木版画 大阪城 | まいどーおおきに 河内の樹々の独り言
木版画 大阪城





大坂城/大大坂城は、大坂本願寺(石山本願寺)を前身とし、豊臣秀吉による築城から、大坂の陣、徳川による再建、明治期の陸軍拠点、昭和期の市民による天守復興など、歴史に翻弄されまた歴史を翻弄してきた。地元大阪市民からは、「太閤はんのお城」と親しみを込めて呼ばれている。なお、1583年(天正11年)から1598年(慶長3年)にかけて豊臣秀吉が築いた大坂城(豊臣大坂城)の遺構は、現在多くが埋没しており、地表に見ることのできる大坂城の遺構は、1620年(元和6年)から1629年(寛永6年)にかけて徳川秀忠が大規模な修築を施した大坂城(徳川大坂城)の遺構である。しかし2025年4月1日からは、かつての豊臣時代の石垣を掘り起こして一般公開する豊臣石垣館が開業し、かつての遺構を観覧できるようになる予定である。

文献等にもよるが、日本三名城の一つに数えられる(他の二つは名古屋城、姫路城、熊本城の内から挙げられる場合が多い)。

天守は1931年(昭和6年)に鉄骨鉄筋コンクリート (SRC) 構造で、徳川時代に再建された天守台石垣の上に資料の乏しい豊臣時代の天守閣を想像し大坂夏の陣図屏風絵などを参考に模擬復興された創作物であるが、1997年(平成9年)に国の登録有形文化財となり、博物館「大阪城天守閣」として営業している。

江戸時代初期から後期にかけて建てられた櫓や門、蔵など建物13棟および内堀と外堀が現存し、城跡は710,000平方メートルの範囲が国の特別史跡に指定されている。戊辰戦争中の1868年2月2日(慶応4年1月9日)に焼失した本丸御殿、三重櫓11基、二重櫓8基等および太平洋戦争中の1945年(昭和20年)8月14日に焼失した三重櫓1基、二重櫓3基等を木造復元する予定はない。

「おおさかじょう」の表記は、近代以降「大坂」を「大阪」と表記するように改まったため、現在は「大阪城」と表記することが多い。なお「大阪城」は大阪市の町名にもなっている。

前史大阪城(おおさかじょうは、現在の大阪府大阪市中央区大阪城(上町台地の先端、摂津国東成郡生玉荘大坂)にあった、安土桃山時代に築かれ、江戸時代に再築された日本の城。別称は錦城(きんじょう/金城とも表記)。