安倍元首相、時の風に吹かれ風見鶏のような維新と国民民主。維新の御意見番でもあるコメンテーター。加えて、自民党内部からも湧き出るように“目(核)には目(核)を”というムーブメントが国防という名で、こちらはいかにも正当な議論をしているという形をとっている。
彼らは実戦でのウクライナのゼレンスキー大統領の戦い方をを見ながら、スポーツ観戦のようにジャッジする。ジャッジに飽きると、今度は日本の防衛についてウンチクを述べ出す。
日本の防衛について、「憲法9条だけで国は守れない。思考停止だ」。維新の松井一郎代表は非核三原則を「昭和の価値観」と述べているくらいだ。彼らにとっては、非核三原則に至るまで、広島、長崎でどれほどの犠牲が払われたのか、平和を願う国民の思い、また歴代の政治家の努力などはすっかり忘れ、目前の核の脅威に簡単にひれ伏してしまう。
<ちなみに、被爆から75年近く経っていても相当数の死亡者が特定できていない。死傷者合計・・・長崎(145,000人)・広島(223,000人)合計368,000人>
この現実を忘れることなどできない。彼らの死を無駄には出来ない。
目(核)には目(核)をという発想は一度踏み出すと際限が無くなる、いわゆる核のジレンマである。自衛のためという幻想で成り立っている核シェアリング。
つまるところ、「核」という共通項でプーチンとつながり、これまで積み上げられた人類の叡智としての非核は水泡に帰す。地球温暖化の前に核の熱腺と放射能汚染で地球温度は上昇しウイルスもそれに合わせて進化する。
「人類の叡智」に目覚めてほしい。
今日のウクライナからのニュース。
二つの小学校への攻撃。画面には粉々に破壊された小学校が映し出される。
先月、25日には北東部オフティルカの幼稚園が爆撃され、7歳女児6人の死亡が伝えられている。
3月4日の朝日新聞、夕刊。ロシア、ウクライナ南東部にある最大級の原発を攻撃。
小学校低学年の頃、社会科見学で映画を見せられた。題名は「原爆の子」。音羽信子さんのえくぼが忘れられない。映画が終わった時、あちこちでゲッーゲッーと吐き出す子の中に私がいた。音羽さんの映画は二度と見られなくなった。