仮名手本忠臣蔵と神代文字

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仮名手本忠臣蔵と神代文字


 神代文字の五十音図によると,殆ど「あ行」の『i』『u』『e』が抜けていて,これが記紀以前の古代の発音の共通項であることが,山本信夫著「神代文字と五十音図の真実」で再発見されたことは,前の投稿で報告しました。この回は前回言い残した部分を追加したものです。


 図は幕末から明治期の学者である大須賀筠軒(いんけん)「磐城史料筠軒稿本」に収録される鎌倉富岡八幡宮の神代文字(肥人文書)です。図の上に彼が解読した文字の読み方が書いてあります。同じ解読文は他の神代文字にも書かれているので,古代で使われた常套句と思われます。意味は,文化四年生まれの下総の儒学者亀田鶯谷の解釈(山本さんの約註と解説)を付記すると右の通りです。

 

     

                                       大須賀筠軒による

    【原文の読み】           【亀田鶯谷・山本約註】
    ひふみよいむなやこと     一二三四五六七八九十(という神聖な言葉を)
    もちろら                 用いるだろう
    ねしきゆる               (万物の)根底が凝り締まるところより
    ゐつわぬ                 率い集めた(そして)分けた(阿比留文字の父音と母音)
    そをたかくめか           それを誰が組み合わせたのか?(神が組み合わせ給う)
    うおえにさりへて         太古の形にそのとおり(ひふみと)数えて
    のます                   (神が)祈られる
    あせゑほれけ             占い合わせよ!(神慮を)掘り穿て

「国史大系 第七巻」に収録された「先代旧事本記 卷第三 天神本紀」によると,天照国照彦天火明櫛玉饒速日尊(にぎはやひのみこと)が地上に降臨する際,天神御祖が,瑞宝の宝を授け,次のように教えたそうです。
「もし,痛むところあらば,この十種の宝をして,一二三四五六七八九十といいて,しかして布瑠部。由良由良止布瑠部。かく之を為せば,死(まかれる)人も反り生む」
この言は「布瑠之言」とよばれ,死者をも蘇生させる神秘の言葉として有名です。
 「神代文字と五十音図の真実」には,他の古代文字(肥人書,日文伝,あないち文字)が示されています。

 

   

 

    
   

        アラビア文字を五十音に並べたもの

 

 脱線しますがなお,アラビア文字は神代文字(肥人文字)にとても似ていると思いませんか。アラビア文字を「あいうえお順」を示した図を次に示しました。天武天皇が詔勅で,様々な文字があるが以後漢文調に直せと命令しなかったら,日本語の仮名は肥人文字のようなアラビア文字みたいになっていたかもしれません。

仏教伝来の後,仮名の五十音を覚える手本書が作られました。仏教の語句が四十七音に1回だけちりばめられた句は傑作です。
    「いろはにほへとちりぬるを,わかよたれそ,つねならむ,うゐのおくやま,
   けふこえて,あさきゆめみし,ゑひもせす」
この四十七字が赤穂事件の四十七士になぞられて,仮名手本忠臣蔵という歌舞伎の演目名が作られたそうです。

一方,仮名手本書を次のように区分をすると句末の字が「咎無くて死す」という意味が隠されているとして(山本氏による),忠臣蔵の隠された意味にも使われたというのです。
    「いろはにほへ ちりぬるをわ よたれそつね 
   らむうゐのお やまけふこえ あさきゆめみ ゑひもせ

                                                                                   おわり