空の考察から菩薩の出現へ
竜樹の『中論』の文「衆の因縁生の法は、我即ちこれ無なりと説く。またこれ仮名と名づく。またこれ中道義なり」から、天台大師は、円融の三諦論として展開した。空仮中の三諦論である。
空諦とは、あらゆる事物、事象(諸法)には、固定的、不変的な実体はなく、空であるという真理。
仮諦とは、あらゆる事物、事象は空なるものであって、因縁によって仮に生起するもの(縁起)であるという真理。
中諦とは、空と仮を踏まえながら、それらにとらわれない、根源的、超越的な面を言う。
天台大師は、この三諦論の説き方をもって、釈尊一代50年の説法の高低を判別した。
一代の4教(蔵・通・別・円)を判別したのである。蔵・通は三諦を説いていないゆえに低い教えであり、別は三諦をバラバラに説いているゆえに不完全な教えであり、円すなわち法華経は三諦を一体的に見ることで生命の真実相を解き明かしたと見ている。
このことを円融の三諦という。究極的真実を中諦のみに見るのではなく、空諦も仮諦も究極的真実であると見るのである。
ここに、諸法実相がある。諸法の奥に実相があるという観念論でなく、諸法即実相、実相即諸法なのである。諸法をそのまま実相と実現していく、具体化していく実践こそが説かれている。ここに、維摩経の真実があり、法華経の真実がある。
現実の大地に根ざす大乗の菩薩群がきらびやかに登場し活躍している姿が描かれているのは、諸法実相の実践であり、円融の三諦の実践である。
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空と縁起、智慧と慈悲
空とは虚無ではない。あらゆるものが、縁起によって支えられ、生命を与えられ、存在を許されているという、根源的関係性への気づきである。個即全の悟りである。
空とは、何もないことでもあり、存在の充実でもある。有無の二道にとらわれず、物事に執着せず、しかも物事を生かしていく智慧でもある。
空とは、何事にもとらわれないがゆえに、何ものも受け入れていく慈悲の境地であり、全ての存在に支えられて自分があるという、感謝の思いに支えられての報恩の振る舞いとしての実践の源である。
空とは有無の二道、生死(起滅)の二法、退出の二動の根底にあり、もろもろの現象をもたらしている働きであり、リズムであり、法理である。
参考:「龍樹」中村元、講談社学術文庫
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空論ー虚しい論理と言うわけではないー2
| 空論ー虚しい論理と言うわけではないー2 | 2011年08月25日 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
「空」の悟りから、なぜ、菩薩道が導かれてきたのか。中村元さんの「龍樹」で述べられているところを書いてみたい。
菩薩は無量、無数、無辺の衆生を救済するが、しかし、自分が衆生を救済すると思ったならば、それは、真実の菩薩ではない。
彼にとっては、救うものも空であり、救われる衆生も空である。救われて到達する境地も空である。
また、身体的特徴をもって仏を見てはならない。あらゆる相は、みな虚妄であり、もろもろの相は、相にあらず、と見るならばすなわち如来を見る。
かかる如来には、所説の教えがない。教えは筏のようなものである。衆生を導くと言う目的を達したならば捨てられる。
この空観から論理必然的に導かれてくるものは、輪廻と涅槃とはそれ自体としてなんら異ならないものであるということである。
つまり、日常生活のそのままが理想的境地として現れ出てこなければならないと言うことである。
理想の境界は、迷いの生存を離れては存在し得ない。 空の実践としての慈悲行は、現実の人間生活を通じて実現される。
この立場を徹底させると、ついに出家生活を否定して、在家の世俗生活のなかに、仏教の理想を実現しようとする宗教運動が起こる。
この、在家仏教のあり方を見事に表現したのが、「維摩詰所説経」である。
ここまでが、用語は少し分かりやすいように変えているが、中村元氏の引用である。
ここから、少し、自分なりに納得のできるように、自分なりの解説を試みてみたい。続きをお楽しみに。 |
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中村元の「竜樹」を読む
中村元の「竜樹」を読み始めた。
「空」の思想である。
一切は空である。あらゆるものは真実には存在せず
見せかけだけの現象に過ぎない。
その真相は空虚である。
この意味は単なる無常観ではない。
ニヒリズムでもない。
あらゆる事物は、他のあらゆる事物に条件付けられて起こるのである。
「空」というのは、無や断滅ではなくて、肯定と否定、有と無、
常住と断滅というような二項対立を離れたものである。
したがって空とは、あらゆる事物の依存関係に他ならない。
この世に本質というものはなく、実態もなく、依存関係
すなわち縁起によって、条件によって仮に有るものであり、
依存関係がなくなれば、消えていくものである。
私は、「空」というのは、現象としてなにもない状態ではあるが
単なる無というのではなく、有へのエネルギーを
秘めている状態ではないかと勝手に考えていた。
物理の「場」の理論を想定していた。しかし、
これもやはり、実体論であり「空」とは言えない。
たまねぎの皮をむくように、どこまで行っても
本質は消えていく。新しい扉が開き、これだと思うと
また、いつしか新しい扉が開く。
無限に開き続ける扉の前で途方にくれている。
しかしである。この無限循環を中村さんは、断ち切ってくれた。
あらゆる事物の依存関係こそ「空」であると。
しかしである。
ここまでだけならば、煩悩を離れるだけの小乗でもよい。
「空」の思想から、どうして大乗と言う世直し論すなわち現実変革の
菩薩道が導かれてきたのか。次回は、そこに焦点を当ててみたい。
小田原研修
職場の研修で、風祭の森 太陽の門 福祉医療センターへ行ってきた。
重症心身障害児者施設。デイサービスや相談業務、療育指導なども行っている。
利用者中心のシステムとサービスを提供している。
箱根の入り口、景勝の地に立つ。
玄関の碑
室内の壁面には、利用者全員の陶芸作品で作った森と太陽が、力強い。

