教育四十八手 その十六
しばし国外にいたので、こちらの更新があまりできていなかった。来週からはテニス合宿があるものの、国内なので、まあのんびりとやってゆきたい。先ほどインドネシアから還ってきたのであるが、インドネシアの田舎はまことに昭和の香りがしてたしかであった。例えば、田んぼが段々になっており狭いものだから、機械をいれることができず、凡て手作業であるし、その傍らでは子どもたちが高層ビルは楽に越えるであろう高さまで、凧あげしている。冗談におもわれるかもしれないが、かなりの上空で、巨大な凧が鳥のように小さく視える。そう、大人も子どもも身体を媒介として自然とつながっていたのだ。
一方、日本は大人も子どもも身体を経ずに電氣とつながっている。このようになってしまったのは、いわゆる団塊の世代の責任で、彼らが浮ついた心で欧米かぶれし、日本を研究してこなかったおかげで、名ばかりの日本となってしまった。どこで聴いたか忘れてしまったけれども、幹がたしかな老木というのは、視た目も老木なのだそうだ。対照的に、幹がポンコツの老木というのは、外見が若い。つまりはアンチエイジングをしている(笑)。今の日本というのは、この後者の老木に似ている。中身なし、外は欧米化。このような話をすると、「否、今でも日本というのは残っているよ」と頼もしい声が聴かせてくれるときもあるが、よく話を伺うと、明治維新以降の出鱈目な日本、欧米によってでっちあげられた日本を、真の日本だと信じきっている場合が多い。あまりに惨め。
私たちはいったいいつまでこんな教育をしてゆくつもりなのか。
「ゐ」と「ゑ」が抜けて五十音足らずの横書き母語教育。食品添加物まみれのおふくろの味で食育が狂い、スポーツの導入で、骨を動かしすことで保ってきた日本所作が、一氣に筋肉一色に染まった。体育の崩壊である。別に、使う筋肉が表層筋であろうがインナーマッスルであろうが、それは等しく日本的でなくなる。ついでに、動きが変われば、民族衣装であった着物もあわなくなり、今では自分で自国の衣を着れない国民のほうがはるかに多い。正月、ロボットが凧あげをし、人は部屋でゲームをしている時代も近いであろう。
一方、日本は大人も子どもも身体を経ずに電氣とつながっている。このようになってしまったのは、いわゆる団塊の世代の責任で、彼らが浮ついた心で欧米かぶれし、日本を研究してこなかったおかげで、名ばかりの日本となってしまった。どこで聴いたか忘れてしまったけれども、幹がたしかな老木というのは、視た目も老木なのだそうだ。対照的に、幹がポンコツの老木というのは、外見が若い。つまりはアンチエイジングをしている(笑)。今の日本というのは、この後者の老木に似ている。中身なし、外は欧米化。このような話をすると、「否、今でも日本というのは残っているよ」と頼もしい声が聴かせてくれるときもあるが、よく話を伺うと、明治維新以降の出鱈目な日本、欧米によってでっちあげられた日本を、真の日本だと信じきっている場合が多い。あまりに惨め。
私たちはいったいいつまでこんな教育をしてゆくつもりなのか。
「ゐ」と「ゑ」が抜けて五十音足らずの横書き母語教育。食品添加物まみれのおふくろの味で食育が狂い、スポーツの導入で、骨を動かしすことで保ってきた日本所作が、一氣に筋肉一色に染まった。体育の崩壊である。別に、使う筋肉が表層筋であろうがインナーマッスルであろうが、それは等しく日本的でなくなる。ついでに、動きが変われば、民族衣装であった着物もあわなくなり、今では自分で自国の衣を着れない国民のほうがはるかに多い。正月、ロボットが凧あげをし、人は部屋でゲームをしている時代も近いであろう。
