようなところの中間にあった。建物があり、そこでシリア側の出国チェックを行う。

バスにはシリア人やトルコ人、それに戦禍のバルカン半島の人達でいっぱい。その乗客全員から、同情の目が自分に注がれた。

「あの日本人、出国できないんだって」
「あれまぁ。ここまで来たのに・・・」

一定日数以上滞在する場合には外国人登録が義務付けられているのだが、それに気付かなかった。いわばビザ切れで不法滞在していた状況だ。

「ここで外国人登録できないか!?」
「無理」
「そこをなんとか。アレッポに帰るお金もないよ!」
「だから無理だって」

その時の自分、チワワのくーちゃん張りのウルウル目だったと思う。
運転手さんにもすがってみたがだめで、アレッポから乗ってきたバスは砂漠の中の一本道を走り去っていった。

大型バスが去り、まわりが静かになると、
ふと重大な問題に気がついた。


「一体どうやってアレッポに戻ればいいんだ!?( ̄□ ̄;)!!」


>>続く


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