帰りは、職場の4人の同僚と 「和民」で食事をして帰る。小田原の駅から小田原城が見えていた。

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長崎の原爆投下の日に!

永井隆さん(1908~1951)というお医者さんがいました。
永井博士はレントゲン科の医師でしたが、フィルム不足のため、直接透視でレントゲン検査を続けたため、放射能を過量に受け慢性骨髄性白血病となります。
白血病との闘病中、1945年8月9日11:02 長崎に原爆が落下されます。
病の身であり、自身も被爆しながらも、苦しむ被爆者のため救護活動を行います。
被爆により、妻も亡くします。
救護活動中、自身の体にも原爆症の症状が現れ、倒れます。
疎開させていた子どもたちは、被爆せずにすみました。
が、母を亡くした子どもたちに淋しい思いをさせたくないと、病床の身にありながら、子どもたちのことを想い続けました。
原爆のこと、被爆のこと、原爆症のことを後世に伝えなければいけないと、執筆活動に入ります。
また、子どもたちの心がすさんではいけないと、私設図書館「うちらの本箱」を作りました。
1951年5月1日、博士は亡くなります。43歳でした。
博士が原爆症の研究・執筆活動をしたのが、長崎浦上の地に建てられた「如己堂」です。
名前の由来は、
「己の如く人を愛せよ」という聖書のことばです(博士はカトリックの洗礼を受けています)。
博士はふたりの子どもに、書き遺しています。
「わが いとし子よ
"汝の近きものを 己の如く愛すべし"
そなたたちに遺す私の言葉は、この句をもって始めたい。
そして恐らく終りもこの句をもって結ばれ、ついにすべてがこの句にふくまれることになるだろう」
「如己堂」の名前の由来を読みながら、
「人を愛せないのは、自分自身を愛してないからかなぁ」って感じていました。
http://sairen99.cocolog-nifty.com/photos/nagasaki/pict0199.html )
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創価教育1日研修
| 創価教育1日研修 | 2011年07月31日 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
今日は、1日雨模様だったが、研修会へ。私の所属する創価学会教育部の研修会。
10時より、夕方3時まで、創価大学の合宿所で。150名ほどであったが、神奈川県県北方面のメンバー。
午前中は、創価女子短大の顧問の、創設時の苦労と人間教育を、凝縮したカリキュラムの中で、土曜日を活用して、学生部の集会を通して実現して言った話。
次に、校種別の分科会。幼保、小、中高、特別支援級、社会教育、特別支援学校の6分科会に分かれて。
午後は、前半、創価教育研究所の所長より、実践記録運動の意義と今後の取り組みについて。
後半は、全国教育相談部長より、法華経の諸法実相論を通して、生命尊厳の思想、人間尊敬の不動の信念を持てとの熱烈たる講義であった。
教育相談は、来談者の自分が仏性を信じれるかどうかの仏道修行の実践であるとの、言葉が印象に残った。
何か大きなエネルギーをいただいたような、爽やかな研修となった。なかなか会えない、懐かしいメンバーとも幾らか言葉を交わすことができ、気持も温かくなったようだ。 |
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認定試験終了
| 科目認定試験終了 | 2011年07月30日 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
放送大学の科目認定試験が、本日で全て終了。
手ごたえは、十分。勝利間違いなし。
一橋学園駅から、7分の多摩学習センターはいい。
控え室も、多くの教室が開放されていて、息苦しさがない。
パソコンも使え、図書館の蔵書も多い。
後期の申請の時期だが、今度は面接授業中心に
苦手なことに、生活に生かせることにチャレンジだ。 |
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