モクテスマ2世、その没落 | スペイン語をめぐる諸々

スペイン語をめぐる諸々

スペイン語が少し分かれば見たり聞いたり読んだりできることを漫然と集めてみます。

 無断で彼の国に侵入し、明らかに侵略的な行動をとりつつ首都テノチティトランに迫り来るスペイン人コンキスタドールらに対し、君主モクテスマが戦おうとせず、融和的な態度を示し続けたその理由は、彼がコルテスのことを隠れていたメソアメリカの古い神、ケツァルコアトルの再来だと信じたからだという話は、よく知られている。だが、それはあまりにも分かりやすい説明で、いくぶん作り話めいている。真相を単純化しすぎた説明なのではないかという疑いは残る。

 

 しかし、ヨーロッパからの侵略者を初めて目撃した際、メソアメリカの人々が、非常に大きなカルチャーショックを受けたであろうことは想像に難くない。その激しい衝撃のうちには、多かれ少なかれ宗教的な畏怖の感情さえ含まれていたはずだ。

 

 たとえば船といえば、川や湖で使うカヌー程度のものしか知らなかった当時のメソアメリカの人々にとっては、スペイン人がそれに乗って海の彼方からやって来た巨大な船は、船という概念を超越した何かだった。彼らには、海上に突然現われた大きな家としか見えず、魔法の産物としか思えなかったことだろう。

 

 また、馬に乗って道を行くコルテスら一行の姿も、度肝を抜く、驚異の的だったはずだ。それまで馬という生き物を見たことがなく、そもそも動物に乗って移動するという文化がなかったメソアメリカの人々が、生まれて初めて馬に乗ったスペイン人たちを目撃した時、彼らは自分がいったい何を見ているのか、うまく理解できなかったはずだ。それは彼らの目には、人間のようなものと動物のようなものとが合体した、何か非常に奇妙な、異形な存在として映ったことだろう。しかもメソアメリカの宗教では、伝統的に神々の多くが、人間と動物のハイブリッドのような姿でイメージされてきた。馬に乗るコルテスらの姿は、メソアメリカの人々の古い宗教的な想像力を喚起させずにはおかぬものだったに違いない。

 

 モクテスマに限らず、アステカの人々が、未知の侵略者たちに誤って神々のイメージを重ねてしまっても、やむを得ない面もあったと言うしかないだろう。

 

 

A su llegada los pueblos costeros del golfo de México Hernán Cortés tuvo conocimiento de que tierra adentro se elevaba la capital del gran imperio mexica al que prácticamente toda la región estaba sometida. Hacia allá se dirigieron tomando poblaciones y logrando hacer aliados a los tlaxcaltecas enemigos irreductibles de la nación hegemónica.
(メキシコ湾の湾岸にある国々にまで来たエルナン・コルテスは、さらに奥地には、実質的に全ての地域を支配しているメシーカの大帝国の首都があるということを知りました。その首都へ向けて、コルテスの部隊は町や村を占領しながら進み、覇権を握る国に対する不屈の敵であるトラスカルテカ族とは同盟を結ぶことに成功しました。)

00:25
En Tenochtitlán Moctezuma Xocoyotzin el jefe supremo o tlatoani recibió noticias acerca de aquellos desconocidos barbados de piel blanca que tenían en el mar unas casas altas como cerros y montaban unos como venados enormes. Pese al desconcierto les fueron enviados ricos presentes como muestra de consideración.
(テノチティトランでは、最高指導者すなわちトラトアニであるモクテスマ・ショコヨツィンが、海の中にまるで丘のように高大な家を持ち、巨大な鹿のような生き物に乗っているという、その髭を生やした白い肌の未知の男たちについての知らせを受けました。モクテスマは困惑しましたが、その男たちには敬意のしるしとして豪華な贈り物の品々が贈られました。)

00:49
El 8 de noviembre de 1519 se produjó la primera entrevista de Moctezuma con Cortés. Ocurrió en la calzada de Iztapalapa que unía la ciudad con la ribera sur del lago de Texcoco.
(1519年の11月8日に、モクテスマとコルテスの最初の会談が行われました。それは都とテスココ湖の南岸とを繋ぐイスタパラパ街道において実現しました。)

