編集四十八手 十五刷り
坂本龍一がおもしろい人物評価を行っていて、
共同体のなかにいながら、その共同体からどれだけ自由であるか、
パラダイムがずれているかで点数をつけているという自由度の話を読みながら、豪国ケアンズへの旅路を楽しんでいた。つまり、職場にいながら職場にいぬ存在(無論、仕事はこなしているのだけれども)というのが高得点であるという視点になる。職場にどっぷり、国にどっぷりというのはそれだけでつまらない。やはり図書街にでもふらりと立ち降りて、広大無辺の本棚のまえに立つのが、共同体からのズラしにはもってこいであろう。天国よりも図書街に行きたい。
ケアンズ港からほど近いところに、やたら蝙蝠がなっている木がある。そして、その隣には白い著書館があり、私はこの玄関まえにあるベンチに幾度となく坐った。豪国は土を掘れば何でもでてくるので、それだけ豊かで物価が高い。尚、ケアンズはうっかりキュランダ鉄道がそちらの方向に来て、たまたま発達した街であるから、その歴史も百年と浅く、街を歩いていても、どうもメッキ感覚におちいってよろしくない。このような理由から、水だけ買って、閉館した図書館まえに坐るということが多い旅であった。歩いていてもつまらないのである。この種のつまらなさは今の東京にもあるものの、そこはやはり歴史が多少あるので、おもしろき宝石の破片のようなものが散り落ちている場合がある。ふと図書館を視あげると、ヤシの木むこうで三日月がふんばっており、そのまえを蝙蝠が横切ってチャかしてくる。こちらも三日月に鉄棒がわりと足をかけ、上下逆さにぶらさがりたい夜。たとえ上下を逆さまに視ても、図書街は視つからないであろう。自由とは共同体と図書街のあいだに微睡む一場なのだ。
共同体のなかにいながら、その共同体からどれだけ自由であるか、
パラダイムがずれているかで点数をつけているという自由度の話を読みながら、豪国ケアンズへの旅路を楽しんでいた。つまり、職場にいながら職場にいぬ存在(無論、仕事はこなしているのだけれども)というのが高得点であるという視点になる。職場にどっぷり、国にどっぷりというのはそれだけでつまらない。やはり図書街にでもふらりと立ち降りて、広大無辺の本棚のまえに立つのが、共同体からのズラしにはもってこいであろう。天国よりも図書街に行きたい。
ケアンズ港からほど近いところに、やたら蝙蝠がなっている木がある。そして、その隣には白い著書館があり、私はこの玄関まえにあるベンチに幾度となく坐った。豪国は土を掘れば何でもでてくるので、それだけ豊かで物価が高い。尚、ケアンズはうっかりキュランダ鉄道がそちらの方向に来て、たまたま発達した街であるから、その歴史も百年と浅く、街を歩いていても、どうもメッキ感覚におちいってよろしくない。このような理由から、水だけ買って、閉館した図書館まえに坐るということが多い旅であった。歩いていてもつまらないのである。この種のつまらなさは今の東京にもあるものの、そこはやはり歴史が多少あるので、おもしろき宝石の破片のようなものが散り落ちている場合がある。ふと図書館を視あげると、ヤシの木むこうで三日月がふんばっており、そのまえを蝙蝠が横切ってチャかしてくる。こちらも三日月に鉄棒がわりと足をかけ、上下逆さにぶらさがりたい夜。たとえ上下を逆さまに視ても、図書街は視つからないであろう。自由とは共同体と図書街のあいだに微睡む一場なのだ。
