昨日は私の41才の誕生日でした。

思い返せば、長いようで短い、波乱の41年でした。

学生時代に受けたイジメ。強くなりたくて入隊した自衛隊。
その中で味わった規律、仲間、守るという意識、正義、そして挫折。

転職。

結婚と離婚。

愛への不信と刹那。

金銭への執着。

転落、奈落、地獄。

目覚め。

神との出会い。

光の道への誘い。

人生と愛。

自覚。

護り。

修業、精進。

命の使い方。

終わりなき道。

本当に様々な体験を通じて学んできました。

これからも学んでいくでしょう。

最期に「いい人生だった」と、後悔しない、未練を残さない死に方ができれば、最高なんだと思います。
人は自覚をすることにより成長して、次第に高度なレベルになってゆくことができます。

しかし、それは「意識」するかしないかにより、全く異なった結果になるのです。
例えば、ウエイトトレーニングで、負荷をかける筋肉を意識しながらやるのと、意識せずにやるのでは、効果がまるで違います。

要するに「体に変化をもたらすのは、精神である」ということなんです。

いつまで経っても、同じ事の繰り返しでは、進歩の実感は得られません。

実感を得られれば、更に充実し、より高いステージに行くことが可能になります。
我々が目指すところはまだ先にあります。
自己の自覚でさえままならないのに、まして「誰かを自覚させる」ことなどできるはずがない。

各々が自覚をしていけば、それでいいと思う。

なぜなら「学びは各々違うし、人生も違う」からである。
同じ自覚を求めるなら、一人でよい。それをわざわざ性別も、性格も、環境も違えて生きてゆくのは、「それが必要だから」に他ならない。

ならば、他人の人生を羨望するのではなく、自らの人生を受け入れて、堂々と生き抜く方が、「らしい生き方」ではないだろうか。

私は「男は男らしく、女は女らしく」が素晴らしいと思う。