01:04
Era el encuentro entre un soberano cuya figura estaba casi divinizada y un gentil hombre aventurero que había cruzado el océano en busca de fama y fortuna que según dijo era emisario de otro gran monarca Carlos el rey de España. Se sabe que Cortés intentó abrazar amistosamente al tlatoani pero los servidores se le impidieron. Su señor era intocable. La comunicación fue posible gracias a que Malintzín o doña Marina traducía de náhuatl y al maya y el soldado Jerónimo de Aguilar del maya al castellano.
(それはその存在がほとんど神格化されていた君主と、名声と富を求めて大洋を渡って来た見映えのする冒険者との出会いでしたが、その男の主張によれば、彼はもう一人の偉大な君主、スペイン王カルロスから派遣された使節でした。コルテスは友情をこめてトラトアニを抱擁しようとしましたが、従者たちがそれを押し留めたということが知られています。彼らをの主人は触れることができぬ存在だったのです。マリンツィンすなわちドニャ・マリーナががナワトル語をマヤ語に、そしてヘロニモ・アギラルという兵士がマヤ語をカスティーリャ語に通訳することより、コミュニケーションが成り立ちました。)

01:43
Los meses siguientes significaron el principio del fin para Moctezuma II para el orden social e inclusive el cósmico. Las crónicas dicen que la aparición de los españoles fue interpretada como el regreso del venerado Quetzalcóatl. Pero también es posible que aquello fuera una invención posterior para consolidar la idea de una pronta actitud de sumisión y pasividad por parte de Moctezuma. Sea como fuere aunque con respeto a su rango Moctezuma II fue tratado paulatinamente como prisionero o rehén en su propia ciudad.
(それに続く数ヶ月は、モクテスマにとっては、また社会の秩序やさらには宇宙の秩序にとってさえ、終わりの始まりでした。いくつかの年代記が、スペイン人たちの出現は崇拝されていたケツァルコアトル神の帰還として解釈されたと語っています。しかしながら、それはモクテスマの側の早すぎる屈従的かつ受動的な態度の意図を補強するために、後に創作されたものだった可能性もあります。その真相はどうであれ、モクテスマ2世は、その身分に対する敬意は払われたものの、彼自身の都の中で、しだいに囚人あるいは人質として扱われるようになりました。)

02:22
Durante una ausencia de Cortés uno de sus capitanes Pedro de Alvarado pretextando traición y amenaza perpetró una matanza a sangre fría en la plaza del templo mayor mientras se realizaba una ceremonia religiosa. Cientos de indígenas murieron. A su regreso Cortés encontró a los habitantes en pie de guerra.
(コルテスの不在中に、彼の部隊長の一人だったペドロ・アルバラードが、大神殿の広場で宗教的な儀式が行われている最中に、裏切りと脅威という口実で、冷血な殺戮を実行しました。何百人もの先住民が死にました。戻ったコルテスは、戦争へと立ち上がった住民を見ました。)

02:46
Hay más de una versión sobre la muerte de Moctezuma Xocoyotzin. La más conocida dice que recibió pedradas de su gente cuando trataba de calmar los ánimos bélicos desde una terraza. Otra asegura que los españoles lo asesinaron. En todo caso el gran señor había perdido la autoridad. Para los españoles había dejado de ser útil. Para su pueblo había dejado de ser intocable.
(モクテスマ・ショコヨツィンの死に関しては、複数の説があります。最もよく知らている説は、バルコニーから民衆の好戦的な空気を宥めようと試みた際に、彼らから投石を受けたというものです。別の説は、スペイン人が彼を殺したと断定しています。いずれにせよ、偉大なる主人は権威を失っていました。スペイン人にとっては、利用価値のある存在ではなくなっていました。彼の民衆にとっては、触れることのできぬ存在ではなくなっていました。

03:13
Hernán Cortés y sus hombres tuvieron que huir apresuradamente durante la llamada noche triste. Les tomó un tiempo prepararse junto con sus aliados Tlaxcaltecas para la batalla final. México Tenochtitlan se rindió el 13 de agosto de 1521.
(エルナン・コルテスと彼の部隊は、「悲しい夜」と呼ばれる夜の間に、あわてて逃亡しなければなりませんでした。彼らは同盟者であるトラスカルテカ族と共に最後の戦いを準備するために、しばらく時間をとりました。メヒコ・テノチティトランは、1521年8月13日に降伏しました。)