検察庁法改正法案が問題視されている。

 

Twitterによる表明がメインなので、発信者である著名人が、どこまで問題点を正確に把握しているのかは、私には分からないが、目にしたコメントを読んでいると、

 

「コロナ対策が優先される中で優先されるべき事柄なのか?」

その根底には

「経済困窮者に対する対策にスピード感無いと言われている中で、自分たちを含めた芸能、文化関係者への対策が不十分な中で、優先されるべき事柄違う。」

結果

日本の法律や外交など国家としての問題点、行政システムの問題点を、誰に、どのように託すかのビジョンも持たずに

安倍政権が嫌い、安倍晋三がいなくなれば納得

という視点での発言が目立つように思う。

 

この改正案の問題点は何なのだろうか?

 

手短に説明すれば

検察庁は行政組織であり政府とは三権分立では政府と同じカテゴリーなので三権分立と関連付けるの的外れであるが、行政組織としては政府も捜査対象となることで独立性が担保されなければならない。

その点で、改正案で新たに明文化される役職定年制という制度に関し、役職定年制の特例が認められ「内閣の定めた事情」が要件となっており、その基準などの明確な内容が、どういうものなのかが決まっていないことが、「政府(内閣)による検察人事への介入と思われるようなこともできなくはない」という疑惑が生じてしまうことでしょう。

 

実際には、私が行政システムとして改革すべきである一つであると指摘している「人事院」による人事院規則によって細則が定められており、給料の上下すら内閣が決めることの出来ない現況で、検察人事への介入は、相当に面倒な行為なのです。

 

黒川氏を検事総長にするためというのも曲解と言っても良いのではないでしょうか?

稲田現検事総長の下で、安倍総理に対する捜査は行われておりませんし、河井議員夫妻に対する公選法違反の捜査は進んでおり、IR汚職容疑の5議員は立件が見送られていますから、現職の検事総長が安倍総理にとって不利な存在ではありませんし、黒川氏の定年を延長しても、稲田氏が退職するまで席は空かないので、稲田氏の動向次第言う点でも、内閣による検察人事への介入とは言えないでしょうから、濡れ衣的な指摘と言わざるを得ないでしょう。

 

ただし、法律を学んでいた者からすると、先にも説明しましたが改正案第22条4項以降の役職定年制に関する条文で「内閣の定めた事情」という要件の基準が明確化されていないことは、事実上内容の白紙委任に等しいので法律の条文の構成としては、不十分であると言われるを得ません。

 

実際は、昨年秋から検討されていた法案なので、今頃と言われるものでは無いと思いますし、全ての物事が同時進行で進められていますし、この法案によってコロナ対策が遅れるわけではありませんが、閣議決定での黒川氏の定年延長は、それまでの法解釈を変更したということもあり、国民の多くに誤解を与えたまま、現下の社会情勢の中で審議を行わなければならないという判断ならば、その理由を明瞭に説明しなければ、反安倍勢力に都合よく解釈され足を掬われることになると思いますし、それが現状の抗議行動に繋がっているのは明らかでありましょうし、付け入る隙を与えたのは安倍政権であるというのは事実でしょう。

 

政府側も、批判している側も、明瞭な説明を欠いているという点では同罪だと考えております。

 

悔しかったら、最低でも私程度の説明はした上で、賛否両論を語れと言うと言い過ぎですかね?(笑)

 

 

文大統領「韓国が防疫で世界をリード」 就任3年の演説

5/10(日) 12:03配信

朝日新聞デジタル

韓国の文在寅(ムンジェイン)大統領は10日、就任3年を迎えて大統領府で演説した。韓国が成功している新型コロナウイルス感染症の流行抑制について、「防疫で世界をリードする国となった。危機を新しいチャンスと発展の動力にしたい」と訴えた。

 

演説の大半を新型コロナをめぐる防疫や医療、経済対策に割き、南北や対日関係には、ほとんど触れなかった。

 政権与党は、感染症対策が評価されて4月の総選挙で大勝。韓国の世論調査機関ギャラップの8日の調査(5月第1週分)によると、文氏の支持率は71%で1年10カ月ぶりに70%を上回った。歴代大統領と比べ、任期の同時期では最高水準となり、演説からは文氏が政権運営に自信を深めていることがみてとれる。

 文氏は、韓国の感染症対策を英語の国名コリアの頭文字を冠して「K防疫」と呼び、「世界の標準になった。韓国の国家としての地位と誇りが高まっている」と語った。そのうえで「油断しなければ韓国の防疫はウイルス拡散をコントロールできる。予期せぬ集団感染があっても速やかに対応できる」と述べた。現在の政府の防疫部門を「庁」に昇格し、感染症専門病院などもつくって感染拡大の「第2波」に備えるとした。

 

朝日新聞社

https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20200510-00000011-asahi-int

以上

 

つい最近、規制解除でクラブでクラスター発生という記事を読んだのですが。それも世界をリードした結果だということですか?

