ヘスス・マルヴェルデ、または麻薬密売人たちの守護聖人 | スペイン語をめぐる諸々

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 シナロア・カルテルの話題性のせいで、ネガティブなイメージを伴って世界的に有名になってしまったシナロア。そのシナロア州の州都であるクリアカンの街に、ヘスス・マルベルデ(Jesús Malverde)と呼ばれる聖者を祀る礼拝堂がある。ただし彼は、カトリック教会が公式に認めた聖人ではない。それでも多くの人々が彼を聖人だと信じ、崇めている。いわば非公式な、民衆の聖者だ。

 

 一説では、マルベルデというのは通称で、彼の本名はヘスス・フアレス=マソだという。伝説によれば、彼は20世紀の初頭に、クリアカン周辺で盗みを働く山賊の頭目だったという。しかし彼は一種の義賊で、金持ちから強奪した金品を、貧しい人々に分け与えていたという。当然、金持ちや権力者からは憎まれ、民衆からは慕われた。

 

 1909年に、マルベルデは官憲に捕らえられ、クリアカンで処刑されたと言われる。見せしめのため、彼の遺体は木に吊るされ、埋葬することを禁じられた。そのうちに綱が切れ、遺体は地面に落ちた。しかし埋葬することは禁じられていたので、彼を慕う人々は、遺体を石で覆った。多くの人々が、死後も彼のことをヒーローとして敬愛し続けた。そして、彼の遺体があるその場所に石を積むことが、マルベルデを信奉する人々の間では一種の儀式のようになった。そのためにその場所は、しだいに石でできた小さな丘のようになっていったという。

 

 後にクリアカンが近代化すると、石の丘は撤去され、マルベルデの遺体は埋葬され、そこに礼拝堂が建てられた。そして多くの信者たちから、聖人として崇められるようになった。カトリックの民間信仰では、聖人とは超自然的な助力や奇跡の担い手であり、聖人はそれぞれ得意とする「専門分野」を持つことが多い。マルベルデの場合は当初、主にクリアカン周辺からアメリカへと出稼ぎに行く「不法移民」の守護者として信奉されていたらしい。越境の危険を冒す者たちが、出発の前に旅の無事と出稼ぎの成功をマルベルデに祈願し、残された家族も出かけた者の無事息災をマルベルデに祈る。「不法移民」の増加に連れてマルベルデの信奉者も増えていったであろうことは、想像に難くない。そしてマルベルデの「専門分野」も拡大し、貧しい者たちをあらゆる困難から救う聖者と見なされるようになったようだ。

 

 しかしヘスス・マルベルデが「麻薬密売人の守護聖人」という名声を得るようになったのは、比較的最近のことだ。それは前世紀の70年代に始まったと言われる。話によれば、ある麻薬密売組織のボスの息子が、手違いで父親から銃撃されて瀕死の重傷を負ったが、マルベルデに祈願したところ、一命を取り留めるという奇跡が起こったらしい。それ以来、麻薬組織の構成員の間にマルベルデへの信心が広がり始め、有名な麻薬組織のボスたちが、こぞってマルベルデの礼拝堂に参詣するようになった。噂では、あのホアキン・「エル・チャポ」・グスマンも信者の一人だという。

 

 そしてヘスス・マルベルデは、麻薬密売人の守護聖人になったことにより、シナロアのローカルな聖者から、ナショナルな聖者に成長しつつあるように見える。最近はメキシコシティにも、マルベルデの礼拝堂が作られたという。だが、それだけではない。インターナショナルな聖者にさえなりそうな勢いで、コロンビアのカリや、北米のロサンゼルスにも、マルベルデの礼拝堂ができたという。興味深いのは、カリ、クリアカン、ロサンゼルスとマルベルデの礼拝堂を辿れば、それはそのままコカインが流れてゆくルートに重なることだ。

 

 ヘスス・マルベルデについてまとめた、ニュースサイトの動画を紹介する。公開されたのは2011年で、少し古いが、他の関連の動画よりも簡潔で、要領を得ている。

 

 

 

