今日はちょっと長くなります~!
元・女子プロで活躍されて、今やタレントとして。母として。
パワフルで元気な、自称「埼玉のおばちゃん」
※ブログで自分のことそうおっしゃってたけど、唯一無二の存在感。
埼玉のおばちゃん、というイメージは全然なかったなぁ~
と半ばいい聞かせる文章があったり。
仕事に対するイメージがあったから、というようなことも書かれていました。
そのイメージを守るために、がん告知を受けた直後は、休暇をとって
夏休みの間にしれっと手術して、誰にもバレないように仕事に復帰しようと
思った……というくだり。
私のことかと思いましたよ(笑)
実は私も2年前に大病をした、のですが。
当時は病気だということも周りには伏せていたし、仕事を下さっていた
一部のクライアントさんにだけ伝えて、ちょうど母親が体調不良だったので
「母の病気の介護」ということにしてもらい、半年間休んでいましたが・・・。
今年のワカマツリの時に「病気」だったと初めてネット上やお客様に伝えました。
でもなんの病気をしたのか、公に触れては来ませんでしたし、
11月に2年経過のCT検査がよかったら
そろそろ話してもいいかな?と思っていましたが
今日を機会に話しちゃおう。
私は「子宮けい癌」でした。
2年前、初めて受けた検査でいきなり癌告知を受ける羽目になり
手術を宣告された時、取って治るならすぐ手術して
1-2ヶ月で復帰しよう~って思ってました。
潔(いさぎよ)すぎでしょ!?
病気に対する知識もなかったし、これから起きることへの想像力が
なさすぎたんです。
私の場合はそれ以前に検診に対する意識もめっちゃ低かったから、
乳癌・子宮けい癌・大腸がん・・・時折来る市からの案内も全部無視。
しつこいくらいに「子宮けい癌の検査をしよう」というCMが流れてた時も
めっちゃ他人事でした。
毎年健康診断でA判定しかなかったし、健康だと思ってたんです。
貧血が出始めて、年に1回くらいはいやいやながらも婦人科にも
通ってたし、そこで検査も、病気を指摘されたこともなく、
まさか癌なんて疑ったこともなかったです。
明らかに身体に影響が出始めた時は、筋腫もごろごろあるし
何より癌がかなり進行していて、全摘しかない、と。
「1日も早く手術の順番待ちの列に並べ」と言われたのを
今でもよーく覚えてます。
私は、最終的に紹介された大学病院で
手術しなくてもいい先進治療を選べたので
(そのかわりものすごい治療費だったし、
めちゃしんどい治療だった)
今になって、身体への負担やその後の回復力を考えると
手術を回避出来て本当によかった、って思えますが
後悔がないか、と言えば嘘になります。
あ。病気になってからの自分の選択は間違ってなくて
今までめっちゃ順調ですよ。
元気になったし。
病気を進行させる前に気付けなかったことへの後悔、です。
でも。。。
振り返って考えても、あのタイミングでしか病気を受け入れられなかったと
思うから、やっぱり神様は見てるんだな、と思ったりもしますね。
当時の半年~1年前に告知されてたら、病気は進行してなくても
子どもが欲しいと思っていたラストチャンスだったから
精神的なダメージで、今も立ち直れてないだろう、と思うので。
ちょうど自身の出産のリミットと
自分の仕事のバランスを模索してた時期を過ぎ、
結婚もしてない自分がこれから子どもを持つことへチャレンジするより
仕事をしながら、子どもがいないからこそある自由な時間を生かして
子育て支援に力を入れる生き方・セカンドキャリアにシフトしよう、と
決めたあと(ちょうど半年後)に、病気の告知だったので。
「出産は出来ない」と分かっても、ショックというよりむしろ
「もしかしたら、と淡い期待を持たなくて済む分清々しい」と
思えました。
だから、手術しなさい、と言われても悩まなかったのです。
周りに「はやまるな」と言われたぐらい、即断でした。
北斗さんは年に1回乳癌検診・マンモグラフィも受けてきたのに
1年で乳房全摘になるほど進行してしまったという・・・。
こんなことってあるんですね。
たくさんの人が今度は北斗さんにパワーを送ってくれることでしょう。
それに、北斗さんには素敵な家族や、仲間がいる。
1人じゃないし、支えてくれる人がそばにいれば病気にも立ち向かえます。
北斗さんが「帰ってきたよっ!」と言えるその日まで、応援してます。
失ったモノが大きくても、生きていればまた新しいものを生み出せるから。