 

日本では、かの国のように人権を無視して、感染者の個人情報を公開したり、了解なく携帯の位置データを公開したりできませんし、

無駄使い扱いされて保健所職員も削減、病院は赤字解消の為に感染症病棟の維持等している場合ではないし、検査技師も医師もギリギリで、感染症予防の予算も大きくないので検査機関や研究機関をかくだいすることも出来ませんでしたからね。

I

日本ではマイナンバーカードが機能を発揮できれば、IDカードに該当しますが、それも人権派弁護士や野党、マスコミの大反対キャンペーンで機能しないようにされていますので、「K防疫」を真似することはできませんなぁ・・・日本は発展途上国扱いされそうですね?(笑)

一般人がSNSで批判するのとは訳が違うほどの影響力がある著名人のSNSでの発信

 

その責任は問われて然るべきだし、自らの発言には責任を持つのは、その影響力を鑑みれば絶対条件と言えよう。

小泉今日子ら芸能人の“政権批判”が、どこか空虚な理由

5/5(火) 8:26配信

週刊SPA!

“いきなりどうしたの?”と引かれる唐突感

 筆者は、その種の良識を装ったネット言論に与するものではない。だが、その一方で、多くの芸能人が、そうした発言をする際の根拠となる自らの立場を明らかにしていないことも指摘しなければならないだろう。
 政治的な思想なり態度なりを表明したことのない人が、大きな事件が起きると、いきなり権力を批判しだしたりするから、唐突感が否めないのである。

 今回の小泉氏が、まさにそのケースだ。そもそも、彼女がこれまでに何らかの政治的な態度を表明したという話を聞いたことがない。だから、“いきなりどうしたの?”と思われてしまうのではないか。それまでのノンポリな姿勢と、今回の言葉の強さ(「汚らわしい嘘や狡」)のギャップに戸惑ってしまうのだ。

 この唐突感を裏付けるのが、小泉氏がSNS上で共感を寄せる政治家である。たとえば、生活に困った人たちの電話相談にのる山本太郎氏(45)や、エンタメ業界への休業補償を訴える共産党の志位和夫委員長(65)に、老人ホームに医療機器を送り届けるニューヨーク州のクオモ知事(62)の話をリツイートしていた。

 もちろん、山本氏、志位委員長、クオモ知事の行動は称賛に値する。しかし、彼らに共感することは、道徳的な正しさに胸を打たれる心情の問題であって、本気で安倍内閣に代わって、彼らに政権を任せたいと考えるのとは、全くフェーズの異なる話だ。
 つまり、「汚れた」内閣の代わりとなるべき、望ましい権力の絵図を描けないままに、政権を“口撃”することで心のモヤモヤを解消している欺瞞に見えてしまう。ここに、小泉氏の発言への違和感があるように思うのだ。

日頃から、誰を批判して誰を支持するのか、はっきり表明する

 たとえば、アメリカのセレブ(俳優、ミュージシャン、モデル etc.)ならば、政治的な発言をする際には、自らの立ち位置を明確にする。トランプ大統領を批判する際には、(対立候補になりうる)ジョー・バイデンやバーニー・サンダーズ、もしくはマイケル・ブルームバーグらの名前を必ず持ち出す。実際に集会への参加や献金を呼び掛けるなど、具体的な行動もともなう。いずれにせよ、権力の移譲が可能な、現実的な政治家の名前がなければ、説得力を持たせられないのだ。

 セレブの発言が100パーセント正しいなどと言うつもりはない。だが、権力を批判したのちには、逆に自らも権力サイドになり得ると認識している点は、日本の芸能界とは大きく異なる。

 そこで、安倍政権のメッキも剥がれてきたせっかくの機会なので、小泉氏は、汚くない内閣とはどのような構成で、それを実現してくれそうな政党や政治家を考えてみたらどうだろうか。残念ながら、山本議員や志位委員長が内閣の主要ポジションを占める未来は描きにくいし、ましてやクオモ知事は、よその国の政治家だ。

 そのうえで、立憲民主党なり国民民主党なりの選挙応援で歌ってくれれば、政治的発言をする芸能人を見る目も、変わってくるのかもしれない。

<文/石黒隆之>

日刊SPA!

https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20200505-01664969-sspa-soci&p=2

以上

 

当然、これだけの発言をした以上、その発言の責任は負っておらおうではないか。

 

テレビで見かけても、私は不快感しか得ないと思うが、どこかで選挙応援している姿を見られる日を楽しみにしているし、それが見られたら、人として見直すかも知れない。