教育四十八手 その十七
虹というものは、古代中国かどこかでは不吉なものとされてきたのだけれども、なかなか出くわしてみると清々しい氣持ちにさせてくれる。大概は雨あがり、色鮮やかにでてくるからだろうからか。最近の虹でおもいだされるのは、ウブドのもので、ちょうど朝食を終えると、向こうの山にでっかく七色の橋を架けていた。この虹、何色に視えるかというのは民族によって異なる。無論、眼の構造が異なるのではなく、教育による洗脳が多いのであろう。七色と教われば、それは不可思議なことに七色に虹は視えてしまうし、アフリカの或る民族は三色なのだそうだ。
では、虹を三色と視る民族に七色と教えるべきだろうか。
これをやってしまったのが、近代日本の教育であった。もともと三色に視えていたのだからそれでなんら不都合はないのに、明治維新で自国の文化を自ら毀し、戦後教育で完璧なまでに西欧化を達成したのである。一部の教育者はマッカーサーに喧嘩を売るつもりでがんばったとおっしゃられているが、結局、日本教育は等しく駄目になったのである。別に私はこれに対し、悲観しているわけでも嘆いているわけでもない。ただ、日本という国が滅んだときに、何をもって日本人とするかという視点は持たれたほうがよいとおもう。これを即答できる大人はおそらく少ないであろう。あまりに虹が七色で、眼までそのままにじまれてしまったのである。
