まいどーおおきに 河内の樹々の独り言 -10ページ目
日本の国では愚か者による殺人事件が毎日のように起こっている。世界では戦争という名のもとに多くの人の尊い命が奪われている。
心の痛む日々が過ぎ去っていく中 再読、いや何度か繰り返して読む書物がある。

【その橋まで】を読んで

新編 水上勉全集 第一巻
中央公論社刊 一九九六年 初版発行本

殺人を犯した無期懲役の若者が十七年の服役で模範囚となり、更正保護法により仮釈放を迎える。名本登が主人公である。
この人物に絡むのは、身元引受人である木工所を経営する太地喜三郎と、禅宗臨済派の崇福寺住職、笹本愚堂保護司である。
この二人のおかげで仮釈放となるのだが、出所して間もなく幼なじみの貞本きよ子と関係を持ってしまう。名本は不幸にもきよ子がその夜何者かによって偽装自殺に見せかけた殺人事件の犯人として疑いをかけられる。
木工所の太地の経営する職場を変わらざるを得なくなる。そして山中の木工師のもとに変わるがその木工師の妻の色香に迫られまた関係を持ってしまう。
この男は少年の頃在所であった村の川での出来事、少女の不幸な死についても、あらぬ疑いをかけられて生涯その重荷を背負って行く。
その頃、村の駐在であった今の福井県警の松山貞三に事件が起きる度に疑いをかけられ、行く先々まで追い詰められる。
最終項では自分を幼い頃に捨てた父親が転がり込んだ女性によって、父親に再開する。
しかし、親孝行をしようと思った矢先に、父親は死んでしまう。誠に不幸な男である。
父親の遺骨を母親の生まれた地に埋めに行った帰りに、昔殺した女性の男の手下によって殺されそうになり、逆に相手を自分の持っているノミで刺してしまう。
仮釈放の身でありながら傷害事件を起こした事は重大である。しかしどのような事情があろうとも殺人、人を殺めた人間は再び犯罪をくり返す事はまぎれもなく事実である。
罪を憎んで人を憎まずという言葉はあるが殺人という罪は必ずくり返される。人を殺した者は理由の如何に問わずとも、死刑、もしくは無期とし、決して仮釈放や恩赦など与えず一生涯鉄牢の中で罪を償う事。最近は死刑廃止論や人権などという甘い考え方が、新聞雑誌、マスコミ等で取り上げられるが、世の中を誰が甘く濁しているのかよく考えて議論していただきたい。軽微な犯罪であれやはり犯罪はくり返される事が多々ある。
人生に人の命も、自分自身の命も一度しかないと肝に命じて真剣勝負をする事。人の命を取れば自ずからも死を持って償う。よく言葉の例えで 悔い改める と人は言うが殺人者には「改める」は必要なし。死をもって即、償うべしと思う。
テレビの中でどれだけ殺人事件を題材にしたドラマが毎日放映されているのか。
もっと驚くのは書店の文庫本のコーナーに行って見るといい、何々殺人事件と書いた本の何と多い事か、呆れて何も言えない。
日本と言う国は何か狂気をおびてきているように思える。物書き、教育者、父兄、政治家を含めた成人にあらためて、人の死、殺人罪とは何かと問いかけたい。
             
木版画 大阪城





大坂城/大大坂城は、大坂本願寺(石山本願寺)を前身とし、豊臣秀吉による築城から、大坂の陣、徳川による再建、明治期の陸軍拠点、昭和期の市民による天守復興など、歴史に翻弄されまた歴史を翻弄してきた。地元大阪市民からは、「太閤はんのお城」と親しみを込めて呼ばれている。なお、1583年(天正11年)から1598年(慶長3年)にかけて豊臣秀吉が築いた大坂城(豊臣大坂城)の遺構は、現在多くが埋没しており、地表に見ることのできる大坂城の遺構は、1620年(元和6年)から1629年(寛永6年)にかけて徳川秀忠が大規模な修築を施した大坂城(徳川大坂城)の遺構である。しかし2025年4月1日からは、かつての豊臣時代の石垣を掘り起こして一般公開する豊臣石垣館が開業し、かつての遺構を観覧できるようになる予定である。

文献等にもよるが、日本三名城の一つに数えられる(他の二つは名古屋城、姫路城、熊本城の内から挙げられる場合が多い)。

天守は1931年(昭和6年)に鉄骨鉄筋コンクリート (SRC) 構造で、徳川時代に再建された天守台石垣の上に資料の乏しい豊臣時代の天守閣を想像し大坂夏の陣図屏風絵などを参考に模擬復興された創作物であるが、1997年(平成9年)に国の登録有形文化財となり、博物館「大阪城天守閣」として営業している。

江戸時代初期から後期にかけて建てられた櫓や門、蔵など建物13棟および内堀と外堀が現存し、城跡は710,000平方メートルの範囲が国の特別史跡に指定されている。戊辰戦争中の1868年2月2日(慶応4年1月9日)に焼失した本丸御殿、三重櫓11基、二重櫓8基等および太平洋戦争中の1945年(昭和20年)8月14日に焼失した三重櫓1基、二重櫓3基等を木造復元する予定はない。

「おおさかじょう」の表記は、近代以降「大坂」を「大阪」と表記するように改まったため、現在は「大阪城」と表記することが多い。なお「大阪城」は大阪市の町名にもなっている。

前史大阪城(おおさかじょうは、現在の大阪府大阪市中央区大阪城(上町台地の先端、摂津国東成郡生玉荘大坂)にあった、安土桃山時代に築かれ、江戸時代に再築された日本の城。別称は錦城(きんじょう/金城とも表記)。