2019年 10/19【286】very good
難易度2
本書は、【神戸連続児童殺傷事件】で最初の犠牲となった少女の母親による手記。
少女は加害者少年から『聖なる実験』としてハンマーで頭蓋骨を砕かれた。
この事件に関わった親達による手記はこれで三冊目、3人目の『親』の姿。
【279】は殺された男児の父親によるもの。
全編を通して語られる絶望と悲しみ、読んでいて辛くなる。
そうなるのも致し方ないだろう、我が子があのような残忍な方法で殺害されたのだから。
【280】は加害者少年の母親によるもの。
反省と謝罪の書なのかもしれないが全体的に言い訳がましい。
それも仕方ないだろう、我が子が凶悪殺人を犯したのだから。
ところが本書はどうだろうか。
前二冊とは全く趣が違うではないか。
本書から一番伝わって想いは
『生きる希望』。
全編にわたり語られる『ありがとう』という感謝の言葉とあるれる愛。
その想いは加害者少年にさえも向けられている。
もちろん、本文中にも辛い想いはたくさん出てくるし、涙を流さない日は一日とないとも綴られている。
たけどそれ以上に『愛と感謝』を感じ取っている著者には畏敬の念さえ抱いてしまう。
罪を憎んで人を憎まず。
汝の敵を愛せよ。
きっと、苦悩し怒り、問い、悲しみぬいた末の気付きだったのに違いない。
『私は負けない。これが現実の自分の人生なら、それを恨んだところで何も生まれない。立ち上がるしかない。』
苦しみ憎しみではなく、愛と感謝を見つけよう、と。
もしかすると、そう自分に言いきかせているだけかもしれない。
始めはそれでもいいではないか。
残された者が負の感情を全面に出しながら立ち止まっていて、はたしてそれでいいのだろうか。
著者は長男を連れて事件後間もないうちに大好きなコンサートに出掛けたという。
それを不謹慎と捉えるか?
それとも、その日までを希望として過ごし、音楽の力で癒され明日からの活力だと捉えるか?
他人の目を気にしたところで自分の幸せは見付けられない。
表紙の絵は、生前に彩花ちゃんが『歩いたり走ったりしてガンバッテ』くれている『靴』に『ありがとう』と感謝の意を表して書いたものだそうだ。
靴にさえ感謝の気持ちを綴る、優しい優しい子だった。
在るだけの存在に感謝する。
どんなことにも感謝の思いを見付ける。
本書はそれを改めて感じさせてくれるものでもあった。
この事件の二年前に阪神淡路大震災が起こる。
著者はその経験から
『命の尊さ、友情という宝』を切に実感したという。
だが加害者少年にとってその震災は
『死への興味』をもたらしてしまった。
シェイクスピアも言っている。
『物事に善悪はない。ただ善いと思えば善く、悪いと思えば悪いのだ』
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