-Jesús Malverde tiene una capilla en Culiacán, la cuna del narcotrafico al norte de México. Aquí, los fieles rezan y veneran a la imagen como si se tratara de un santo. La leyenda dice que proteje ladrones y narcotraficantes. Según sus seguidores vivió hace más de un siglo y llevó una suerte de Robin Hood local.
(―メキシコ北部における麻薬取引の発祥地であるクリアカンには、ヘスス・マルベルデの礼拝堂があります。ここでは信者たちが、あたかも彼が聖者であるかのように、マルベルデに祈りと礼拝を捧げます。伝説では、マルベルデは泥棒や麻薬密売人たちを守護すると言われています。信奉者たちによれば、彼は一世紀以上前に生き、当地のロビンフッドになるという幸運を持ちました。)

 マルベルデの礼拝堂の管理人、ヘスス・ゴンザレス氏へのインタビュー。

"Jesús Malverde es el santo de los pobres. Es un bandido generoso que robaba de los ricos para dar a los pobres."
(「ヘスス・マルベルデは貧しい人々の聖人です。彼は金持ちから奪い貧しい人々に与えた、寛大な盗賊です」)

-La leyenda de Malverde nació en Culiacán. Su culto se ha extendido por el norte del país, en particular entre miembros del crímen organizado muy presentes en México. A su capilla acuden para solicitar diversos milagros como logro de un buen cultivo de marihuana,  o sanar a un enfermo.
(―マルベルデの伝説は、クリアカンで生まれました。彼に対する崇拝は国の北部で、特に今のメキシコで非常に存在感を持つ犯罪組織の構成員の間に、広まりました。彼らは、マリファナの豊作や病人の治癒といった、さまざまな奇跡を祈願するため、マルベルデの礼拝堂に参詣します。)

 マルベルデの信奉者でミュージシャン、フラビオ・マルティネス氏へのインタビュー。

"Tuve una accidente, y era un choque fatal. Y él me bajó del coche."
(「私は事故に遭いました。致命的な衝突でした。しかし彼が、無事に私を車から下ろしてくれたのです」)

-En el archivo de la ciudad existe el registro del nacimiento bajo nombre de Jesús Malverde. Sin embargo no existe documento que compruebe su vida como un delincuente justiciero. Lo que sí es real es la expansión del culto. Da consuelo dentro de las prisiones, e incluso hay presos que obtienen ingresos haciendo collares con su imagen.
(―市の資料室には、ヘスス・マルベルデという名での出生記録が存在します。しかしながら、正義を行う犯罪者としての彼の人生を証明する記録は、存在しません。現実なのは、彼への崇拝が広まっていることです。マルベルデは刑務所の中に慰めを与えており、彼の肖像が付いた首飾りを制作することにより収入を得ている囚人たちさえいます。)

 殺人の罪で服役している、アルベルト・ブルゴス氏へのインタビュー。

"Pues aquí le agarramos fé. Porque ya ve, aquí me ha sacado adelante y aquí no cualquiera. Aquí está canijo."
(ここで私たちは信仰を持つようになります。なぜなら見てのとおり、彼はここで私を前に進ませてくれていますが、それはここでは、誰にでもできるということではありません。ここは酷い所です」)

-La jerarquía católica ha descalificado el culto a Malverde. Porque está lejos de ser un modelo según los principios del catolicismo.
(―カトリック教会は、マルベルデへの崇拝を認めていません。なぜなら、彼はカトリシズムの諸原則に基づいた模範的人物であることからは程遠いからです。)

 クリアカン教区のスポークスマン、エステバン・ロブレス氏へのインタビュー。

"La iglesia católica nunca reconocerá como santo, puesto que para serlo necesita una vida ejemplar."
(「カトリック教会が彼を聖人と認めることは、けっしてないでしょう。なぜなら聖人になるには、模範となる人生が必要だからです」)

-Para muchos, Jesús Malverde siempre será un santo protector. Sin embargo también seguirá siendo una referencia de la violencia que México vive.
(多くの人々にとっては、ヘスス・マルベルデは常に守護聖人であり続けるでしょう。しかし同時に彼は、メキシコがその中で生きている暴力について考えさせる存在であり続けるでしょう。)