「核で脅せば奴らはイチコロよ」「俺らみたいなちっちゃな国はやっぱりミサイルか核だよ」「奴ら非核だの何だのといいこと言っても、やっぱり『核』なんだとさ」

「やっぱり核はスゲーや。あんなひどい目にあっても非核の看板、すぐ下ろしやがる」

「もう少し、根性あると思っていたのにヨウ」

 

激化するウクライナの状況を受けて、わが国の防衛に目が向くというのは分かる。

しかし、政治家、それも元総理と現閣僚がわが国の国是である非核三原則とは真反対の核保有を論じることは、現在核の脅しをうけて戦っているウクライナにとっても非常に有害である。

そもそも世界に向けて誤解を生む発言である。率直に言って、内輪の世界しか見えていない政治家に将来を託したくはない。

 

6日のFNNプライムオンライン配信。「自民・高市氏 非核三原則『有事の持ち込みについて自民党で議論したい』」・・・の記事。

有事の際のアメリカによる核兵器の持ち込みについて、高市氏は比核三原則を守るのか、国民の命を守るのかという厳しい状況にいたった時、判断は時の政権がする議論は縛ってはいけない。これが政府のスタンスだ」と述べている。

 

この文言。いたるところに現実の飛躍とごまかしがある。

先ず有事とはどういう状況か?また「非核三原則を守るのか、国民の命を守るのかという厳しい状況」、、、とはどういう状況なのか?現実はゲームではない。あれかこれかなどいう選択で国民を誘導するのは止めてほしい。

 敵とみなす国への核の先制攻撃で国民の命を救う?あるいは、核があることで抑止力となり敵国がビビって攻撃しない?などという国が周囲を見渡してもあると思えない。

このような二択の単純な思考回路にはかえって政治家としての危なさを感じる。核がハンディになった分お試し核攻撃という事もあり得なくはないが、それこそ日本のスカスカの原発を攻撃すれば自前の核を使わなくとも済む。特に、「判断は時の政権がする」に至っては冗談じゃない。コロナの危機対応でさえ出遅れてしまう政権の判断に任せることなどできない。

 

高市氏のあれか、これかのような発言。物事を単純化することでかえって現実を見えなくしてしまう。

「議論を縛ってはいけない」、、、という高市氏。今まで安倍政権時代にさんざん議論してきており、彼らなりの見解は嫌というほど聞かされている。そろそろまともな議論が出てきてもよさそうだと思う。何より、戦争とは何か、殺し合うとは何か?じっくり考えた上での発言には思えない。

 

彼等の思いとは別にして考えるのは、「核を持つことで他国の侵略を受けない」、、、という思い込み。いわゆる核抑止力がどこまで有力なのか分からなくなっている。近年、核以外の限りなくダークで安価な、ハイブリッドな戦いができるようになっていることを思えば、蔵の奥から生々しい本物の核を引っ張り出さなくとも目的は完遂する。「核」で脅せばすぐ思い通りになる国がいる一方、核をちらつかせても言う事を聞かないウクライナの様な国はロシアにとっては誤算だったのかもしれない。現状ではウクライナが圧倒的に負けているように思うが、たとえ外見上ロシアが勝ったとしても、ロシアの卑劣な行為は世界中が忘れない。大国のリーダーとしてのプーチンは厄介者のプーチンとして、この先も暴力と脅ししか効き目が無くなる。政治家の信頼の失墜は命取りともなる。

 

一方、

核の傘の下にあって、核の傘だけでは安心できず、現ナマならぬ核を手元に置く核シェアリング。核が傍にあることで安心安全が担保されると信じ、方や狭い島国に54基もの原発がある国、自然災害も含めおちおち寝てはいられない現実をどう考えるべきなのか?